2007年1月17日(水)「しんぶん赤旗」
靖国神社に殉職自衛官が合祀されているの?
〈問い〉 靖国神社への殉職自衛官の合祀(ごうし)に1971年まで旧厚生省がかかわっており、その後もかかわっていると聞いていますが、実際はどうなのでしょう。またそうであれば政教分離の原則をおかすものではないですか?(京都・一読者)
〈答え〉 靖国神社が境内で配布している「やすくに大百科」や「靖国神社の概要」には殉職自衛官についてはまったく書かれていません。ただし、靖国神社に自衛隊が部隊として参拝していることは事実です。
公表されている限りでは、自衛官の殉職者は、東京・市ケ谷の防衛省敷地内にある慰霊碑地区(メモリアルゾーン)の顕彰者とされ、「自衛隊ニュース」06年11月15日付では警察予備隊以降の顕彰者累計は1777人となっています。しかし、自衛隊は幕僚長命で「自衛官退職者との連携強化」を通達し、退職者で組織されている隊友会では、各地の支部が靖国神社の事実上の末社である各地の護国神社と密接な関係をもって、所属部隊や居住地付近にある護国神社に合祀しています。つまり自衛隊(国)は護国神社を靖国神社にみたてて合祀しているのです。
この問題は、殉職した自衛官の夫を一方的に護国神社に合祀したのは憲法違反としてクリスチャンの妻が訴えた中谷訴訟で有名になりました。この裁判で原告側は、配偶者の死にたいして、他人に干渉されず自己の信仰に従って追慕する権利があり、国家の介入は許されないと、「宗教上の人格権」を主張しました。1審、2審では原告の主張が認められましたが、1988年6月に最高裁が、原告敗訴の判決をくだしました。日本共産党は、判決翌日の「赤旗」主張で、「信教の自由や政教分離の原則を踏みにじって、国と自衛隊側の主張に迎合したまったく不当なもの」と糾弾しました。
戦後、連合国軍総司令部は「神道指令」を発し、国家神道の解体を命じました。A級戦犯以外で靖国神社の祭神に加えられているのは、その直前に政府主催で祭神名簿なしの臨時大招魂祭をおこない、旧軍人が要職を占めていた厚生省引揚援護局が、判明した戦死者名を靖国神社に伝えて、祭神にしてきたからです。厚労省は靖国神社との特別な関係を、問い合わせに応じている、というこじつけで、今も続けています。(平)
〔2007・1・17(水)〕