2002年6月9日(日)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 非核三原則が国是となったのは、どんな歴史があるのですか (福岡・一読者)
〈答え〉 核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則は、日本が守るべき基本原則として幅広い国民が支持しています。一九六七年十二月十一日の衆院で、佐藤栄作首相が総理として初めて口にしましたが、非核日本を願う国民世論と運動を背景に、国政の基本原則として確認されました。
国民の非核世論におされ、政府は以前から核持ち込みを認めないと表明していました。しかし当時は、沖縄返還をめぐり、沖縄におかれた核基地や核持ち込みなどにあいまいな佐藤内閣が、厳しく批判・追及されていました。佐藤首相が三原則に言及したのは、政府の政策を釈明するなかでのことです。一方、佐藤首相らは、野党側の三原則国会決議化などの動きには、異論をとなえ抵抗しました。
けれども沖縄に米軍基地などを押しつける佐藤内閣に国民的規模で反対が広がり、追い詰められた自民党らが七一年十一月二十四日、「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」を採択するに至りました。この決議は、非核三原則を単なる政府の政策でなく、「国民の総意として内外に鮮明にする」「国の基本方針とする」(趣旨説明)ものとされています。
その後、核兵器の持ち込みを黙認する日米密約が知られますが、非核三原則の法制化の要求や、寄港に核兵器を持たない証明を求める「非核神戸方式」、非核自治体宣言のとりくみなど、政府に三原則を守らせる国民の運動も強められました。一九七八年三月六日に「いかなる政府によっても守らなければならない」とした、当時の福田赳夫首相など、歴代内閣も非核三原則を国是としてきました。
今年五月三十一日、三原則が「変わることだってあるかもしれない」と福田官房長官が発言しましたが、国会決議やこれまでの政府の言明も否定する重大なものです。
(水)〔2002・6・9(日)〕