日本共産党

「しんぶん赤旗」日曜版 2002年9月22日号

不破さん 4年ぶり 中国訪問

座談会 見て 聞いて 話したこと

(後編)

不破哲三議長 筆坂秀世書記局長代行 緒方靖夫国際局長


 四年ぶりに中国を訪問した不破哲三議長と、同行した筆坂秀世書記局長代行、緒方靖夫国際局長の座談会。後編は、いよいよ中国共産党との会談でどんなことが話し合われたのか、についてです。前号に引き続いて、三人が大いに語り合います。司会は近藤正男日曜版編集長

会談はどんな調子で進められたか

外交的気兼ねいらない野党の立場で 不破

キューバの話、私も知らなかったこと 筆坂

外交活動の新しい地平を開いた思い 緒方


自由で率直な会談の連続

 ――中国共産党との会談は、八人の方と十七時間半、かつてない日程になったと聞きました。

筆坂 不破さんは、ものすごく率直な話をするなと思ったんですが、向こうも実に率直に(笑い)、よく聞いてくるんです。なによりも、中国側が「十二項目」(注)という問題の一覧をあらかじめ送ってきたところに、率直かつ広範な意見交換をしたいという気持ちを感じましたね。

「十二項目」 中国側から、意見交換を望む項目として、事前に、両党関係及び両国関係、国際及び地域情勢(主に北東アジア)について現状と見通し、現代資本主義と経済グローバル化、日本の政治、経済情勢、両国関係を発展させることについて、アメリカの国際戦略調整についてなどの「十二項目」が提案されていた。
不破 中国側の「十二項目」は、要するに、世界の全般について話し合いたいという提起でした。私は、これまでずいぶん多くの党と会談をやってきましたが、世界が直面する多面的な問題について、これだけ多面的に意見交換したというのは、かつてなかったことです。

緒方 北京に着いてすぐ始まった中央対外連絡部(中連部)の戴秉国部長との会談は、食事をふくめて約四時間。ここでの話し合いで、その後のいろいろな会談の方向がおのずから決まっていった、という印象でした。戴秉国さんは、「さあ、しゃべってください」と(笑い)。それにこたえて、不破さんが話すと、本当に耳を澄ませて聞いてくれるし、提起した問題には、率直に答えましたね。

筆坂 中国の人たちは、違った立場の意見もよく聞いて、それを現実とつきあわせ、必要なあらゆるものを吸収し、自分たちの立場の発展に役立てようという弾力性を非常に持っていますね。だから、意見交換や対話のしがいがある。

不破 両党関係の正常化のさいにも、毛沢東時代の干渉という歴史問題について、事実を調べあげ、それに応じて過去の誤りを真剣に是正するという誠実さを、実感したものでした。これは、旧ソ連はもちろん、トウ小平時代にもなかったことなんです。

緒方 それは、今後の日中関係を考える場合、たいへん頼もしいことですね。

日本共産党の野党外交の成果も生かして

不破 世界のいろいろな問題を議論するとき、私たちの外交活動――とくにこの数年来展開してきたアジア諸国、イスラム諸国との外交活動の経験が、たいへん役立つことを、感じました。

 たとえば、昨年十月、アメリカの対テロ戦争が始まった時、私たちは、私と志位委員長の連名で報復戦争反対の書簡を書き、東京の大使館を通じて各国政府に送りました。そのころ、トルコ大使館のレセプションに行ったら、サウジアラビアの大使が近寄ってきて、「あなたがたの手紙を王さまに届けました。私たちもあなたがたもアジアの国、気持ちは一つです」と言うのです。サウジアラビア大使とは、私はこれが最初の出会いでしたが、うれしかったですね。

 ちょうど、緒方さんが対テロ戦争の拠点にされたパキスタンに行っているときで、国際電話がかかってきた時、その話をしたんですよ。そしたら緒方さんがびっくりしましてね。

緒方 それは驚きますよ。実は十年前の湾岸戦争の時、私は不破委員長(当時)の書簡をもってサウジアラビアの大使館を訪問したんです。部屋に通されると、大使は机をへだて五メートルも先にいて、近づいてくれない。理由をきくと、「私たちは共産主義者とは同席しないのです」。(笑い)

