2002年2月8日(金)「しんぶん赤旗」
日本共産党の志位和夫委員長が七日、小泉首相の施政方針演説にたいして衆院本会議でおこなった代表質問(大要)は次の通りです。
日本共産党を代表して、小泉首相に質問します。首相が「自民党を変える」と叫んで政権を発足させてから九カ月がたちました。しかし、小泉政権が、これまでの自民党政治の古い枠組みを、少しも変えるものではなかったことは、いまや明らかであります。
私は、政治姿勢、経済、外交などいくつかの角度から、その問題点を究明し、わが党の提案をおこなうものです。
まず、小泉政権の政治姿勢にかかわる、三つの重大問題についてただしたい。
第一は、一月下旬、東京で開かれた「アフガニスタン復興支援国際会議」のさい、日本の二つのNGO(非政府組織)が不当に排除された問題であります。
ことの経過は、すでに明りょうです。自民党の鈴木宗男議員が、外務省に圧力をかけ、野上事務次官ら外務官僚がそのいいなりになってNGOを排除した――そのことは、排除されたNGOの代表者の発言、国会での外務省事務当局の答弁、そして首相自身が外務省は「特定の議員を気にしすぎた」と答弁していることでも明らかです。これは決して「外務省内」のささいな問題ではありません。政府を批判したという理由で、重要な国際会議からNGOを不当に排除した、重大な国際問題なのであります。
ところが首相のとった対応は、不当に圧力をかけた側には事実上の「おとがめなし」、不当な圧力をただした田中外務大臣を更迭するというものでした。今回の件について、NGO排除を撤回させるという田中外務大臣のとった対応は、首相も「正しい」と認めました。それならば、いかなる理由で更迭したのか。“族議員”と外務官僚をかばい、真相隠しのために外相を更迭したのではないか。このどこに「改革」があるでしょうか。古い汚れた自民党政治そのものではありませんか。国民にわかる言葉で説明されたい。
鈴木宗男議員による外務省の私物化は、今回だけの問題ではありません。昨年十二月に開かれた「アフガニスタン復興NGO東京会議」でも、アフガンの地元のNGO代表者を招く費用を、外務省がODA(政府開発援助)の資金で負担する計画に、鈴木氏が横やりをいれ、計画が中止されるという事態がおこっています。鈴木氏からNGO代表に、「NGOには一銭も金をやらんからな。覚えておけ」という罵詈雑言(ばりぞうごん)もあびせられたということです。外務省事務当局者は国会で、「鈴木先生はNGO予算、ODA予算を実施していく上で、たいへんに関係の深い人」と答弁しています。首相にうかがいますが、鈴木議員が、ODA予算にまで深い影響力をもっていた事実を、どう認識しているのでしょうか。
首相は、「今後、鈴木議員の影響力は格段に少なくなるでしょう」と答弁しましたが、これは裏を返していえば、これまでは鈴木議員が外務省に「格段」の影響力をもっていたということになります。
首相は、“族議員”といわれる政治家の一声で、一国の外交が左右され、ODAの使途まで左右される――こうした国政私物化の異常な実態を放置しておくつもりでしょうか。それを本気でただそうというのなら、行政の最高責任者として、行政がどうゆがめられたのかを責任をもって究明し、国民と国会に報告すべきではありませんか。
もちろん国会としても、この問題を徹底究明することは重大な責務であり、わが党は鈴木宗男議員の証人喚問を強く要求するものです。首相の見解を問うものです。
第二は、加藤紘一自民党元幹事長の秘書、鹿野道彦議員の元秘書が、公共事業の受注に介入し、ばく大な「口利き」料をせしめていた疑惑です。この疑惑は、背後にいる政治家の力をぬきに考えられないことであり、真相の徹底究明が必要です。
