2002年6月17日(月)「しんぶん赤旗」
次つぎ押し寄せる人の波。十六日、東京・代々木公園で開かれた「STOP!有事法制 6・16全国大集会」に全国から集まった労働者、宗教者、女性、市民・平和団体、青年らは「いま、勝負どき。世論と運動を広げて広げて廃案にしよう!」と意気盛んです。
乳母車を押す若い夫婦も、首に数珠をさげた女性も、車いすのうえからも大きな拍手と歓声がわきます。黄色や黒色の法衣姿の僧侶も壇上いっぱいに並びました。
「平和をつくり出す宗教者ネット」の石川勇吉さんが開会宣言。真宗大谷派など歴史をもつ教団でも有事法案反対を次つぎ決議していることを紹介し、「有事法制は継続審議でなく、廃案しかありません」と訴えると、会場を埋めつくした参加者は「そうだ」のかけ声でこたえました。
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脚本家の小山内美江子さんが「地雷禁止」を訴える赤いシャツを着て登壇。「国民的作家の司馬遼太郎さんが大戦中、戦車隊の一員だったとき、(本土決戦で)『住民をどうしましょう』と上官にたずねると、『ふみつぶせ』の一言。沖縄でも同じだったと思う。軍隊は国民を守るものではありません」とのべ、「有事法制反対」と力をこめました。
小山内さんは、海上自衛隊が米軍の指揮下で実戦さながらの演習をしていること、メディア規制がねらわれていること、徴兵制の声すらでていることにふれ、「とにかく有事法制反対」と繰り返すと、会場からはひときわ大きな拍手がおきました。
「沖縄は常に有事法制のもとにおかれているといっても過言でない」と訴えたのは、「沖縄から基地をなくし、世界の平和を求める平和市民連絡会」の本永春樹さん。日本軍に農地をとりあげられ、陣地や飛行場づくりに動員された戦時中、銃剣とブルドーザーで米軍に土地を接収された戦後と、沖縄の歴史を紹介して、有事法制の危険性と、沖縄県民との連帯を訴えました。
日本弁護士連合会の伊礼勇吉副会長は、新聞に反対の意見広告を載せ、大阪では四百五十人の弁護士が十七年ぶりに街頭でデモをしたことを報告し、「日弁連もたたかい抜く」と訴えました。
「まほちゃーん」のかけ声がかかるなか、東京の高校二年生、白木まほさんが訴えました。「私にはまだ漠然としていますが、夢があります。戦争は私たち高校生の未来を台無しにします。戦争への道を開く有事法制をなんでつくるのか理解できません。過去に数え切れない犠牲者をだしたこと、戦争の結果、なにも残らなかったこと、いいことは一つもなかったことを政治家はもう一度思い出してほしいです」
全日本海員組合の片岡和夫副組合長は、海員組合が世界大戦で戦没した船と海員への鎮《碑に、「われわれ船員は再び海を戦場にしてはならないと決意する」と刻んだことをのべ、「私たち船員は世界の人々と仲良くしない限り、その職務をまっとうすることができません。平和憲法をグローバルスタンダードにする努力にこそ、海洋国日本の安全保障がある」と有事法案が二度と日の目を見ないよう廃案にしようと訴えました。
徳島県の大田正知事、東京・国立市の上原公子市長、作家の澤地久枝さん、「フォーラム平和・人権・環境」のメッセージが紹介されました。
さまざまな組合ののぼり旗が壇上にかかげられるなか、陸海空港湾労組二十団体を代表し、大野則行・航空安全会議議長が「『有事関連三法案』の廃案までたたかい続ける」との宣言を力強く読みあげました。
集会には、北海道から沖縄県まで全国からの参加者が「有事三法案を廃案に」と決意をみなぎらせました。
山梨県から来た諏訪部農(すわべ・たかし)さん(25)=病院事務=は、ギターに平和のメッセージを書いてもらっています。「法案が通ってしまえば医者や看護師が戦場に送られてしまう。困っている患者さんは置き去りです。なんとしても廃案にして、メッセージを書いてくれたみんなの思いを実現させたい」
「有事法制は絶対まいね!」と書いたゼッケンをつけていたのは青森県の竹鼻昭三さん(69)=自営業=です。「まいね」とは「だめ」の意味。竹鼻さんは戦中、特攻隊に志願し、出撃前に終戦を迎えた経験を持っています。「軍隊では、上官の気分しだいで朝昼晩と殴られた。ゆるくない(楽ではない)ながらも平和に暮らしているのに、ふたたびそういう日本にしようという政府が憎い。有事法制は絶対『まいね』だ」
町田とし江さん(46)=東京・調布市の保育士=は、職場で学習会や署名集めの取り組みをしてきました。「若いお母さんが『そういうことが起こってるんですか』と署名を持って帰ってたくさん集めてくれたので、運動を広げやすかった。子どもたちの未来を守りたい。廃案にするまでがんばります」
自作の横断幕を持って「はせさんじました」という中島祥子さん(57)=主婦=は、毎週月曜日、東京・大塚駅前で署名集めをしています。「反対の声は女性が圧倒的。最近、集まるペースがどんどん早くなっています。言うべきことを言わずに後悔しないよう、いま、がんばります」
名古屋市の南生協病院で働く加藤考一さん(53)らは、地域で有事法制反対の共同行動実行委員会をつくり、百人から「一言アピール」を集める取り組みをしてきました。「五月三日に憲法集会を開いたときは、“ひょっとしたら”廃案にできるかも、という情勢だった。いま、“必ず”廃案にしようというところまで政府を追い詰めている。ここで油断せず、もうひとまわり、ふたまわりの輪を広げたい」
「大事なことですから」と、代々木公園の端に腰かけて集会を見守っていたのは、沖縄のミュージシャンの喜納昌吉さん。喜納さんは同集会の賛同人の一人でもあり、仕事の合間をぬって参加しました。
「有事の時こそ平和の道を探さなければなりません。日本はその先頭に立つべきなんです。有事法制はあってはいけないもの。日本は早く目覚めて、その動きを修正しなければいけない」