不破 その国の大使が、自分から共産主義者に近寄ってきて、「手紙を王さまにとどけた。気持ちは一つ」というのですから、話を聞いて私も驚きました。

緒方 その時、不破さんが言ったことを覚えていますか。「だいぶ距離がちぢまったね」(笑い)

不破 ともかく、この話から、いろいろなことが分かるんですね。表向き対テロ戦争を支持しているイスラム諸国の本当の気持ち、日本共産党がこういう国々とどういう交流や接触をしているか、緒方さんは戦争勃発(ぼっぱつ)の直後にパキスタンに飛んでいたんですからね。

緒方 生き生きとした私たちの外交活動の事例が、短い話のなかにちりばめられていて、中国側にも強い印象を与えたようでした。

不破 私たちが政権党でないために、政府あるいは政権党としてその国に接する場合とは違った側面が見えてくる、こういうことも、世界政治ではありうるんですよ。

緒方 私は、不破さんといっしょに外国を訪問したのは十数カ国になりますが、会談といえば、「相互の国内情勢と関心ある国際問題」について話しあうのが、定番でした。その点で、今回の会談は、日本共産党の外交活動の新しい地平を開いたというか、二党間関係の新しいあり方をつくったという思いがあります。だから、お互いに、通常の会談や意見交換ではなかなか出てこないような問題を、ずいぶん話し合えたんじゃないでしょうか。

いま明かす不破・カストロ会談の真相 中国側も身を乗り出して聞く

筆坂 中連部の筆頭副部長・王家瑞さんとの夕食の席で出たキューバの話も、面白かったですね。私もあそこまで詳しくは知らなかったですよ。

 ――どういう話ですか。

緒方 王家瑞さんは、前の日にラテンアメリカ訪問から帰国し、首脳会談から同席して、最後の晩だというので、送別の夕食会を開いてくれました。その席で、コロンビア、ペルー、チリと今度まわってきた各国の状況の話をした。続いて「ラテンアメリカの状況をどう見ていますか」という質問ですから、何をどう答えるか、興味をもって不破さんの顔を見ましたよ。そうしたら、最近「しんぶん赤旗」の特派員が訪問してきたガイアナの話をしたあと、一九八四年のキューバ訪問の話に移り、「私は以前、キューバが、『ラテンアメリカは一つ』と国境をこえて革命を広げるゲバラ方式(注)で、各国の革命運動の自主性を認めない立場をとっているのではないか、と懸念していた」と切り出したんです。王家瑞さんたちの興味が集中するのが分かりました。

ゲバラ (一九二八〜一九六七年)。アルゼンチン生まれ。キューバ革命に参加し、カストロ政権で要職を歴任。一九六五年、新たな革命の地を求めて出国、南アメリカのボリビアで独自の革命闘争中に殺される。
筆坂 そしてカストロ首相との会談で、「あなたがたは、いまでも『ラテンアメリカは一つ』という考えなのか」と聞いたといったら、王さんは本当に驚いたようでした。続けて「ソ連のアフガニスタン侵略をなぜ支持するのか」と聞いたと話したときは、驚きはさらに深まって……。

不破 私はこの話をしたとき、「私たちは野党で、外交的気兼ねがあまり要らない立場だから」と、ちゃんと断っておきましたよ。(笑い)

緒方 私はキューバには同行していたのですが、カストロ首相の答えは誠実でしたね。最初の問題については、“ラテンアメリカ各国の革命運動の自主性を尊重する”。アフガニスタン問題では、“これは、社会主義国としてキューバが負っている十字架だ”。

 不破さんの話の厚みと歴史性、それから必要な問題を提起するときの遠慮なさ(笑い)と言いますかね。何を聞いても、こういう、内容のある話がバンバン返ってくる。中国の人たちが身を乗り出して話に乗ってくるわけも、そこにあるんですね。

「私も日本に行って、『赤旗』を配達してみたい」

 ――中央組織部との会談というのも、不破さんの外国訪問では例がないのではないですか。

不破 そうですね。「十二項目」のなかに「日本共産党の党建設の現状と経験」という項目があったので、私も注目していました。

 話し合ってみると、私たちが国民のあいだでどんな活動をしているかが、関心の焦点でした。私は、「支部が主役」の活動や「循環型」と呼んでいる指導のあり方、「しんぶん赤旗」で国民と結びつく努力、なかでも十四万の党員が参加して毎日・毎週の配達網を組織している苦労など、歴史的なこともふくめて話したのですが、非常に熱心に聞いてくれましたね。