この事件にたいして首相は、「疑惑をもたれた場合は、まず個々の政治家が説明すべき」と、人ごとのような態度に終始しています。しかし、自民党は、九二年の佐川急便事件で、国民から激しい批判をうけたさいに策定した「政治改革の基本方針」で、「党所属国会議員による国民の疑惑を招いた事件については、党自らがその解明にあたる」と、国民に公約しているではありませんか。首相は、党総裁として、疑惑究明を「自ら」の問題として、責任をもっておこなうべきです。答弁をもとめます。
今回の事件は、政治家がその地位・特権を利用して、公共事業に介入し、国民の税金を食い物にしていた、九三年の「金丸ゼネコン事件」の生きうつしです。あの事件のさいにも自民党は、「悪弊の根を断ち切る」と国民に約束したはずです。首相はなぜ、それが実行されず、「空文句」に終わるほかなかったと考えますか。企業・団体献金という諸悪の根源に切り込まなかったからではありませんか。「口利き料」だろうと、「政治献金」だろうと、どんな名目であれ、政党も政治家も、企業・団体からは献金を受け取らない――このルールの確立なしに、あれこれの取り繕いをやっても、問題は解決しないと考えますが、首相の答弁をもとめます。
第三は、BSEいわゆる狂牛病の問題です。いま全国の畜産・酪農家は、一頭六十万円の牛が数千円にもなる価格暴落など、存亡の危機ともいうべき苦境に陥っています。
その責任はあげて政府にあります。日本におけるBSEの発生の危険は、九六年四月のWHO(世界保健機関)の勧告、一昨年十一月から昨年五月にかけてのEUの勧告などで、くりかえし警告されてきました。にもかかわらず、政府が、肉骨粉の法的禁止をおこなわず、行政指導にとどめてきたことが、今日の事態を招いたのであります。
とりわけ重大なのは、これが過去の内閣だけでなく、小泉内閣でも引き継がれてきたことです。小泉内閣、武部農林水産大臣のもとでだされた、昨年四月二十七日付の日本政府のEUにたいする書簡では、EUの警告にたいして「日本は未発生国だから、危険だという指摘はあたらない」として逆に抗議をしています。六月十五日付の日本政府の書簡では、EUにたいして日本にたいする危険性の評価作業をやめるよう申し入れています。
自分たちに都合の悪い評価にたいしては、根拠のない抗議をつづけ、あげくのはてに評価をやめよという。これが国民の命に責任をおうべき政府のとるべき態度でしょうか。小泉首相は、この深刻な責任をどう自覚しているのですか。
とりわけ、武部大臣は、法的禁止の措置をとってこなかった自らの責任をたなあげにし、農民にむかって「行政指導を知らないことは恥ずかしいとは思わないか」と責任を転嫁するなど数々の暴言をおこなってきました。与党は、数の力で、武部大臣の不信任案を否決しましたが、数の力で、大臣の資質、資格、能力がないことを補うことはできません。総理、更迭すべきは、武部農水大臣ではありませんか。
わが党は、塗炭の苦しみにあえいでいる畜産・酪農家、食肉関連業者にたいする被害補償と、牛肉の安全供給のための万全の措置をとることを、強くもとめるものであります。
つぎに経済政策について質問します。いま日本経済は、所得、消費、生産が連鎖的に落ち込み、景気悪化と物価下落が同時にすすむ、「デフレの悪循環」とよばれる、戦後、日本でも、他の主要国でも経験したことのない未曽有(みぞう)の危機に陥っています。
失業率は、史上最悪の5・6%にたっし、多くの国民が、失業と倒産の不安と苦しみにさらされています。
この経済危機にかかわって、私は、まず二つの基本的問題について、首相の認識をただしたいと思います。
一つは、バブル経済崩壊後の十年あまり、かくも長い期間、日本経済が長期不況から脱出できない原因と責任がどこにあるかという問題です。
首相は、新春の記者会見で、「(この十年間)政府は、財政政策、金融政策を目いっぱい打ってきた。にもかかわらず経済が再生しないのは、構造に問題があるからだ。だから構造改革が必要だ」とのべました。
しかし歴代自民党政府が「目いっぱい」やってきた財政政策とは、「景気対策」のかけ声で無駄な公共事業を積みまし、大手ゼネコンを救済することでした。「目いっぱい」やってきた金融政策とは、超低金利政策をつづけたうえ、七十兆円という国民の税金をつぎこんで、大銀行を救済することでした。
