2002年6月26日(水)「しんぶん赤旗」
「日経」(五日付)反対46%、テレビ朝日(九日放映)反対52・2%、NHK(十日放映)「廃案にすべき」17%・「成立にこだわらず十分審議すべき」70%――国民が内容を知るにつれ反対の声が大きくなる有事法制三法案。こうした国民の声をふみにじって、有事法制強行の先頭に立っているのが公明党です。
自衛隊発足後半世紀余、歴代自民党内閣が果たせなかった、憲法破りの有事三法案の国会提出自体、公明党の存在なしにできなかったことです。
公明党は、九九年十月の自自公政権合意で、有事法制について「今後、所要の法整備を行うことを前提に検討を進める」ことで合意。衆参両院で安定多数を得たことから、それまで自民党政府が有事法制研究にかけてきた、立法化を前提としないという“縛り”を解除することを決めたのです。
翌年三月には、与党の実務者レベルで有事法制の立法化を政府に申し入れ。今年一月に始まった与党緊急事態法制協議会でも、“歯止め”をかけるどころか、冬柴幹事長が「罰則をもって強制するとか、担保するということは、法律をつくる以上、無理からぬ部分がある」(三月二十日、協議会後の記者説明)とのべるなど、法案提出を最優先に政府・防衛庁の主張を丸のみ。
公明党が自民、保守両党とともに中央公聴会日程を強行採決した衆院有事特別委(5月21日)。その後、与党は白紙に戻しました |
有事法案が国会に提出されてからも、神崎武法代表がいち早く「公明党としては特に、健康保険法の改正と(武力攻撃事態対処法案などの)いわゆる有事法制を軸に考えていきたい」(五月一日、中国・香港で)とのべるなど、有事法制最優先の立場を鮮明にしてきました。
与党が衆院有事法制特別委員会で、いったん中央公聴会の日程を単独採決した際(五月二十一日)も、公明党が推進役。「公明党が与党単独審議という強硬路線を容認する姿勢を示したことが大島氏(自民党国対委員長)の背中を押した」(「日経」五月二十八日付)と評されました。
会期内での成立が不可能になると、自民、保守両党とともに四十二日間の会期延長。冬柴幹事長は「有事法制も通すように努力する」「五十時間を超える審議を重ねている。(審議が)熟したところで採決したい」(十九日、都内の講演)と成立に執念を燃やしています。
しかも、国民の批判と不安の強まりから、有事法案への反対や慎重審議を求める決議が地方議会で増えてくると、本部の地方議会局が決議妨害を指示。「看過しがたい重大な事実誤認や意図的な曲解が含まれて」いるとして、“反論”用の文書(六月六日付)まで全国に送付。実際、石川や長野では、制定を求める意見書まで提出する動きに出ています。
海外での武力行使に道を開き、米国の戦争に国民を強制動員する有事三法案―こんな危険な本質と実態を必死でごまかして、国民におしつけようとしているのが公明党です。
たとえば、公明党は、有事法案(武力攻撃事態法案)について、「憲法の枠内」とごまかすため、「自衛隊に武力行使に関する新たな権限を付与するわけでも、また武力行使に関する制限を緩和するわけでもない」などと主張しています。
しかし、これまでの海外派兵法(PKO協力法、周辺事態法など)が“武力行使の禁止”を明記していたのと違って、武力攻撃事態法案は、海外で活動する自衛隊に「武力の行使」という「権限」を明記した法案であることは明白。政府自身が、その権限を行使する対象である「我が国に対する外部からの武力攻撃」に、公海上の自衛隊艦船など海外で活動している自衛隊への攻撃が含まれることを認めています。
そのうえ、米軍がアジア太平洋で軍事介入した場合の周辺事態と「武力攻撃事態」が重なることから、これまで禁止されてきた米軍の武力行使との一体化も「緩和」されます。同党議員でさえ、「周辺事態で活動する米軍に自衛隊が後方支援することと、武力攻撃事態で自衛隊が米軍と一緒に行動する、この二つが同時並行で起こってくる」(五月十六日、衆院有事特別委)と認め、この二つを区別することは「理屈の上では可能でも、実態面でそういえるのか」といわざるを得ませんでした。
かつて有事法制が問題になった一九七八年に、公明党は「戦争前提の研究が、現行憲法の範囲内で許されるものなのかどうか、極めて疑問である。平和憲法という精神から考えた場合、むしろそれに背反しているといわなければなるまい」(公明新聞七八年八月四日付)とのべていました。公明党はいまや「平和憲法」に完全に「背反」した立場に身を置くことになりました。