筆坂 会談相手は李景田副部長でしたが、総括的な感想を「人民との結びつきの強化が大事」という言葉でまとめていました。市場経済化が進むなかで、政権党でも、国民としっかり結びついていないと、もろいものになってしまう。その点で、資本主義国で地道な努力をつくしてがんばっている日本共産党の経験を知りたかったんだと思います。中連部の若い人のなかには、いたく感動して「日本に行って『赤旗』の配達活動に参加してみたい」と言う人もいました。

緒方 「しんぶん赤旗」が二百万だと言ったら、李景田さんがすぐ「『人民日報』も二百万だ」(笑い)。前に、送られてきた日程のなかに「中央組織部との交流」があるのを見て、なぜこれがあるのかと聞いたら、日本共産党の党建設を知りたいんだという答えでした。中国側は、不破さんの八十周年の記念講演もよく読んでいて、日本の党がいかに鍛えられているのかを研究するというのが、一つの発想になったようでした。

外交活動ーー共通の関心は

平和の諸関係をどうしてきずくかに

中国は長続きする平和を望んでいる 不破

問題意識がすごくかみあいましたね 筆坂

「日本共産党の人間味うれしかった」と 緒方


 ――外交問題では、どんなことが話し合われたのですか。

不破 会談全体の大きな焦点がそこにありました。中心は、日本との関係とアメリカとの関係でした。どちらの問題でも、私は、いまの中国外交を理解するカギの一つは、中国が長続きする安定した平和な環境の確立を、いかに切望しているか、という点だと思います。前回の訪問のさいに、“中国はいま社会主義発展の「初級段階」で、これはほぼ百年を予定している、そのためにはどうしても平和な環境が必要なんだ”という話を聞いた時、これは中国のいわば“本音のなかの本音”だな、と感じました。今回も、そのことを痛感しました。アメリカとの関係でも、日本との関係でも、中国外交の根底には、安定した平和関係への切望がある、ということですね。

 ――首脳会談での不破さんの発言も、アメリカとの関係の問題が中心でしたね。

不破 この問題は、最初の日に戴秉国部長と話し、三日目の昼、唐家セン外交部長と話し合いました。唐家センさんは、外交方針についてまとまった形で話してくれましたから、深いところで中国の考えがよく分かりました。

「イラクへの軍事攻撃には反対する」――江沢民発言の重み

不破 私なりに整理すると、ソ連の崩壊後、米ソ対立という要因がなくなったのだから、国連憲章を基準にした平和的な関係をきずく条件ができた、アメリカもそれに対応して、米中関係にも新しい発展の条件ができるという、強い願望をもったようで、その願望はいまも変わらないのです。ところが、アメリカの行動は、まったく別の覇権主義の軍事戦略という方向をとっている。それにどう対応するか、真剣な模索があるように思いました。この話をしたとき、唐家セン部長が、平和関係のためには、多少のことはがまんするのだといって、越王勾践(えつおうこうせん)の「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の話(注)を引いたのには、あらためて深い印象をうけました。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん) 中国の春秋時代の呉・越の戦争のなかで生まれた故事で、目的を達するために、固いたきぎの上に寝、苦い肝をなめるなどの辛苦にたえること。
 滞在中も、新聞のニュースを見ると、唐部長が北京でイラク大使と会談すれば、同じ日に朱鎔基首相は、モロッコを訪問しているなど、外交活動の展開は実に活発でしたね。

筆坂 そういう点で、国連憲章を基準にして世界を見る時、対テロ報復戦争と先制攻撃戦略にたった対イラク戦争のあいだには、決定的な違いがある、という不破さんの提起は、中国側の問題意識とすごくかみあったと思いますね。

緒方 「以前のように『アメリカ帝国主義反対』の旗をかかげる必要はない。国連憲章のルールを破る行為は、それが誰であっても認めない、という行動だ」という話も、そうでしたね。中国の人たちもずいぶんうなずいていました。