反対に、庶民の家計にたいしては、消費税の増税、医療・年金・介護など社会保障の切り捨て、リストラ推進政策による空前の失業など、無慈悲な仕打ちがつづきました。「目いっぱい」やったというが、この十年余、庶民の家計を活発にするためのどのような施策がおこなわれたというのか。何もやってこなかったではありませんか。
こういう政治がまねいた結果は何か。政府統計によると、一九九〇年から二〇〇一年までの十一年間で、サラリーマン世帯の消費支出は、マイナス5・1%、月額で一万八千円余も落ち込んでいます。未曽有の経済危機の根本には消費大不況があるのです。
庶民の家計からお金を吸い上げ、大銀行や大手ゼネコンにそそぎこむ――このゆがんだ政策こそ、経済の六割をしめる個人消費、家計消費を、底がぬけたように落ち込ませ、長期不況からの出口を閉ざしてきたのではありませんか。このことへの反省はないのですか。首相の見解を問うものです。
いま一つは、首相のいう「構造改革」をすすめたら、いったいどういう日本になるかという問題です。いま「痛み」にたえれば、明日の幸せがあるのか――多くの国民は、ここに根本的な不安と疑問をいだいています。
たとえば、「不良債権の早期最終処理」という方針が、もたらしているものは何か。私は、小泉政権発足の直後、昨年五月のこの本会議質問で、これを強行すれば、大倒産と大失業をまねき、景気をますます悪化させ、不良債権も減るどころか、かえって増えることになると強く警告し、経済の実態を良くする対策を講じてこそ不良債権問題の解決の道が開かれると主張しました。
事態は、私が危ぐした通りとなりました。それは、昨年十二月に発表された政府の『経済財政白書』でも、「不良債権の相当な処理をしてきたのに、新規の発生が止まらず、不良債権は増加を続けている」と認めていることです。
総理は、いま現場で何がおこっているかご存じでしょうか。大銀行による中小企業への血も涙もない「貸し渋り」「貸しはがし」による大量倒産がおこり、金融庁主導によって昨年来五十をこえる信用組合、信用金庫がつぶされています。これをつづけて、この先どんな展望があるでしょうか。
不良債権の“終わりなき処理”の先に残るのは、一握りの巨大銀行だけ、不況にあえぎながら日本経済を草の根でささえている多くの中小企業は押しつぶされ、地域経済は壊され、労働者は失業に追い込まれる――こうした荒涼たる未来しかないではありませんか。国策として中小企業をつぶす亡国の政治は、ただちにあらためるべきです。
小泉内閣は、「聖域なき財政構造改革」をかかげ「国債発行三十兆円以下」を叫んできましたが、実態はどうでしょうか。来年度予算案で公共事業を一兆円削ったとしながら、同じ日に決めた第二次補正予算案では従来型の公共事業が二・五兆円積みましされました。約五兆円の軍事費は増額されました。公共事業費と軍事費――この二つの分野はまさに「聖域」ではありませんか。
「三十兆円」のかけ声で削減されたのは、結局、医療など社会保障の切り捨て、高齢者マル優の廃止をはじめ国民生活のための予算でした。ここでも暮らしを痛めつける政治が、景気の悪化を加速させ、税収が落ち込み、それを穴埋めするために四兆円もの隠れ借金をつくり、「三十兆円」という公約は、すでに空文句となっています。この先にあるのは、財政も、景気も、共倒れという、最悪の結末ではありませんか。
小泉内閣は、「民間にできることは民間に」と、庶民のマイホーム資金の約半分を提供してきた住宅金融公庫の廃止、二百万人の人々が現に賃貸住宅に生活している都市基盤整備公団の廃止、未来をになう若者が頼みの綱としてきた日本育英会の廃止を決めました。世界一高い大学の学費をさらに値上げしたあげく、無利子の奨学金を有利子の「教育ローン」にきりかえるような、若者にたいするむごい政治をやりながら、「米百俵」と格好をつけるのは、いいかげんにやめていただきたい。
