2002年5月6日(月)「しんぶん赤旗」
笑顔のなかに平和をみつめる人。歌をとおして平和や命の大切さを問いかけるグループ。ピースウオークに参加して「ゴー憲法9条」と訴えた人。国会に提案されている有事法制について、「平和がいちばんだと思っているのに、どうして戦争の体制をつくるのでしょうか」と青年たちは訴えます。和田 肇記者
路上で似顔絵をかいている、こばしあさとさん(22)=大阪市在住=は、自分自身の平和からみ んなの平和を育てたい、と話します。「それなのに、有事法制は本当の戦争に個人をまきこむ。個人の思いを奪って国にまとめてしまう」
有事法制三法案は、国会を無視して首相が全権を行使できる体制をつくり、うむをいわさず国民を戦争に協力させる内容です。
大阪府、山形県、東京都、オーストラリアなど各地で六百人以上の似顔絵をかいてきました。「目を見ると、相手の人となりが分かるんですよ。平和も、目に表れる。優しいひとみになる」。まっすぐに目を見つめて話します。「この人は物足りなそうな目をしてる。この人は一生懸命頑張ってる…。曇っている目の人は、どうしてそうなのかなって考える」
時間の速さについていくのが大変、といいます。「今の社会は心に余裕がない。ホンマにやりたいことを掘り下げる時間がない。人と見つめあう時間がない」。自身も人と話すのがつらい時期がありました。「人から“とろい”といわれることが多かった」とも。
十七歳のとき、逃げるように留学したオーストラリアで、ゆっくり考える時間が持てました。もともと好きだった絵。路上で似顔絵をかくようになりました。おじいさんの似顔絵をかいていたら、人だかりができました。おじいさんは本当にうれしそうに笑っていました。「ああ、みんな幸せになりたいんだって思った」
こばしさんがかいたスケッチ |
こばしさんの似顔絵は、どれも自然な笑顔をしています。「戦争をする国になったら、笑顔が消えてしまう。芸術もまっ先につぶされそう。『役にたたない』って」
できることは、似顔絵で幸せの笑顔を広げていくこと。同時に核兵器廃絶を求める「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名も集め、二百人を超えました。
こばしさんは、自分の思いをスケッチブックの余白につづっています。
――人と人がつくる世界/人と人がつくる平和 幸せ/みんな平和がほしいのに/なぜ戦争があるのだろう
――出会った人々の笑顔は素敵でした/あさとは平和を笑顔の中にみました/未来を平和へすすめよう
森田恭弘さん(18)と森永悠太さん(18)=ともに予備校生=は、京都市内でおこなわれた有事法制反対のピースウオーク(四月二十九日)に参加しました。「ノー有事法制、ゴー憲法九条」と大声を出して歩きました。一枚のビラがきっかけでした。
ビラは「ストップ戦争法! 有事法制反対乙訓青年ネットワーク」がつくったもので「有事法制に反対する若者たちによる連名アピール」への賛同を求めていました。
森田さんにとって、有事法制は「ほんとにイヤ」でした。「戦争を放棄した憲法九条がありながら、どうして戦争をする体制をつくるんでしょうか」。すぐにファクスで賛同の返事をしました。
有事法制は、戦争への協力を国民に義務づけ、協力しない人が犯罪者にされるケースもあるからです。
デモ当日、予備校で友達の森永さんに声をかけました。森永さんは「『きょうデモあるから行かへん』って言われて、じゃあ行くかと」。屈託なく話します。
二人は日ごろから「戦争反対」の一致した思いをもっていたといいます。「戦争に反対するために、自分にできることは何でもやります」という森田さんの隣で、森永さんもうなずいていました。
ボーカルの岡林奈津子さん(23)=病院事務=がのびのある声で歌詞に命を吹き込みます。四人組のバンド、「ブロッコリー」のスタジオ練習。
「戦争は絶対反対。被害にあうのは僕らや子どもたち」とギターの内田広臣さん(31)=自営業=はいいます。「僕らの歌のメッセージは、遠回しな表現をしていますけど『平和』や『命』がテーマなんです」
東京を中心に活動する「ブロッコリー」は昨年、平和のメッセージを伝えるバンドをやりたいと岡林さんと林徹さん(32)=ベース=が内田さんに声をかけて結成しました。ドラムの下条淳一さん(32)=イベント会社勤務=は最近加わりました。
