2002年5月22日(水)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 政府が八〇年代半ばと九〇年代後半に超低金利政策をおこなったのは、どんな理由があったのですか?(福島・一読者)
〈答え〉 いま日本が続けている超低金利政策の出発点となったのは、一九八五年の五カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)による「プラザ合意」です。この会議で日本が率先して低金利政策をとることが決められ、その後一段と強化された結果、今日の実質ゼロ金利の事態にいたっています。
一九八〇年代、アメリカは国際収支の赤字拡大で債務国に転落しました。八五年に米・英・西独(当時)・仏・日の財政・金融当局の会議が開かれたのはこの事態への対応策を協議するためです。一ドル=二四〇円台だったドル相場を、暴落を避けながらドル安に誘導することと、貿易黒字国の日本と西ドイツが「内需拡大」と低金利政策をとることが決められました。
このとき、西ドイツは自国の経済政策の手をしばる低金利政策などに抵抗しましたが、日本は抵抗することなくアメリカの要求に屈し、低金利政策の先頭に立つことになりました。
そのねらいは、日本などの金利をアメリカより低くし、国内資金が高金利のアメリカに流れるようにすることです。アメリカは海外資金の流入で巨額の赤字を穴埋めすることができるようになりました。
一九九〇年代のアメリカは、世界最大の借金国でありながら日・欧に比べ好況が続いていましたが、日本などからの大量の資金がこれを支えました。日本は九〇年代末には、海外資産の純残高が一兆ドルを超す、とびぬけた「金持ち国」になりましたが、その資産は米国債などが大きな比重を占めています。
日本では、国民は低金利で利子所得を失い、バブル経済で大きな被害を受けました。その後も、銀行・ゼネコン救済などのための金利下げも加わって、九〇年代には三十兆円もの利子所得が奪われています。消費を低迷させ不況を長期化させる要因のひとつです。(水)
〔2002・5・22(水)〕