政府は営利企業ではありません。たとえ採算はとれなくとも、国民のために必要な公共的な仕事をするのが政府の役割です。首相のいう「構造改革」とは、住宅、教育、福祉など、国民のためになくてはならない政府の公共的な仕事も、「効率」の名で切り捨てることなのですか。
結局、小泉政権の「構造改革」とは、“強きをたすけ、弱きをくじく”――血も涙もない徹底した弱肉強食を、すすめるものではありませんか。一握りの大きな銀行と企業だけをもうけさせればよい、国民生活、国民経済、国家財政がどうなろうと、責任をおわないというものではありませんか。
これが、すでに破たんした九〇年代の歴代自民党政権の大企業中心の経済政策と、いったいどこが違うのか。それをもっと乱暴に、もっと冷酷非情にしただけではありませんか。首相の答弁をもとめます。
いま日本の経済と社会は、自民党のゆがんだ政治のもとで、人間をあまりにも粗末にする風潮が蔓延(まんえん)しています。
私は、日本経済を再生させ、国民が明日の暮らしに希望のもてる日本をつくるためには、人間を人間として大切にする経済社会のルールをつくることが、強くもとめられていると考えます。
そのために日本共産党は、三つの分野について提案をおこなうものです。
第一は、雇用をまもる社会的責任を、企業に果たさせるために、政府が本腰をいれてのりだすことです。
EUの内閣にあたる欧州委員会では、昨年七月に、「企業の社会的責任」についての提言を発表し、企業は、株主のためにただもうけさえすればよいのではない、雇用、環境、取引業者、地域社会などにたいする社会的責任を果たすべきであり、そのことが企業の競争力にも貢献するという原則を明らかにしています。
首相、この流れと比べたとき、雇用も地域経済も無視して、人減らしとリストラ競争に走る日本の大企業の姿、それを応援することに終始する日本政府の姿は、あまりにも異常だと考えませんか。
わが党は、つぎの提案をおこなうものです。
――「希望退職」「転籍」の強要なども有効に規制できる解雇規制法、地域経済や自治体に打撃をあたえる一方的な工場閉鎖などを規制する立法措置など、リストラを規制するルールをつくること。
――長時間労働の本格的な是正のために、まず、「サービス残業」とよばれるただ働きの根絶と、有給休暇の完全取得を徹底するため、それを保障する事業計画をつくることを企業に義務づけるなどの立法上の措置をとり、さらに、年間三百六十時間を残業の上限とする現在の大臣指針を、法的規制とする労働基準法改正にとりくむこと。
――失業給付について、欧州各国でおこなわれているように、失業者がつぎの職業につくまでは、原則として労働者の地位を失わず、生活保障がされるという考え方にたって、抜本的な拡充をはかること。
以上の提案について、総理の見解をもとめます。
第二は、ほんとうに持続可能な社会保障制度をつくるために、国がこの分野に最優先で財政支出をおこなうことです。
医療保険制度について、小泉内閣は、高齢者の一割自己負担の徹底、サラリーマンの三割自己負担への引き上げなど、患者の窓口負担を引き上げることで、医療費抑制をはかろうとしています。すでに重い自己負担で、深刻な受診抑制が引き起こされている事態に、おいうちをかけるこの方針に、国民から強い不安と批判の声があがっています。
ヨーロッパの主要国では、患者の窓口負担はごく少額であり、日本のように重い負担をもとめている国はありません。サミット七カ国を、公的医療保険制度のないアメリカをのぞいて比較してみると、医療費の窓口負担を中心とする医療・健康のための費用が、家計消費支出にしめる割合は、イギリス1・2%、ドイツ4・5%、フランス3・7%、イタリア3・2%、カナダ3・7%と少額であるのにたいし、日本は11・1%もしめています。総理は、これを異常と思いませんか。
