2002年10月24日(木)「しんぶん赤旗」
いまの中国の指導部には、理工系統出身の幹部が多い。経歴の一覧をみると、江沢民総書記は電機学部(上海交通大学)、胡錦涛さんは水利工学部(清華大学)、朱鎔基首相は電機製造学科(清華大学)、李鉄映さんは物理学部(チェコ・カリシ大学)、明日お会いする予定の趙啓正さんは近代物理学部(科学技術大学)といった具合である。李軍さんにその話をしたら、「中国では建設が政治の中心問題ですからね」と言い、「王家瑞さんは、労働者出身ですよ」と付けたした。
一覧を見ると、王家瑞さんの職歴は、「長春市郵政局の配達員」から出発している。同時に、経済学や工業経済学で博士の資格を持つことも、そこには記録されている。「労・知両道」というか、ユニークな経歴の持ち主である。
会食の席では、日本の政局から世界政治のあれこれまで、話題は多彩なものだった。
王さんとは、三月の訪日のさいに、会ったことがあった。当時は、国会が一連の疑惑のただなかにあった時で、私はこれらの疑惑のいきさつを詳しく解説した。
そんなことから、まず口火を切ったのは、「加藤(紘一)さんはどうなりましたか。鈴木宗男さんはどうなりましたか」という王さんの質問だった。私が「加藤さんは国会議員をやめ、鈴木さんは国会はやめないで目下“獄中闘争”中(笑い)ですよ」と答えたあと、鈴木氏がその“獄中闘争”の手引書を本会議場に持ち込んで“学習”中、その現場をマスコミのカメラに撮影されて大きな話題となったこと、「しんぶん赤旗」のカメラが鈴木氏を追跡しているつもりで、ちょっとした角度のぶれから、別の自民党議員の口利き疑惑の証拠文書を撮影してしまい、その議員(副大臣)が辞任のやむなきにいたったことなど、日本の複雑な国会状況についての話題が広がった。
やがて、王さんが、ペルー、コロンビア、チリなど訪問したばかりのラテンアメリカ諸国の最新の状況を説明、「あなたがたは、ラテンアメリカの動向をどう見るか」と、私に質問の矛先をむけてきた。
私は、それらの国ぐにを訪問したことはないが、チリの革新派との接触の経験は、いろいろある。とくに一九七三年、アジェンデ民主連合政権がピノチェトらによる軍事クーデターで打倒され、アジェンデ大統領自身も殺された時には、チリの共産党、社会党の代表が日本を訪問し、私はそれぞれ会談したことがあった。また連帯組織として、アジェンデ大統領夫人を日本に迎えたこともあった。
その当時の思い出を簡単に話したあと、私は、ラテンアメリカ問題を語るとき、忘れるわけにゆかない出来事――一九八四年にキューバを訪問してカストロ首相と会談したときの問答を紹介した。
「私は、以前から、キューバが、『ラテンアメリカは一つ』というゲバラ流の考えをいまでも持ち、各国の革命運動の自決権を認めていないのではないか、という疑念を持っていました。八四年のキューバ訪問の一つの意図は、この疑念を直接ただしたいというところにありました」。
中国側の出席者たちは、興味をかきたてられたようで、まじまじと私の顔を見る。
「私たちは、野党だから、外交的な気兼ねの必要はあまりないのです」。こう前置きして、私は、訪問の最後の夜、カストロ首相と会談した時に、民族自決権にかかわる三つの問題について、直接、キューバの真意をただしたことを話した。
第一は、いまのべた問題、つまり、「あなたがたは、ラテンアメリカ各国の革命運動の自主権を認めているのかどうか」だった。カストロ首相の答えは明確なもので、「われわれは、各国の革命運動の自主権を尊重する。干渉的なやり方はキューバの方針ではない」というものだった。
第二は、当時キューバが、アンゴラ、モザンビークなどに軍隊を送っていたことについて、どんな立場、どんな考えから派遣しているのか、という質問である。カストロ「要請があるから軍隊を送ったが、私たちが送りたいのは、本当は医師と教員なのだ」。実際、キューバでは、国内で必要とされる以上の医師と教師の養成がおこなわれており、その人たちが「国際主義者(インターナショナリスト)」と呼ばれていることを、私は知っていた。(つづく)