2007年3月7日(水)「しんぶん赤旗」
政治の責任 厳しく問う
小池議員質問
命まで落とす国民健康保険証のとりあげ。産科・小児科の医師不足による病院・診療所の閉鎖――六日の参院予算委員会で国民の命にかかわる二つの大問題をとりあげた日本共産党の小池晃政策委員長の質問は、政府の責任を浮き彫りにしました。
国保 保険証とりあげ
命を落とす事態にも
高すぎる保険料。国庫負担上げよ
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「保険証がなく、市販の胃薬だけのんでいた。ようやく受診したときはすでに膵臓(すいぞう)がんが肝臓に転移。二カ月後に亡くなった」(五十五歳男性、自営業)
保険証のとりあげで、命まで奪われる事例を具体的に示した小池氏。
この大本にある問題として正面から見る必要があると小池氏がただしたのは「国保料が支払い能力を超えている」ことです。小池氏は、大阪市の自営業者(四十代の夫婦と子どもの四人暮らし)の深刻な例を示しました。
年収二百八十万円なのに、国保料は年間四十五万円。介護保険料が年八万円、国民年金保険料が年三十四万円、住民税と所得税が年四万円、計九十一万円が引かれ、手元に残るのはわずか百八十九万円――高すぎる国保料が貧困をつくっているのです。
ところが、柳沢伯夫厚生労働相の答弁は「広く薄く負担をしてもらっている」というもの。
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「どこが広く薄い負担か」。小池氏は「暮らしを支えるべき社会保障制度の負担が、暮らしを壊している」とパネル(グラフ)を示しました。
一九八四年と二〇〇四年とを比べると、国保加入世帯の所得は年間百八十万円から百六十五万円へ減少しました。ところが、一人あたりの保険料は年三万九千円から七万九千円へと二倍以上になりました。
小池氏は「保険料が払えない事態は起こるべくして起こっている」と指摘。国保加入世帯の所得水準が低下したのに、国は法改悪によって八四年には49・8%あった市町村への国庫負担を〇四年には34・5%にまで下げた問題をただしました。
市町村からも引き上げを求める声があがっていることを紹介し、「国が支援を後退させてきたことが保険料の高騰をもたらした。国庫負担の引き上げはまったなしの課題だ」と迫る小池氏。安倍晋三首相は「財政が厳しく引き上げは困難」と述べ、国負担を引き上げる考えを示しませんでした。
小池氏は「財政が厳しいといいながら、大企業優遇の減税をしている。国民の痛みを感じないのが自民・公明与党の政治だ。こういう姿勢が問われている」と追及しました。
医師不足
「車の中で出産」まで
閣議決定見直し、増員へ転換を
小池氏が、次にとりあげたのが、深刻な医師不足です。
小池氏は最近訪問した岩手県花巻市の実態を示しました。花巻市は東京二十三区よりも広い自治体です。しかし、県立花巻厚生病院の産科が休診。さらに二軒の産科開業医のうち一軒が医師の死亡で閉院しました。いまでは産科は病院と診療所が一カ所ずつあるだけです。
産科は常に満員で、妊娠した女性は隣の盛岡市や北上市まで通わなくてはいけない状況。遠野市からは、雪が積もったときは車で三時間かかり、間に合わずに車の中で出産する事態も起こりました。
「あってはならない事態が広がっている。首相はどう対応するのか」
こう迫る小池氏に、安倍首相は「実効性のある措置をとる」と答弁しました。しかし、政府が実際に行っているのは、国立・公立病院の統合・閉院です。
小池氏は、九六年から〇五年の十年間に、国立病院の産婦人科が35%減っている事実を示し、「国が率先して地域から産科を奪ってきた。国の責任放棄だ。国立病院で産科・小児科をなくしてきた病院は早期に復活すべきだ」と求めました。
これに対し柳沢厚生労働相は「実効性がある具体的措置をとる」と繰り返すだけでした。
深刻な医師不足の根本にあるのは、政府の医師数抑制方針です。政府は八二年の閣議決定で、医学部の入学定員増員方針を転換。八六年に医学部入学定員を10%減らしました。九七年にも定員削減を続ける閣議決定をしました。
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小池氏はパネル(グラフ)を示しながら、「日本の医師数はOECD(経済協力開発機構)平均から十二万―十四万人不足している。日本が世界の水準から立ち遅れていることをどう考えるのか」と追及しました。安倍首相は「現時点では返事できないが将来的には上回る。あくまで問題は『偏在』にある」と答弁。柳沢厚労相は「(医師数は)厚いところと薄いところがある」とのべたものの、具体的な都道府県名をあげることはできませんでした。
小池氏は「充足している地域はない。絶対的不足だ。医学部の入学定員の削減を求めた九七年の閣議決定を見直し、医師の増員に踏み出すべきだ」と政府の姿勢をただしました。