もともと医療保険制度は、病気にかかった時に、だれでも安心してお医者さんにかかれるためにあるのです。日本のように高い保険料を払ったうえ、肝心の病気になった時には、重すぎる窓口負担で医者にかかれない――これは詐欺同然のやりかたであり、まともな保険とはいえません。負担をさらに重くするならば、国民的規模での健康悪化をまねき、結局は医療費の増大をもたらし、保険制度を持続不可能にさせてしまうのではないでしょうか。
わが党は、こうした見地をふまえ、つぎの提案をおこなうものです。
――患者窓口負担を引き上げて医療費を抑制する政策はただちに中止し、ヨーロッパなみの水準に窓口負担を引き下げる方向に政策を転換すること。
――欧米に比べて高すぎる薬剤費を大幅に引き下げて、医療費の真の効率化をはかるため、新薬の価格が異常に高く、新薬の使用比率が異常に高いという、大手製薬会社をぼろもうけさせている薬剤費押しあげの構造をただすこと。
――公共事業の浪費を一掃し、社会保障を財政の主役にすえ、国が社会保障にたいする財政的責任を果たすこと。
総理の答弁をもとめるものであります。
第三は、“税金は、所得の少ない人からは少なく、多い人からは多く”という原則にたって、税制の民主的再建にとりくむことです。
いま「税収の空洞化」が問題になっています。たしかに一九九〇年度から一九九九年度までの間に、国税収入は約十一兆円も大幅に減りました。その原因を首相はどう認識しておられるでしょうか。不況の影響はありますが、同じ時期に不況とはいえGDPは約一割のびており、それだけでは説明がつきません。この時期に、歴代政府が、高額所得者減税、大企業減税をくりかえしてきた結果ではありませんか。
首相は、「あるべき税制について議論する」といっています。それでは首相の考える「あるべき税制」とはどのようなものか。
私は、資本主義社会という競争社会のなかでは、いやおうなしに貧富の格差が拡大する、そのときに国が関与して、富める人から貧しい人に所得を再分配し、格差を是正する――ここに税制が果たすべき役割があると考えます。
いまもとめられているのは、“税金は、所得の少ない人からは少なく、多い人からは多く”という原則――直接税中心、総合・累進、生計費非課税という原則にたった、税制の民主的再建ではないでしょうか。
政府の統計でも、日本はすでに主要国で、もっとも貧富の格差の大きい国の一つとなっています。こうした国では、税制による所得の再配分の機能は、いっそう重視されるべきではないでしょうか。
わが党は、つぎの提案をおこなうものです。
――所得税の課税最低限の引き下げや消費税増税など、庶民増税の計画は中止し、まず消費税の減税にふみだすこと。
――所得税は、株式などの課税が不当に低くなる分離課税を総合課税にあらため、最高税率の引き上げなど累進税制の再構築をはかること。
――法人税は、さまざまな税のがれの仕組みによる大企業優遇の不公平税制をあらため、くりかえしの法人税減税によって、国際的にもアメリカ、ドイツ、フランスなどに比べて、実質で三割から四割も低くなってしまっている、日本の大企業の税金と社会保険料の負担を、適正なものにすること。
以上、わが党の提案にたいする首相の見解をただすものであります。
政治の役割は、一握りの大きな銀行や企業のもうけに奉仕することにあるのではありません。人間は、企業のもうけの道具ではありません。働く人、子どももお年寄りも、男性も女性も、国民のすべてが、人間として大切にされる社会をつくることこそ、政治の役割であり、この道に転換してこそ日本経済の真の再生も可能になると、私は強く確信するものであります。
最後に、外交・安保にかかわって、二つの点にしぼって質問します。
一つは、米国が、テロ根絶を看板にして、報復戦争をアフガニスタン以外の世界各国に広げる動きを強めていることについてです。
ブッシュ大統領は、一月二十九日におこなった一般教書演説のなかで、「対テロ戦争はアフガンで終わるどころか、まだ始まったばかりだ」とのべ、報復戦争をソマリアやフィリピンなど、世界各国に広げることを公言しました。