不破 こうした話し合いの積み重ねのうえでの江沢民総書記との首脳会談でした。それだけに、「中国の態度は明確だ。イラクへの軍事攻撃には反対し、あくまで平和的な解決への努力をつくす」という江沢民さんの言明には、非常な重みがありました。

筆坂 イラクへの軍事攻撃に反対だという言明は、江沢民総書記が、今回の不破さんとの会談ではじめて言明したことでした。

緒方 率直にものを言い合う、そのことを通じて、結論が生み出されてゆく経過をみて、私は、十三億の国民をリードする一番の中枢にある人たちの息づかいを身近に聞いた醍醐味(だいごみ)というか、なにかそういうものを感じました。

“対世論外交を重視する”ことを提起した

 ――日中関係では、どんな話が……。

不破 日中関係では、前回は、「日中関係の五原則」を提唱して、日中関係のあるべき姿を提起したのですが、社会科学院の李鉄映さんとの話のなかでそのことが出たら、即座に「それは政界でも理論界でも有名な五原則ですよ」。(笑い)

 今度は問題をもっと発展させて、日本と中国と朝鮮半島、この三者の関係がアジアの平和の一つの要になる、という形で問題を出し、日本の問題、朝鮮半島の問題も話しましたが、中国についても、「注文はないが、希望はある」と言って、考えていることを話しました。

緒方 名文句だと、つくづく思いました。

不破 二十一世紀は、国際世論がいよいよ重要な意味をもつ時代になる、そのなかで中国の国際的な地位はますます大きくなるのだから、対政府外交と同時に、対世論外交――つまり、世界の世論、また各国の世論が、中国がどんな考え方で、どんな道理をふまえて行動しているのかを理解できるような外交を重視してほしい、という問題提起をしたのです。新中国の建国からしばらくの時期には、資本主義の諸大国とは外交関係がなかったなかで、平和五原則(五四年)やバンドン会議十原則(五五年)で、国際世論の大きな支持をえた歴史をふりかえったりもしました。

筆坂 不破さんは一般的な問題提起をしたのですが、中国側は、すぐ対日外交の問題にあてはめて、いろいろ考えたようですね。

なぜ日中関係に波風がたつのか、という疑問

不破 多くの人と話し合いを続けるなかで、中国側の考えの根底にあるものが、かなり分かったように思いました。

 まず、日中国交三十年の最初の二十年あまりは、大きな波乱なしに発展してきたのに、最近、なぜこんなに波風が立つのか。そこを、本当につかみかねていましたね。

 そこから、現在の困難をどうしたら打開できるのか。話し合ったほとんどすべての人がこのことを真剣に問いかけてきました。

 日本が過去の侵略戦争を反省することは、両国の友好関係の当然の前提に属することです。その歴史を否定したりあいまいにしたりすることは許せないが、そのことが、日中の平和友好の関係とどうして両立できないのか、こういう当惑の気持ちがあることをたえず感じました。

緒方 江沢民総書記の話にも、それが出ていました。「小泉首相は盧溝橋(ろこうきょう)を訪れ、抗日戦争記念館にも行った。しかし、今年四月に、ふたたび靖国神社を参拝した。私には理解できない」

不破 最初に戴秉国部長にさきの問題提起をしたあと、いろいろな機会に話は続けたのですが、いつも短時間の会話で、ゆっくり話し合えなかったのが、気掛かりになっていました。

 ところが、最後の日に、政府で対外的な宣伝を担当している閣僚の趙啓正さんから「ぜひ会いたい」との申し入れがあり、まとまった話ができたのは、たいへんよかったと思います。

 趙啓正さんも、最初は「日中関係について話してほしい」というお任せ方式でしたから、「あなたの問題意識を聞かないと、何を話していいかわからない」と言うと、十数年間、日中関係にたずさわり政治家とも財界人とも親交のある立場で、真情をこめて話してくれました。

