2002年3月23日(土)「しんぶん赤旗」
千葉県房総半島の先端に位置する館山市は戦争中、「帝都防衛」の最重要拠点として軍事要さい化された地域です。その戦跡の発掘や保存、ガイドをライフワークとして取り組む高校教師の愛沢伸雄さん(50)=安房歴史教育者協議会世話人=は、「これらの戦跡は、有事法制の危険性を告発しています」と訪れる人たちに語っています。
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海と花畑で知られる館山市。一方で、市内には館山海軍航空基地や砲術学校の各施設、砲台、水中・水上特攻基地、本土決戦に備えた地下ごうなど、無数の戦跡が残されています。
十年前から戦跡の調査や保存活動を生徒たちといっしょにすすめてきた愛沢さんは「最近、戦跡をめぐるツアーの希望も殺到しているんです」と笑います。三月十九日には、婦人民主クラブ(再建)東京協議会の女性約四十人が訪れました。
一行が訪れたのは、館山海軍航空基地跡に隣接する「赤山」地下航空要さい跡と、戦争末期に掘られた「一二八高地抵抗拠点地下ごう」。岩山に無数のトンネルを張り巡らせた赤山地下要さいは、司令部、武器庫などに使用されたといいます。
「館山海軍航空基地は中国爆撃を担った侵略の中心。地下ごうは本土決戦の拠点で、天皇や大本営を松代(長野県)に移すまでの“捨て石”だった場所です。降伏が数週間遅かったら、沖縄と同じ悲劇が起こったかもしれません」と、地下ごうのなかで解説する愛沢さん。参加者からも「身近な千葉に、こんなに大きな地下ごうがあるとは…」とため息がもれます。
こうした戦跡の実態が長い間埋もれてきたのには理由があります。要さい周辺は、憲兵や特高警察のきびしい監視下におかれました。また、住民が住民を監視する体制も築かれ、ものをいえない土地にしてしまったのです。「戦争の準備とはそういうものです。国民の目と口をふさぎ、総動員していく有事法制とまったく同じです」と愛沢さんは語ります。
戦争の犠牲は特産の花にもおよびました。全国でも有名な房総の花畑も、三八年の「国家総動員法」を受けて栽培が禁止されました。植えれば「非国民」。「取り締まりはきびしく、青年団が納屋を調べて歩いたそうです。しかし、抵抗する農民がひそかに山奥で栽培し、命がけで苗や種を現在に伝えたのです」
愛沢さんはいいました。「戦前の過ちを二度と繰り返してはいけません。有事法制を阻止するためには『知ること』が大切です。戦争のとき自分たちの地域がどうだったのか学ぶことで、地に足がついたたたかいができると思うのです」
参加した婦人民主クラブ(再建)の伊藤正子さん(86)は「私も夫を戦争で失うなど大変な思いをしてきた一人として、有事法制は絶対許せないという思いを強くしました。今日聞いた話を、ぜひ周囲の人に伝えたい」と語っていました。
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