日本共産党

2002年12月18日(水)「しんぶん赤旗」

「北方四島支援事業」はなぜ始まった?


 〈問い〉 ムネオハウスの舞台になった「北方四島支援事業」は、どうして始まったのですか。(大分・一読者)

 〈答え〉 いわゆる「北方四島」支援事業は、ソ連崩壊直後の一九九二年ごろ、食料・医療品などの支援が始まりとされます。九三年一月に旧ソ連諸国と日本政府が結んだ協定で、諸国の「市場経済への移行」促進を目的とする「支援委員会」が設立され、事業が本格化しました。九七年の橋本竜太郎首相とエリツィン・ロシア大統領の会談で”二〇〇〇年までの平和条約締結”の努力が合意されると予算が急増しています。千島問題などの交渉材料にしようとの自民党的思惑がみられます。

 支援の窓口となった支援委員会は、外務省職員一人と駐ロシア大使、被援助各国から一人の政府代表で構成され、東京に事務局がおかれました。運営実態は不透明で、事業内容の実質決定権は日本政府にありました。「北方四島」支援では、ロシア政府や現地の住民から外務省のロシア支援室に要請がなされ、同支援室が決定して支援委員会事務局に指示したとされます。ODA(政府開発援助)の(1)相手国政府の正式要請(2)国際協力事業団の現地調査(3)外務省の検討(4)閣議決定(5)相手国政府と交換公文―という手続きとも異なり、外務省内の一室が特異な決定権限を持っていました。

 支援事業の源資となった支援委員会への日本政府からの拠出金は、外務省が支援委員会に支出した段階で国の予算執行が終わり、支援委員会は国際機関ということで会計検査院の検査も入りませんでした。

 歴史的・法的事実に立脚してソ連の無法な千島列島占領と、それを容認したサンフランシスコ条約の誤りを正すのでなく、「経済支援」などでロシア側の歓心を買おうとする卑屈な外交政策が、鈴木宗男衆院議員のような利権政治家の暗躍を許しました。支援委員会は今年度で廃止の方針ですが、国際的道理に立つ自主独立外交の確立が切実な課題です。

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 〔2002・12・18(水)〕


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