趙発言には、日中関係の前途を思う真情があふれていた

筆坂 “中日間には、西洋とのあいだとは違った文化的共通点がある。日本人は漢字など中国の文化を輸入したといわれるが、それをその後、中国に返しているという側面もある。西洋の文化も、多くは日本で漢字化されて中国に返されたものだ。「共産党」という言葉でさえそうだ。国際法や商法も、日本から入ってきたものだ。私の祖父も、明治三十年代に日本の法政大学に留学していた。京都に訪問して、茶道などを見て、共通の文化的基礎を感じた。このつながりは、欧米人が追いつこうとしても追いつけないものだ。それなのに、なぜ、……”。こんなところから始まる、非常に含蓄の深い話でした。

緒方 続けての言葉も、真情があふれていました。“マスコミなどで、「中国はたえず歴史問題で日本に謝罪を求めてくる」などと書かれるが、中国は、現世代の日本人にたいして、前の世代のための謝罪を求めることはしない。ただ、「過去の戦争が正しい」という認識は、これからにとって危険だ。あの戦争で中国で多くの人が死に、強い恐怖感をもっている。だから、そういう間違った認識がもちだされれば、反論せざるをえない。歴史問題は、テニスにたとえれば、日本がつねに「サーブ」をして、中国が「リターン」するという関係。靖国問題や教科書問題がなければ、私たちの側から何かをいうことはない”、というのです。

筆坂 それにたいする不破さんの答えは、歴史をふまえた端的なものでしたよ。

“不破さんには、もっと早くお会いしておきたかった”

不破 私は、ごく基本的な見方を整理して話したのです。

 日本には、ドイツやイタリアと違って、あの戦争を推進した政治の流れが残された。一度A級戦犯の容疑で逮捕された人物(岸信介)を首相にまでした自民党だから、党内には、戦争擁護派が一つの流れとして存在していた。しかし、国民の多くが戦争を経験しており、また中国にたいする友好的な気持ちが強かった時代には、彼らもその立場を大きな声では言えなかった。

 日本国民の友好的な気持ちを冷え込ませたのは、「文革」と、とくに天安門事件だった。この事件をテレビの映像で連日見たことが国民にあたえた影響は、非常に大きかった。また、世代的にも、戦争を経験しない人たちが、国民の多数派になってきた。

 こういう状況をとらえて、戦争擁護派の人たちが、いままで言えなかったことを、公然と言いだした、という状況がある。

 ここでは、事実と道理をもって、歴史問題の真実を明らかにし、国民的な議論を広げてゆくことが大事になっている。だから、私も、例の歴史教科書を批判しながら、日本の戦争の歴史を事実で明らかにする本を書いた。ただ、これは、日本の私たちの仕事だ。

 私が戴秉国部長との会談で提起したのは、この問題をふくめ、あなたがたのとる行動が、どんな考え方、どんな道理に立っているのかということが、日本の国民に分かるような努力をしてほしい、ということだ。趙さんは、対外宣伝の関係を担当しているとのことだから、とくにそのことを言いたい。こんな話をしたんです。

筆坂 趙さんは、「哲学的にも論理的にも理解しやすい話だった。もっと早くお会いしておきたかった。ずいぶんいろいろな政治家とつきあってきたが、こんな話は聞いたことはなかった」と言っていましたね。「今度来る時は、テレビで中国国民に話してください」とつけくわえて。

緒方 不破さんがズバリ天安門事件の批判をしても、顔色一つ変えませんでした。

 最後に飛び込み的に入ってきた会談でしたが、いい締めくくりになった、と思います。

 ――最後に、中国の人たちは、みなさんの活動ぶりをどう見ていたのでしょう。

筆坂 自分たちでつくった日程なのに、不破さんが平気でそれを精力的にこなしてゆくのには、つくづく感心していましたよ。

緒方 いろいろな機会に日本共産党の人間性を感じたようですよ。首脳会談のあとの深夜の記者会見の時も、“最初から笑いも出るリラックスした雰囲気なので、驚いた”という。“ほかの政党はどうなの”と聞くと、“重々しくてきびしい空気だ”と。また日程がほぼ終わったあと、“日本の政党の場合、トップが威張っていて、われわれにだって命令口調という場合も多いのに、あなたがたは、いっしょに笑い、いつも自由に話をしあっている。不破さんはわれわれにもあたたかい。日本共産党の人間味を感じとってうれしかった”と感想をもらしました。こんな面でも、思わぬ交流ができた思いですね。

 ――興味深いお話をしていただき、ありがとうございました。


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