2002年4月17日(水)「しんぶん赤旗」
小泉内閣は十六日、有事法制三法案を閣議決定しました。日本共産党は同日、有事法制に反対するアピール「アメリカの戦争に国民を強制動員する『戦争国家法案』を断固阻止しよう」を発表しました。全文は次の通りです。
小泉内閣は、本日十六日、「武力攻撃事態法案」「自衛隊法改正案」「安全保障会議設置法改正案」の有事法制三法案を閣議決定しました。
有事法制は、戦後、日米軍事同盟のもとで、憲法をふみにじって自衛隊が創設されていらい、アメリカと自民党政府がいっかんしてめざしてきた野望ともいうべきものです。アメリカがアジアに介入戦争をおこない、自衛隊を従えた共同作戦を遂行しようとするとき、この作戦を全面的に支える国家体制をつくろう、国民総動員の体制をつくろうとするところに、戦後の有事法制策動のねらいがありました。
三年前に「戦争法(周辺事態法)」が強行され、同法にもとづくアジアでの戦争シナリオ・日米共同作戦計画も、すでにつくられてきました。この日米共同作戦に国民をどうやって動員するかが、日米両国政府のつぎの課題となり、有事法制の準備が加速されました。とりわけいま、アメリカがテロ問題への対処を口実に、「悪の枢軸」論をかかげ、無法な戦争と軍事介入の政策をつよめています。閣議決定された法案は、戦後準備されてきた有事法制の到達のうえに、こうしたアメリカの戦略に日本がいっそう深くかかわっていくため、具体化されたものです。
私たち日本国民は、この半世紀以上にわたり、日本を二度と戦争を起こす国にしてはならないと、固く誓ってきました。人権抑圧が戦争にむすびついた戦前の痛苦の教訓のうえにたって、国民一人ひとりの人権、自由が大切にされる社会をつくることを、共通の理想としてめざしてきました。
アメリカいいなりで日米軍事同盟を最優先させる自民党政治のもとでも、戦後、日本が曲がりなりにも戦争をしかける国にならなかったこと、人権と自由の考えが日本社会に定着してきたことは、こうした国民の努力の貴重な成果です。そして、この国民の努力を励まし、支えてきたのが、ほかならぬ日本国憲法です。戦争の放棄を高らかにうたい、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と宣言した憲法を力に、国民のたたかいは前進してきたのです。
こうした国民の努力に逆行し、有事法制が国会提出されるもとで、いま国民には、国づくりの根本にかかわる問題が問われています。この日本を憲法の諸原則にたった国にするのか、それともアメリカがおこなう戦争に協力し、戦争を最優先する国家体制をつくるのかという問題です。
日本共産党は、戦争国家づくりへの道を断固として拒否します。そのために、すべての国民のみなさんがたちあがることを、心からよびかけます。
今回の法案は、戦争を放棄した憲法第九条をじゅうりんすることを、大前提にしています。戦争することが最優先だという立場にたって、人権や自由、議会制民主主義、国民主権、地方自治など憲法の民主的な諸原則を踏みにじることを、当然のこととしています。まさに「戦争国家法案」とでもよぶべきものです。
広範な国民を意思に反して戦争に強制動員することが、法案の基本的な中身です。
法案では、すべての国民に戦争協力の義務のあることが、はっきりと明記されています。とりわけ、保有している土地、家屋等を差し出すこと、自衛隊が使う物資を保管し、提出すること、医療・輸送・建築・土木などの従事者が協力すべきことは、欠かすことのできない義務とされています。
それだけではありません。政府が指定する民間企業も戦争協力が義務づけられます。道路公団や空港公団、JR各社など運輸関係、電力十社やガス会社などのエネルギー関係はもちろん、NHK、NTTなど言論や通信にかかわる企業、日本銀行や日本赤十字社も対象となる予定です。まさに生活の全分野で国民を動員するのです。
しかも法案は、戦争に際しては「自由と権利」に「制限が加えられる」ことを、平然と宣言しています。国民の権利を無視して強制動員しようというのです。権利の制限は戦争に対処するため「必要最小限」にするといいますが、戦争の必要が大きくなれば、権利の制限も大きくなるということです。どういう人権をどれくらい制限するのか、何の歯止めもありません。
重大なことは、自衛隊が必要とする物資の保管命令に民間人が従わない場合、さらに自衛隊による立ち入り検査を民間人が拒んだ場合、罰則をあたえると明記されたことです。これは、戦争への非協力、反戦平和の立場にたつことを国家が犯罪だとみなすということです。戦争協力が国民の義務であり、非協力は犯罪だ、これが法案の精神なのです。
今回の法案は、戦争を効果的に遂行することを最優先に、国の仕組みまで変えようとしています。
法案によれば、戦争に際して有事法制の発動を決定するのが首相ならば、自治体や民間をどのように動員するのかという「対処基本方針」を決定するのも首相です。この「基本方針」は安全保障会議に諮られますが、その議長は首相であり、「基本方針」にもとづき自治体や民間を統制する「対策本部」の本部長も首相です。文字通り首相に全権を集中する体制がつくられるのです。動員される側の自治体や民間は、これらの決定と異なる独自の判断をすることは認められず、意見をのべることさえ許されません。国民一人ひとりの生命、権利にかかわることなのに、政府が有無をいわさず強行する仕組みがつくられるのです。
さらに、今回の法案は、それぞれ独立の性格をもっていた国と自治体の関係をも、大きく変えるものです。自治体や公益事業にかかわる民間企業などにたいし、首相の「指示権」なるものを明記し、強制的に従わせようとしています。従わない場合、政府が代わって強制執行し、あくまで戦争遂行を優先させるのです。