「有事法制についてあまり知らなかった」という内田さん。アメリカの戦争に日本をまきこむ内容だと知って、「そういうものには賛成できません」といいます。「武力じゃなくて、話し合いで解決する憲法の精神が理想ですよね。メディアはもっと『戦争する国になる』と報道してほしい」
岡林さんは「私たちの歌をきいてもらって、何か考えてもらえたらいいな」と話しています。
最賃体験を発表する埼労連青年部の人たち=4月22日、さいたま市 |
「最低賃金」で生活したら、人間らしい生活が何もできないよ――。埼玉県労働組合連合会青年部が三月にとりくんだ「最低賃金体験」でこんな結果が出ました。チャレンジャーは六人。月八万二千八百七十七円で生活する体験をスタートしました。しかしみんな、十日〜十五日目で挫折してしまいました。
感想は切実で、「朝食抜きで昼食は二百八十円の牛丼」「生命保険料と駐車場代が払えない」「二歳の子どものパンツが買えず、風邪を引いても医療費が払えない。ガス代二千円払うのもためらう」「飼い犬にえさをあげられない。自分も犬も病気に」「結婚式のお祝い金が出せない」。
「最低賃金制度」は、国が賃金の最低限度を定め、使用者はそれ以上の賃金を労働者に支払わなければならない制度。最低賃金法にもとづいて、各都道府県ごとに地域別と産業別の最低賃金が決まっています。
埼玉県の地域別最低賃金は一時間六百七十七円。一日八時間、二十五日働いたとすると十三万五千四百円。ここから税金や家賃を引いた額が八万二千八百七十七円というわけです。
埼労連の星野久実青年部長(28)は、「憲法二五条で『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とあるのに、最低賃金での生活は文化的、健康的とはとてもいえません。これまで県労働局や経営団体などに最低賃金の引き上げを求めて交渉してきましが、体験をもとに運動をさらにひろげたいと思っています」と語っています。
フリーター400万人、しかも6割が年収200万円未満――。長引く不況がとりわけ青年層に深刻な影響を与えています。
現在、フリーター人口は409万人で10年前の2倍以上に達しています(総務省「労働力調査」2月発表)。日高教と全国私教連の「高校生の就職決定実態調査のまとめ」によると、全国で就職を希望しながらできずに卒業した高校生がこの春5万2千人と推定されています。過去最悪を記録した就職決定率のもとでフリーターが増えています。青年(15歳から34歳)の失業率は7・8%と全体の失業率5・0%を大きく上回っています(総務省同調査)。
年収の低さも特徴的です。東京都内のフリーターの年収は100万円未満が18%、100万円以上200万円未満が41%。年収200百万円未満はあわせて59%にも上っています(日本労働研究機構「大都市の若者の就業行動と意識―広がるフリーター経験と共感」2001年=図参照)。
先の「高校生の就職決定実態調査」は、派遣、契約社員などの求人が急速に増えていると指摘。求人の絶対数が減少するなかでやむを得ず不安定雇用を選択する例も少なくないとして、次のように訴えています。
「こうした事態は本人にとって不安・不利なだけでなく、社会的にも失業率増大や労働条件切り下げの要因となり、景気回復の遅れにもつながるといわざるを得ません。企業も『人を育てる』という社会的使命を果たすべきです」
東京都世田谷区
中学一年生
はじめまして。僕は「しんぶん赤旗」を家でとっていますが、最近はニュースを見るのも怖くなってしまいました。どうかまた日本を平和にしてください。これからもがんばってください!
東京都 ダビデの星
18歳 高校生
私は、私立高校の三年生です。小学校に入るとき(日本に)帰化しました。ふだんは日本名を使っているけど、たまーに韓国名も使ってます。
誕生日に(日本共産党に)入党しました。十八歳になる日が楽しみでした。入るとき、悩んだりもしたけど入党しました。最近バイトが決まり少しほっとしたとたんに、バイトをやめさせられました。「君にはむいてないから辞めてくれませんか」っていわれました。でも負けたくないので、たたかっていきます。
埼玉県岩槻市 荒井雅彦
25歳 木造大工
家を造っています。この仕事を始めて七、八年になるかな。飽きっぽい性格だから、同じ間取りが二つとないこの仕事がおもしろいんです。仕事があるのは半年先まで。でもその先はどうなるか……。会社からは決まった金額の半分しかもらえないことがあって、仲間たちと元請けの大手企業と交渉しています。