日本共産党

2002年10月16日(水)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(29)

中央委員会議長 不破哲三

28日 李鉄映さんとの三時間(四)


政府の電子工業相としての経験から

 李鉄映(りてつえい)さんは、会食のなかで、彼が政府の電子工業相だった当時の思い出を話しはじめた。経歴を見ると、「一九八五〜一九九三年、電子工業部長」とあるから、およそ一九九〇年前後の話と推察される。

 「私は電子工業相のとき、日本の企業と話し合ったが、中国にたいする技術移転には非常に消極的だった。このため、中国はみずから国産化の努力をして、電子部品の研究を強化し、その後、大きな発展をとげることができ、カラーテレビ生産量九百三十万台とか、そういう前進をかちとってきた。ところが、いまでも、いろいろな産業界に、同じような消極的態度が見られる。なぜ、そうなのか。私は“困惑”するだけだ。どうして中国の発展をはかりながら、日本自身も発展するという考えにならないのだろうか。ここでも、『脱亜入欧』から、アジアにもどらなければいけないのではないか」。

中国市場での立ち遅れは、日本でも大問題になりつつある

 この話を聞きながら、私は、一カ月ほど前の朝日新聞(七月二十日付)に、「日本経済再生の戦略を考える」では「中国パワーを視野に」、という特集が組まれていたことを思い出した。そこで、ある論者は、携帯電話の問題をとりあげ、携帯電話の中国市場はすでに二兆円を超しているのに、そこでの「日本企業のシェアは悲惨な状態だ」、携帯電話のブランドで評価されている外国企業といえば、ヨーロッパやアメリカの企業ばかりで、残念ながら松下もソニーも出てこない、「日本企業が中国をまともな市場と見ていなかったからではないか」と、痛烈な批判の弁を展開していた。

 そこで、私は、李さんに言った。

 「日本の経済界でも、最近、なぜこれだけ中国進出で立ち遅れたかということが、問題になり始めている。そこには、日本の財界・資本家に、長い視野での戦略目標を立てる姿勢がなく、まちがった政治の風に流されやすい、という問題がある。そのことが、あなたを“困惑”させた原因ではないか」。

「脱亜入欧」から「アジア回帰」へ――二十一世紀の戦略的な課題

 「ただ、私は、日本の電子工業界は、技術移転に消極的だったことで、結果的にはあなたがたを“援助”したことになった、と思う。日本企業がそういう態度をとったからこそ、あなたがたは奮起して、技術面でも自主的な発展につとめ、今日の状況をつくりあげてきた。

 おそらく日本側は、中国の発展能力を過小評価し、技術移転によって中国の競争力を強化することを恐れて、そういう態度をとったのだろうが、その結果は、思惑とは逆の結果となった。中国の電子工業界は発展し、日本の電子工業界は中国市場への進出に決定的な立ち遅れをきたした。これは、目先の利害だけにとらわれて、長期の大局を見失うと、結局は大損をするということ。これが、市場経済なんですよ」。

 電子工業相の経験者であるだけに、「脱亜入欧」ではなく「アジアへの回帰」を日本経済界に求める李鉄映さんの訴えには、事実がもつ切実な響きがあった。

 いま、マスコミの上でも、経済界自身のなかでも、いろいろな動きや議論が広がっているが、日本の経済が二十一世紀にアジアに本当の意味で根をおろそうと思ったら、その場その場の対症療法的な対応ではなく、二十一世紀にふさわしい戦略的な視野をもって、日本と中国の経済関係の構築にあたることが、避けるわけにゆかない、緊急切実な課題となるだろう。(つづく)

 


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