2002年6月15日(土)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 ことしも国民平和大行進がおこなわれていますが、これはどんな歴史があるものなのですか。(青森・一読者)
〈答え〉 「核兵器のない平和で希望ある世界を!」をスローガンにことしも原水爆禁止国民平和大行進がおこなわれています。十一の幹線コースを中心に、網の目行進も各地でとりくまれ、自治体との共同もひろがっています。いま、福田康夫官房長官の非核三原則「見直し」発言が国民の怒りをよんでいますが、四十四年前に平和行進が始まったときも、日本の核武装容認発言に批判がまきおこっていました。
日本の原水爆禁止運動は、一九五四年のビキニ被災をきっかけに大きな盛り上がりをみせました。しかし、アメリカ、イギリス、ソ連による核実験競争は激化する一方でした。アメリカは日本に核弾頭積載可能なミサイルなどを配備。国会では、岸信介首相が“核兵器保有は憲法違反でない”と発言しました。
こうしたなか、一九五八年六月二十日、広島から宗教者や被爆者、市民たちが「核武装阻止」などを訴え、第四回原水爆禁止世界大会が開かれる東京をめざして出発しました。これは「千キロ行進」と呼ばれ、同時に、七月二十日を中心に各県でも平和行進がとりくまれ、自転車リレーもおこなわれました。
この平和行進は、沿道の町民ぐるみ、学校ぐるみで出迎えられるなど、各地で大きな反響を呼びました。翌年の一九五九年は、東京、新潟、沖縄から広島へ向かう「五千キロ国民平和大行進」へと発展。以後、核兵器廃絶をかかげる平和行進は、四十四年間、かかさずおこなわれ、いまでは毎年十万人が参加する国民的な運動となっています。
この草の根からのとりくみは、核保有国までもが核兵器廃絶の「明確な約束」をせざるをえないところまで国際世論を動かしてきました。全国の地方自治体の77%が非核平和宣言をおこない、非核三原則が国是となっているのも、こうした国民的な運動の成果です。
(内)〔2002・6・15(土)〕