今回の法案の以上の条項は、いずれも憲法の平和的、民主的な原則と密接にかかわるものです。しかも、憲法が明示的に否定した戦争遂行のための法案です。政府が独断ですすめてよいようなものではありません。ところが、法案によれば、首相が「基本方針」を決定するだけで、有事法制は発動されるのです。国権の最高機関であるはずの国会は、事後に、その承認を求められるだけです。国の仕組みが、国会を脇に置いて政府が独断専行する方向へと、大きく変わるのです。
国民を強制動員する問題でも、国の仕組みを変える問題でも、その口実となっているのは、戦争がいちばん大事だという考えです。国民の人権も国会の機能も、戦争を遂行するためには軽くあつかっていいのだというのが、政府・与党の基本思想なのです。戦争放棄の憲法をもつわが国で、戦争することが何よりも優先される、まさに「戦争国家法案」だといわざるをえません。
ひとたびこのような法律がつくられれば、有事にしっかりと発動できるようにすることを目的に、平時から戦争国家体制づくりが開始されることは明白です。戦時に協力できるか否かで思想チェックがおこなわれる職場づくり、避難訓練のたびに軍事力の大切さが教えられる学校づくり、隣近所で戦時の備えを確かめあう地域づくり――こんな日本をつくらせてよいのでしょうか。
小泉内閣は、日本を外国の侵略から防衛するためだということを、「戦争国家法案」の口実としています。国民の生命がいちばん大事なのだから、人権や自由は制約されてもよいというのです。
しかし、「戦争国家法案」がアメリカのアジア介入戦争のためのものであることは、提出された法案条文によって明白になりました。法案によれば、日本が武力攻撃される「おそれ」のある段階はもちろん、それが「予測」されるだけの段階であっても、国民動員条項が発動されることになっています。一方、三年前の「戦争法(周辺事態法)」でも、アメリカが戦争する際に日本が支援をおこなうのは、日本への武力攻撃に至る「おそれ」があるからだということが口実にされています(同法第一条)。有事法制が発動される事態は、周辺事態法が発動される事態と、重なり合っているのです。
中谷防衛庁長官も、日本共産党の赤嶺政賢衆議院議員の質問にたいし、「周辺事態のケースはこの(有事法制の発動対象の)一つ」と、断言しています。周辺事態法が発動され、米軍と自衛隊が共同でアジア諸国に軍事介入するとき、有事法制によって国民を強制的に総動員する――「戦争国家法案」のねらいはまさにここにあります。テロや不審船の問題を有事法制の口実にする議論もありますが、これらは海上保安庁をふくむ警察力でとりしまり、法の裁きをくだすべき問題であり、まったく次元が異なるものです。
三年前に戦争法がつくられましたが、自治体や民間を強制動員する条項がないことに、アメリカでは不満が強まりました。アーミテージ現国務副長官らは、一年半前に発表した報告のなかで、日本が集団的自衛権の行使を認めること、新ガイドライン・戦争法の実施のために有事法制をつくることを、平然と要求しました。今回提出される「戦争国家法案」は、こうしたアメリカの要求に全面的にこたえようとするものです。
そのアメリカは、いま、世界で横暴の限りをつくしています。テロには法による裁きをという国際社会の努力をふみにじり、戦争をしかけてアフガニスタンの多くの無辜(むこ)の人々の命を奪いました。中東では、イスラエルによるパレスチナ侵略を容認してきたのがアメリカです。また、アメリカは、核兵器をなくそうという国際社会の努力をあざけり、核兵器を使う戦争を現実のシナリオにしようとしています。
「戦争国家法案」とは、こんなアメリカの無法な戦争に協力するために、日本国民を総動員するためのものです。日本を戦争優先の国家にしてしまうことです。こんなたくらみは、絶対に許すことはできません。
小泉首相らは、「備えあれば憂いなし」ともっともらしくいいます。しかし、日本の戦前の歴史をみても、「備えあれば」として有事法制をつくったことが、侵略と抑圧の原動力になりました。シベリア出兵とともに「軍需工業動員法」がつくられたこと、「国家総動員法」が中国への全面侵略に際して成立したことも、有事法制が果たす役割を雄弁にものがたっています。この歴史の再現を許してはなりません。
今国会に提出される法案は、政府が考える有事法制の一部です。この一、二年のうちに、電波規制や空域・海域統制、民間防衛、有事版の対米物品役務提供協定(ACSA)関連法など、国民の戦争動員、米軍支援のための新しい法案が、つぎつぎと国会に提出される予定です。しかも、そのつぎには、言論統制や戒厳令など、今回は対象としないが将来の検討課題とされたものが、待ち受けているのです。憲法を守りぬくためにも、日本を戦争国家にしないためにも、いまたたかいにたちあがり、たたかいをひろげることが、どうしても必要です。
すでに、「戦争国家法案」の阻止にむけて、広範な諸団体による共同の輪がひろがりつつあります。国会では、多くの市民団体とともに、日本共産党、社民党、そして民主党の一部も含む共同の集会が開かれています。共同の輪をさらにひろげ、「戦争国家法案」を阻止する大きな流れをつくりあげましょう。
日本共産党は、戦前、侵略戦争に反対してたたかった唯一の政党です。戦争を支えた絶対主義天皇制の国家体制に抗し、自由と民主主義のためにたたかいぬいた政党です。この歴史と伝統を受けつぎ、国民的なたたかいの先頭にたって全力をつくす決意です。
「戦争国家法案」を阻止し、日本の進歩的な未来をきずくために、憲法の平和的、民主的な原則を守りぬくために、ともにたたかいにたちあがろうではありませんか。