2002年9月19日(木)「しんぶん赤旗」
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会談の部屋は、北京飯店の最上階・十八階があてられた。入り口に「会見庁」と書かれているから、もっぱら会談や会議用に設けられたものらしい。
入り口近くまで出迎えてくれた戴秉国(たいへいこく)部長とまず固い握手。
戴秉国さんは、日本共産党と中国共産党の関係正常化の歴史で、私の記憶に多くのことを刻みこんでいる人物である。
一九九七年十一月、都議団のみなさんが超党派で訪中したとき、それにくわわった日本共産党の木村陽治幹事長らに、中国側から関係正常化の希望が伝えられたのが、事実上のことの始まりだった。そして、その意志をはじめて公開の形で明らかにしたのは、「人民日報」(十二月十九日)に出た戴秉国さんのインタビューだった。
今後一年間の対外連絡活動の抱負を語ったこのインタビューのなかで、戴さんは、日本共産党との関係の回復を、解決すべき第一の課題としてあげたのだった。私は、それにこたえて、翌九八年一月五日の「党旗びらき」のあいさつで、私たちの側でこの提起に応じる用意があることを明らかにした。
私の記憶のなかのそれに続く情景は、四月二十二日、訪日した胡錦涛(こきんとう)国家副主席との対面の席である。この日、私は、小渕外相主催の歓迎夕食会に招かれて参加したが、これは、毛沢東派の干渉による関係断絶以来、はじめてのことだった。車のラッシュで辛うじて定刻すれすれに会場に入ったところ、誰もが同じラッシュにぶつかっていたわけで、席についているものは一人もおらず、一斉にカメラの放列にさらされたことを覚えている。
夕食会がコーヒーを飲みながらの懇談の席にかわったところで、私は、中連部の方々に囲まれ、それが戴秉国さんとの初顔合わせで、いろいろ話し合った。肝心の胡錦涛さんの方は、あいさつしようという人たちが列をなしている状況で、なかなか接近の機会がえられない。
懇談が終わって、胡錦涛氏一行が動きだした瞬間をとらえて、私は、一行の列に近づき、「あうんの呼吸」で瞬間的な握手とあいさつをかわした。
不破 あなたの来日を歓迎します。
胡錦涛 ありがとうございます。あなたとまたお会いできることを希望します。
不破 その希望は私も同じです。
そこには、もちろん私たちのカメラマンも、中国側のカメラマンも同席していない。瞬間的な出会いは記憶のなかだけの映像に終わったかとあきらめていたが、三カ月後の訪中のときに、大きな木の板で裏打ちした拡大写真を胡錦涛さんから贈られて、びっくりした。
聞けば、“中国側の一員が手持ちのカメラで、とっさに出会いの瞬間をとり、とれたかどうか心配しながら現像したところ、りっぱに写っていたので、思いがけない成功に、みんなで快哉(かいさい)を叫んだのだ”という。
今度の会談の席でも、またひとしきりその話題が出たので、「私の自宅の壁に飾ってあります」と答えた。私にとっても、歴史的瞬間の、貴重で記念碑的な写真である。そこには、握手する二人の後ろに、喜びの笑みをたたえた戴秉国さんの顔も写っている。(つづく)