2007年4月28日(土)「しんぶん赤旗」
「みどりの日」がなぜ「昭和の日」に?
〈問い〉 今年から4月29日の「みどりの日」が「昭和の日」と変わると知りました。なぜ変わったのですか?(愛知・一読者)
〈答え〉 「昭和の日」推進運動団体の「『昭和の日』ネットワーク」は、「みどりの日」の「今のままで世代の交代がすすめば、この祝日の由来は忘れ去られてしまうでしょう。そうなると祝日の意義は風化します」といっています。また「『昭和の日』は、昭和の時代に天長節・天皇誕生日として国民に親しまれてきた4月29日が相応(ふさ)しい」としています。
しかし、戦後、新憲法が制定され国民主権原則の下に、祝祭日も皇室中心から、国民の祝日へと変わりました。
例えば、明治天皇の誕生日11月3日の「明治節」が、戦後「文化の日」と変わりましたが、その理由を国民の祝日を審議選定した参院の山本勇造文化委員長は次のように報告しています。
「明治節を祝われた日でございますが、立法の精神から申しますと、この日は御承知のように、新憲法が公布された日でございます。そうしてこの新憲法において、世界の如何なる国も、未だ曾て言われなかったところの戦争放棄という重大な宣言をいたしております」(1948年7月4日参院本会議)と、「明治節」が新憲法の趣旨に沿わなかったことを述べています。
だからこそ「みどりの日」にせざるを得なかったのです。
祝日法は、憲法の精神にのっとって祝日を定めることを強調しています。その第1条には「自由と平和を求めてやまない日本国民」が「こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」を国民の祝日にすると規定しています。
昭和天皇は、アジアで2千万人、日本国民310万人の犠牲者をもたらした侵略戦争を進めた最高責任者です。その人物の誕生日を「昭和の日」として国民の祝日にすることは、平和を希求する憲法の原則に反するだけでなく、祝日法にも反します。「昭和」の時代にたいする国民の思いや認識はさまざまであり、とても「こぞって祝う」ことはできない事柄といわなければなりません。
「昭和の日」法案は、2000年4月に提出され、2回の廃案を経て05年4月に成立しました。日本共産党、社民党は反対しましたが、民主党は当初反対したものの成立時には賛成に態度を変更しました。(稲)
〔2007・4・28(土)〕