2002年4月5日(金)「しんぶん赤旗」
武部勤農水相の辞任を求めていたはずの公明党が、農水相問責決議案の採決に欠席することを決めたことで、決議案は自民・保守の反対多数で否決される見通しとなりました。
「農水相の責任を主張していた以上、反対はできないが、国民生活を考えると政権の安定も必要だ」(白浜一良参院幹事長)というのが、採決に欠席する理由です。食の安全に対する失政という武部農水相の重大な責任を小泉首相と一緒になって棚に上げ、政権へのしがみつきという党略を優先したものです。
参院での閣僚への問責決議というのは、文字どおり院の意思として閣僚の政治責任を問うものであり、今回の問責決議案についていえば、BSE問題をめぐる「重大な失政」の政治的責任を武部農水相に問うものです。
この問責決議案にすら賛成できないというなら、公明党の武部氏辞任要求とはいったいなんだったのかということになります。
小泉純一郎首相は、公明党が問責決議案の採決に欠席することについて、「(公明党は)これからも協力してやってくれる。たまには対応に違いがあってもいい」(四日)とのべるなど、余裕すらみせました。公明党(創価学会)が連立を離脱するはずはないということを見透かしての発言です。
実際、神崎武法代表は、改めて武部氏の辞職を要求した三日の記者会見で、「連立を離脱することを考えて(武部氏の辞職要求を)申し上げているわけではない」とのべていました。これをみて、小泉首相は武部農水相の「続投」方針を決め、公明党は「やむを得ない」(神崎代表)とあっさり「理解」を示したのです。
この態度は、マスコミからも「公明、1日で腰砕け」(「日経」四日付)、「『腰砕け』の印象は免れない」(「毎日」四日付)と冷やかされるほどでした。
二月の武部農水相不信任決議案に反対したのに続き、三月には鈴木宗男衆院議員に対する議員辞職勧告決議案の上程にも反対して、ダーティーパーティーの批判を浴びた公明党。汚名を返上し、政権与党内で存在感を高めたいと考えたのか、勢いよく武部氏の辞任を要求したものの、結局はいつものように腰砕け。政権にしがみつく公明党の姿勢をいっそう国民に印象づける皮肉な結末を迎えています。(小)