また、北朝鮮、イラン、イラクを、「大量破壊兵器を使って平和を脅かすテロ支援国家」「悪の枢軸国」だと決めつけ、「あらゆる手段を講じる」として、軍事力による攻撃も示唆しました。一連の米国政府高官からは先制的な軍事力行使も辞さずという発言が出されています。
アフガンへの報復戦争の結果、約四千人ともいわれる罪のないアフガン市民が空爆で殺されたことを、世界は忘れてはなりません。この戦争を、世界各国に拡大して、今年を「戦争の年」にしてはなりません。報復戦争を、アフガン以外の国に拡大することには、米国の同盟国からさえ強い批判と懸念の声があがっています。日本政府としてきっぱり反対の立場をとるべきではありませんか。
また特定の国を「悪の枢軸国」と決めつけ、一方的な軍事力行使も辞さないとする立場が許されるでしょうか。わが党はすみやかな核兵器廃絶を一貫して主張しており、大量破壊兵器をもつ国が拡大することにはもちろん反対ですが、アメリカが「その疑惑あり」と決めつければ、勝手な先制攻撃も許されるなどというのは、国連憲章にもとづく世界の平和の秩序を破壊する無法そのものです。日本政府は、この米国の立場も是とするような、情けない追従姿勢をとるのでしょうか。首相の答弁をもとめます。
いま一つは、首相が施政方針演説のなかで、「関連法案を今国会に提出する」とした、有事法制の問題です。有事法制とは、戦争を想定して、国民の基本的人権に制限を加え、首相に権限を集中させる、非常時体制をつくることです。ところが、首相の演説を聞いても、「いったい何のための有事法制か」が、さっぱり明らかではありません。
首相は、「テロや不審船」を理由の一つにあげていますが、これらは国際社会のルールにそくして、警察と司法の力で解決がはかられるべき問題であって、戦争のための非常時体制づくりとは、まったく次元を異にする問題です。
「日本が武力攻撃を受けたさいの備え」ということもいわれますが、日本にたいして大規模な武力攻撃をおこなう国が、どこにあるというのですか。昨日の代表質問で、自民党の幹事長は、このことにかかわって、わが党に見当違いの攻撃をおこないましたが、日本への大規模な武力攻撃は「当面は想定できない」ということは、防衛庁長官自身が国会での答弁でのべていることなのであります。
そうしますと、結局、米軍がアジアで介入戦争を始め、ガイドライン法を発動して自衛隊がその戦争に参戦する、そのさいに日本国民を総動員する――ここに有事立法の真の狙いがあるのではないか。
一月二十二日、内閣官房が提出した「有事法制の整備について」という文書では、「有事法制が対象とする事態」について、「わが国に対する武力攻撃」とともに、「武力攻撃に至らない段階から適切な措置をとる」とのべています。ここでいう「武力攻撃に至らない段階」とは具体的にどういう事態を想定しているのですか。ガイドライン法でいう「周辺事態」もこれに入るのではありませんか。
首相は、「備えあれば憂いなし」といいますが、危険な「備え」をつくることで、後顧の「憂い」なく、日米共同の海外での戦争にのりだしていく体制をつくることに、有事立法の真の狙いがあるのではありませんか。
わが党は、憲法の平和原則、基本的人権をふみつけにするこの違憲立法に、きびしく反対をつらぬくものです。
日本の平和にとっての最大の「備え」は、憲法九条であります。卑屈なアメリカ追従外交から抜け出して、憲法九条を生かした自主・自立の平和外交への転換をはかることこそ、二十一世紀に日本が生きる道があることを強調して、質問を終わります。
日本共産党の志位和夫委員長の代表質問(七日)にたいする小泉純一郎首相の答弁(要旨)はつぎのとおり。
◇
【NGO排除問題、“族議員”による国政私物化】外相更迭は外務省の問題が国会全体の問題になり、事態の打開をはかるために協力してもらったものだ。
議員がそれぞれの役所に意見を言うのは自由だ。外務省もよく気をつけて適切な判断をするように、川口外相にも指示した。
