2002年5月3日(金)「しんぶん赤旗」
憲法施行から55周年。憲法の平和的・民主的原則を根底からくつがえす有事法制=戦争国家法案の国会審議入りという重大な事態のなかで、5月3日の憲法記念日を迎えます。「有事法制は国家存立の基本」(小泉首相)だとして戦争国家体制づくりに突き進むのか、そうした企てを許さず憲法の諸原則を国づくりの基本にすえていくのか――いま、国民に鋭く問われています。
憲法「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(九条)
武力攻撃事態法案「この法律は…武力攻撃事態への対処のための態勢を整備し、併せて武力攻撃事態への対処に関して必要となる法制の整備に関する事項を定め(る)」(第一条)
アジア二千万人、日本国民三百十万人の犠牲のうえに、日本国民は二度と戦争を起こす国にしてはならないと誓ってきました。アメリカいいなりで日米軍事同盟を最優先する自民党政治のもとでも、日本が戦争をしかける国にならなかったのは、国民の努力の成果でした。
ところが、戦争国家法案は憲法九条じゅうりんを前提にし、アメリカの戦争に参加するための態勢整備を公然と掲げています。「武力攻撃事態」などといいますが、実際はアメリカがアジア介入戦争を起こした場合(周辺事態)にも有事法制を発動し、国民動員をしようとしているのです。
憲法「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(一一条)
武力攻撃事態法案「日本国憲法の保障する国民の自由と権利…に制限が加えられる場合は、その制限は武力攻撃事態に対処するため必要最小限のもの」(三条四項)
戦後、日本国民のたたかいは、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定めた憲法に支えられて前進しました。戦争国家法案は、戦争をすることが最優先という立場に立って、この基本的人権について平然と「制限が加えられる」ことを宣言したのです。
“こんな戦争には協力したくない”という思いで、食料や燃料の保管命令に違反した人は、罰則が適用されます。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(一九条)と明記した憲法の精神を正面からじゅうりんするものです。
現行法にも、土地収用法など「公共の福祉」のために個別の権利が制限される法律はあります。しかし、「武力攻撃事態法案」のように、国民の権利全般を網をかけたように制限する法律は現行憲法体制の下ではありません。
そのうえ、戦争国家法案は、二年以内に具体的な権利制限のための法律によって権利制限が自由にできるこの仕組みは、国民を「臣民」(天皇の民)として、その権利をすべて「法律ノ定ムル所ニ従ヒ」「法律ノ範囲内ニ於テ」と制限した明治憲法の精神をほうふつとさせます。
憲法「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)
武力攻撃事態法案「国民は…指定行政機関、地方公共団体又は指定公共機関が対処措置を実施する際は、必要な協力をするよう努めるものとする」(第八条)
戦前の日本では、国民には主権もなく、所有権、信教の自由、言論・集会・結社の自由が「法律の範囲内」で認められただけでした。国民主権、反戦平和の思想を犯罪とした治安維持法まであったように、自由と人権は徹底的に抑圧されました。そのことが無法な侵略戦争と結びつきました。
その痛苦の教訓から、日本国憲法は主権在民の原則を定め、政府に戦争行為を禁じたのです。
ところが、戦争国家法案は、主権者・国民の意思を問うこともなく、首相が「武力攻撃事態」と認定するだけで、国民を戦争協力に動員する仕組みをつくろうとしています。国民には戦争協力の「努力」義務まで課されます。主権在民の原則と対極の考えです。
憲法「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」(前文)、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」(第四一条)
武力攻撃事態法案「対処基本方針の承認の求めに対し、不承認の議決があったときは、当該議決に係る対処措置は、速やかに、終了されなければならない」(第九条四項)
憲法が、国会を「国権の最高機関」と位置づけるのは、主権者・国民の代表機関だからです。
ところが、戦争国家法案は、日本が「戦時」かどうかの認定や「戦時」体制下での全般的方針を決定する権限を首相に集中。「対処基本方針」を決定するだけで、有事法制が発動する仕組みです。
「対処基本方針」に国会が関与するのは、閣議決定後。法案が、「対処基本方針」の国会不承認のとき、米軍と自衛隊の作戦支援の「速やかに中止」を規定するのも、国会関与前の国、自治体、指定公共機関の戦争総動員が前提にされているからです。
しかも、首相は自衛隊の最高指揮官であるだけでなく、自治体、指定公共機関が戦争協力を拒んでも、直接乗り出して戦争協力を執行できるという強大な権限をも与えられます。国の仕組みが国会を脇において、政府が独断専行する方向へ大きく変えられます。
憲法「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」(第九二条)
地方自治法「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する」(第一条の二)
武力攻撃事態法案「…地方公共団体においては…国の方針に基づく措置の実施その他適切な役割を担うことを基本とする」(第七条)、「内閣総理大臣は、…地方公共団体の長等に対し、当該対処措置を実施すべきことを指示することができる」(第一五条)
天皇制政府が府県知事を任命していた戦前と違い、憲法は地方自治の原則をとり、住民が直接知事を選ぶようになりました。自治体は国の下部機構でなく、地方政治・行政は住民意思にもとづいておこなうためです。
ところが、武力攻撃事態法案では、国が定める米軍と自衛隊の作戦支援方針に「基づく措置」の実施が担わされ、それを拒否すれば、首相から法的拘束力のある「指示」が下され、場合によっては政府による強制執行もあります。自治体は、国のおこなう戦争協力機関にされてしまうのです。