2007年2月8日(木)「しんぶん赤旗」

朝鮮の女性独立運動家・柳寛順とは?


 〈問い〉 志位和夫委員長が演説などで紹介している朝鮮の女性独立運動家・柳寛順(ユ・グァンスン)とはどんな人ですか?(京都・一読者)

 〈答え〉 日本は19世紀後半から朝鮮半島への影響力を拡大し、1910年の韓国併合条約で完全に併合、太平洋戦争で敗北する1945年まで強大な軍事力を背景に植民地支配を続けました。この間、数多くの朝鮮の人たちが日本からの独立を求める運動に立ち上がりました。当時、学生だった柳寛順もその一人です。19年の「3・1運動」の街頭デモに参加して逮捕された彼女は20年10月、17歳の若さでこの世を去りました。

 衰弱した体で獄中でも「独立万歳」運動を続けるなど、節を曲げることなく生涯を祖国独立にささげた彼女の生きざまは、韓国・朝鮮の人たちの心を今もとらえています。

 柳寛順は、1902年12月、忠清南道(韓国中部)天安郡(現・天安市)で、キリスト教を信仰する両親のもとで生まれました。16年、米国人宣教師の紹介で、神学校として設立された梨花学堂(現在の梨花女子大の前身)普通科2年に編入。18年には、梨花女子高等普通学校に進学しました。このころの彼女の身長は169センチメートルで、当時の女性としてはかなり大柄だったようです。

 翌19年3月1日、ソウル、平壌などの主要都市で、いっせいに「独立万歳」を叫ぶ「3・1運動」が始まると、彼女は友人らとともにこの運動に参加します。当時、日本の軍隊は、デモ隊に容しゃなく銃火を浴びせるなど徹底的に弾圧しました。

 彼女の学校も総督府によって休校にさせられると、故郷に帰郷。旧暦の3月1日にあたる4月1日に万歳デモを実行する準備にとりかかります。

 4月1日、並川市場には数千人の群集が集まりました。デモを阻止しようとした憲兵隊が発砲し数十人が負傷、柳寛順自身も負傷して逮捕されました。彼女の両親は射殺され、自宅も放火されました。

 裁判で懲役刑が宣告された彼女は、悪名高い西大門監獄所に収監されました。獄中でも「独立万歳」を叫んで仲間を励ましたといいます。

 韓国政府は62年、彼女の功績をたたえ建国勲章を授賞。「3・1運動」の起点となったソウル市内のタプコル公園には、デモの先頭で太極旗を掲げる彼女のレリーフが刻まれています。故郷の天安には、柳寛順烈士記念館が設けられています。(圭)

 〔2007・2・8(木)〕


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