ODAの使途には、与野党問わずさまざまな議員が意見を言ってくる。その意見によっていかなる政策決定がなされるかはよく判断すべきだ。証人喚問の問題は、よく国会の場で議論していただきたい。
【「口利き」疑惑】世間から疑惑を持たれている場合は、まず個々の政治家が国民に説明するのが基本だ。その上で、国会としてどのような対応が必要かよく議論をしていただきたい。
かならずしも企業・団体献金が悪とは思っていない。一定の制約のもとに、民主主義のもとでの政党というのは、どのように資金を調達すべきか、どのような形で資金を受けるべきか、そしてその政党の活動をどのようにして支えていくべきかは、大変重要な問題だ。政治活動・政党活動の全部を税金でまかなってよいという立場には立たない。
【BSE問題】EUの指摘もふまえてわが国独自の判断として発生時にそなえた対応のあり方等について危機意識を持って検討を行っていく必要があった。当時の対応について、BSE問題に関する調査検討委員会において議論している。
牛肉の供給は、すでにすべての牛を検査し、BSEに感染していない牛肉だけが流通する体制が確立している。BSEの発生以後、生産者・関係事業者への影響を緩和するため、格段の施策を講じている。感染経路の究明や、関連対策の実施に取り組んでいる。
農水大臣には今後とも職責を果たし、国民に安心していただく体制を全力をあげてとってもらう。
【長期不況、経済失政への反省】政府は累次の経済対策等を通じ、公共投資等による需要追加策や減税による景気回復策を講じてきたが、効果を発揮していない。「改革なくして成長なし」の方針のもとに構造改革を断行していく。
【不良債権処理の後に残る経済・社会の姿について】わが国のもつ潜在力をいかに発揮させるかが重要であり、不良債権処理の促進、規制改革などにより、新しい経済・社会のしくみをつくりあげる。
先般閣議決定した「改革と展望」において、今後二年程度の集中調整期間は、低い成長を甘受せざるをえないが、中期的に、民間需要主導の着実な経済成長が実現されるように、努力したい。
【政府予算案では公共事業と軍事費が聖域になっている】公共投資関係費については、十三年度二次補正(予算)で、構造改革に資する分野に注力して、社会資本の整備をおこなった。十四年度予算においては、その水準を前年度に比べ一割削減するなかで、環境問題等への対応、都市の再生など重点分野へ配分をおこなっている。
防衛関係費は、経費の効率化、合理化に努めつつ、中期防の着実な進ちょくをはかるべく、必要最小限の経費を継続している。
【国債発行枠三十兆円と財政規律の問題について】国債発行額三十兆円を守ったことで、将来の財政破たんを阻止するための第一歩を踏み出すことができた。予算を切れ目なく執行して、改革を断行しつつ、デフレスパイラルに陥ることを回避するよう、細心の注意をはかる。
【日本育英会の廃止、奨学金や学費値上げについて】日本育英会は、廃止した上で、国の学生支援業務と統合し、新たに独立行政法人を設置して、この法人で奨学金事業等を総合的に実施する。奨学金は、十四年度予算案において、無利子、有利子を合わせて、貸与人員を増員し、充実をはかる。国立大学の授業料は、私立大学の授業料の水準等を踏まえ、平成十五年度から、必要な改定をおこなう。
【構造改革は“弱肉強食”ではないか】民間にできることは民間にゆだね、地方にできることは地方にゆだねるという原則は、共産党とは違う。共産党は、「役人をもっと増やしたほうがいい」「税金をもっと使え」だ。構造改革がめざすのは、個人が自由な創意、工夫のもとに、能力と個性を発揮し、存分に活躍できるしくみを備えた社会、努力が報われる、再挑戦ができる社会だ。
【リストラと企業の社会的責任について】企業がその存続をはかるために、雇用調整を余儀なくされる場合がある。そうした場合も、地域経済への影響に配慮し、従業員の雇用の安定に最大限努力すべきことは、企業の社会的責任であり、仮に、労働者が離職を余儀なくされる場合でも、企業がその再就職を支援していくことが重要だ。離職を余儀なくされる方々が、円滑に再就職できるよう、雇用のセーフティーネットの整備にとりくむ。
