2007年4月25日(水)「しんぶん赤旗」
避難生活 依然260人
能登半島地震1カ月
震度6強を記録した能登半島地震から二十五日で一カ月たちます。大きな被害が出た地域では撤去された家屋の跡地が目立ちます。住む家をなくした住民たちは仮設住宅への入居をまちわびていますが引っ越しは早い人でも今月下旬から。いまも、避難所生活を送る被災者の声を聞きました。(伊藤悠希)
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石川県輪島市門前町の諸岡公民館には三十八人の被災者が避難生活を送っています。日中は家の片付けや、仕事に出ている人が多く、避難所にはほとんど人がいません。高齢者や体の不自由な人が自分の布団の場所に座っていたり、休んだりしています。
公民館の大広間の奥に足を伸ばして座っていた女性(59)は右足が悪く曲げることが困難です。
十数年前に夫を亡くし、子どもは金沢市で働いています。「一人暮らしで寂しいもんで、避難所に来たことでいろんな人がいるのはうれしい。でも一番落ちつくのは家だね」
自宅は「半壊」です。新しく増築した部分は異常はありませんでしたが、古い方には「危険」を示す「赤紙」が張られました。自宅の中は茶棚も倒れ、茶わん類が飛び出して散らかってしまいました。ボランティアに片付けを頼もうと思いましたが、「赤紙」の張られている家屋は危険なのでお願いできませんでした。
兄の妻が手伝いに来たときは布団も、ぬいぐるみも全部捨てました。「思い出とかいうてられない」。残ったのは今着ている衣服とテレビ、客用の布団です。仏壇は金沢市の兄の家に預けています。
自宅に片付けに行こうと思いますが、いつ家がつぶれるか心配で、一人だと怖いといいます。
半壊になった部分は取り壊し、再建する予定です。り災証明をもらってきたばかりです。
ネコを三匹飼っている女性。「仮設住宅には連れていけないでしょう。引き取ってくれる人がいたらいいんだけど」
二、三年前から体調がすぐれませんが、自宅近くには頼れる人はいません。「変な話だけど、恐ろしい地震にあったことをきっかけに生活を見直していかないと、と思うようになってね」
いま、女性の心は、金沢に住む兄夫婦の家で安心して暮らしたいという気持ちと、迷惑をかけられないという気持ちが交錯しています。
被災地では仮設住宅の建設や道路網の復旧が進み、発生直後の混乱は徐々に落ち着きを取り戻しつつありますが、依然二百人以上が避難生活を続けています。
石川県によると、地震では一人が死亡、三百十八人が重軽傷を負いました。住宅の全壊は五百八十五棟、半壊は千百四十九棟に上り、過疎化、高齢化が著しい能登地域に大きな傷跡を残しました。
発生直後に二千六百人を超えた避難住民は減少しましたが、二十四日午後三時時点で、まだ二百五十六人が公民館などの避難所で不自由な生活を強いられています。
一方、輪島市など二市二町では計三百三十四戸の仮設住宅の建設が進んでおり、四月末から順次入居が始まる予定です。
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