【解雇規制法等のリストラ規制について】雇用の流動化が進むなかで労働関係をめぐる紛争防止の観点から、解雇基準やルールを明確にすることは大切だ。厚生労働省が、労使をはじめ、関係者の意見を十分聞きながら検討している。雇用対策法において、相当数の労働者を離職させる場合には、再就職援助計画を策定することを事業主に義務づけている。
【労働時間の短縮】政府目標の年間千八百時間の達成・定着のため、年次有給休暇の取得促進、所定外労働の削減に重点をおいて、労働時間の短縮にとりくんでいる。
年次有給休暇を取得しやすい職場環境の整備にむけ、周知・啓発に努め、所定外労働の削減についても、大臣指針が順守されるよう指導している。サービス残業は、その多くが賃金未払いという違法なものであり、解消に努める。
【失業給付について】昨年四月から、中高年のリストラによる離職者にたいし、手厚い給付日数にし、訓練延長給付の拡充をおこない、円滑な再就職の促進に努めている。単純な給付日数の延長は、失業者の滞留につながるおそれもあり、慎重に対応すべきだ。
【医療保険制度について】保険医療支出が消費支出に占める割合は、諸外国に比べて高くない。わが国の保険料は、同じ社会保険方式をとるドイツやフランスよりも、むしろ低い。
公的医療保険制度における患者負担の占める割合を諸外国と比較しても、著しく高くない。今後は、「給付は厚く、負担は軽く」というわけにはいかない。
【薬剤費について】薬剤費比率は、過去十年間で30%から20%へと大幅に低下し、外来薬剤費でみた場合、欧米並みになっている。平成十四年度の薬価改定においても、いわゆる先発品の薬価について、新たに平均5%の引き下げをおこない、新規性の乏しい新薬についても、価格の適正化をはかるなど、さらなる薬剤費の適正化を進めていく。
【公共事業の浪費を一掃し、社会保障を財政の主役に】社会保障予算については、主要経費のなかでは最大の項目となっている。
【税制の民主的再建】わが国税収は現在、低い水準にとどまっているが、これは近年の景気の低迷や累次の減税の実施などによるものだ。これら減税措置は、平成十一年度の恒久的な減税措置をはじめ、きびしい経済状況等に最大限配慮したものだ。
あるべき税制については、中立・簡素・公平な税制をどう実現するのか、適切な租税負担水準や地方分権にふさわしい地方税のあり方など多岐にわたる課題について、予断なく総合的に取り組む。
個人所得税については累次の税制改正により、課税最低限は引き上げられ、税率の累進構造も緩和された結果、大幅な負担軽減が図られ、その負担水準は主要先進国中最も低い。
法人税はこれまでも租税特別措置の整理・合理化等に取り組んでいる。その実効税率は国際水準並みだ。
消費税は、上げるとも下げるとも言わず、いろいろな意見を聞きながら議論をする。
今回の税制改革の議論にあたっては、すべての税項目について、予断なく、予見なく、幅広い観点から検討をおこなう。
【報復戦争を世界各国に広げる動きへの態度】ブッシュ米大統領は一般教書演説で国際的なテロに対する取り組みの重要性を強調しているが、報復戦争や特定の国に対する将来の具体的な軍事行動についてはのべていない。
わが国は、国際的なテロの防止および根絶に向け、米国をはじめとする国際社会の取り組みに主体的な判断をもって寄与していく。
【有事法制について】日本国憲法のもと、わが国の独立と主権、国民の安全を確保するため平素から必要な体制を整えておくことは、国としての責任だ。有事への対応に関する法制の整備にあたっては、法制があつかう範囲、法制整備の全体像等を明らかにしていくが、有事法制は「周辺事態」におけるわが国の対応措置を念頭に置いたものではない。
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