2007年5月9日(水)「しんぶん赤旗」

憲法対決の全体像をつかもう

――憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているか

不破哲三社研所長の講演(大要)(上)


 日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長が三日、「憲法施行六十周年記念岐阜講演会」でおこなった講演の大要を紹介します。この催しは、岐阜県労連などでつくる実行委員会が主催したものです。


安倍内閣の成立と憲法問題

写真

(写真)講演する不破哲三日本共産党社会科学研究所所長=3日、岐阜市民会館

 みなさん、こんにちは。不破哲三でございます。(拍手)

 岐阜にはこれまで選挙でおうかがいすることが多かったのですが、今日は憲法の話でまいりました。憲法実施六十周年の大事な日に、みなさんといっしょに憲法のことを考える、こういう集まりにお呼びいただきまして、本当にありがとうございます。(拍手)

 私たちは、安倍内閣ができて憲法をめぐる情勢が大きく動いてきたなかで、この六十周年を迎えました。この内閣の言動をみても、首相が「自分の任期中に憲法改定を必ず実現する」とくりかえし強調するとか、その手続き法である「国民投票法」案を国会でしゃにむに押し通そうとするとか、たいへんあせった動きをみなさんの前で展開しています。

 そのおおもとに何があるかを考えるうえでも、私は、安倍内閣の誕生に関連して、よく考える必要のある二つの問題が出てきていると思います。

 一つは、安倍内閣の成立によって、“靖国派”という特殊な集団が、憲法改定の動きの中心に躍り出てきたことです。その意味を、深くつかむ必要があります。

 もう一つは、そのなかで、憲法改定派が私たちの日本をどんな国に変えるつもりなのか、この見取り図がかなりはっきりしてきた、ということです。

 今日は、この二つのことに焦点をあてながら、憲法の問題を広い角度から考えてゆきたい、と思います。

憲法改定で、日本は世界での
どんな役割を担うことになるのか

(1)憲法改定の現在の筋書きをしっかりとつかむ

 最初に考えたい大きな問題は、憲法改定で、私たちの日本は世界でどんな役目を担わされることになるのか、このことをしっかりつかみたい、ということです。

憲法改定は58年前からのアメリカ仕込みの計画

 今年は、憲法実施の六十周年に当たる年ですが、憲法改定の話が始まったのは、いまから五十九年前、日本では“新憲法ができてよかった”と国民が祝っているさなかのことでした。どこで誰が始めたのかというと、アメリカの政府と軍部です。日本が憲法をつくったときには、アメリカとソ連との対決の情勢がまだはっきりしていませんでした。この対決がはっきりしてくると、アメリカが、すべてのことをソ連との対決の角度から考えはじめます。そうなると、つくったばかりの日本の憲法が邪魔になってきたのです。

 それで一九四八年五月、アメリカの軍首脳部が担当部門にたいし、日本に軍隊をもたせるための方策を考えよ、という指示をだしました。それを受けた担当部門が結論をまとめ、その報告書をアメリカの政府・軍部が承認したのが、一九四九年二月でした。「日本の限定的再軍備について」という表題の報告書で、いまでは公開されていますが、そこには日本に軍隊を持たせるねらいとその方策が生々しい言葉で書かれています。

 ――極東でソ連と戦うとき、アメリカの「人的資源」の節約のため、日本に軍隊を創設する必要がある。そのためには憲法が大きな障害になる。憲法をすぐ変えるわけにはゆかないから、いまはまがいものの軍隊(限定的な再軍備)で間に合わせて、「最終的に」は憲法を変えて本格的な軍隊に進む道を考えよう――こういう方針書です。

 これが、五十八年前のアメリカの決定でした。

 だからみなさん。その後、日本では、最初は警察予備隊という名前で、まがいものの軍隊がつくられたでしょう(一九五〇年)。それが、「保安隊」になり、「自衛隊」になり、いまのように大きくなってきた。これらは全部、五十八年前にアメリカが決めた筋書きに沿って、おこなわれてきたことでした。

 そして、いよいよ、「最終的」な目標とされてきた憲法改定と本格的な軍隊の創設が日程にのぼってきたわけで、これも、アメリカの発案、アメリカ仕込みの計画なのです。

日本が参加するアメリカの戦争の筋書きが変わってきた

 いま見たように、憲法改定の根本のねらいは、アメリカの戦争のために日本に軍隊を持たせること、日本を、“アメリカと肩をならべて戦争のできる国”に変えようというところにあることです。このことは、五十八年前の最初の決定から今日までまったく変わっていません。しかし、ここで注意して見なければいけないのは、日本をどんな戦争に参加させるのか、この筋書きは、以前の時期といまでは大きく変わってきました。

 以前の、ソ連が存在し“米ソ対決”が世界の大問題だった時期には、日本の参戦が問題になるのは、アメリカとソ連とのあいだに世界的な戦争が起こったときの話でした。そのとき、日本の軍隊を米ソ戦争に動員して、極東や日本周辺で米軍と一緒に戦えるようにしようというのが、この時代の筋書きでした。だから、一九六〇年に結んだ日米安保条約には、日本とその周辺でことが起きたときには「日米共同作戦」をおこなうということが、条約に書き込まれました(第五条)。当時の計画では、「共同作戦」の発動地域は日本とその周辺でしたから、「自衛」の戦争だという言い訳の看板もある程度は使えたのです。

 しかし、そのソ連が、十六年前の一九九一年に崩壊してしまったのです。しかし、対ソ戦の筋書きは消えても、アメリカの戦争計画そのものはなくならず、新しい筋書きがつくられました。そして、日本を“アメリカと肩をならべて戦争をする国”に変えるという以前からの目標が、今度は、この新しい筋書きに沿って追求されることになったのです。

 では、その新しい筋書きとはなにか。

 アメリカが新たに立てた世界的な戦争計画は、「先制攻撃戦略」と呼ばれるものです。どういうことかというと、世界には、アメリカの立場から見て“気に入らない”国がいくつもあります。そういう国にたいして、アメリカの方から先手を打って戦争をしかける、という戦略です。相手が攻撃してきたから打ち返すという戦争でもない、自国や同盟国を侵略行動から防衛する戦争でもない。“気に入らない”国をつぶすために、アメリカの方から戦争をしかける、という戦略です。

 アメリカは、二〇〇一年には、アフガニスタン戦争を始めました。アメリカのニューヨークやワシントンがテロ攻撃を受けた。そのテロへの仕返しということで、アフガニスタン政府をその責任者だときめつけて、その十分な証拠もないまま、戦争をしかけました。この戦争は、テロを根絶するどころか、テロ勢力をふくれあがらせただけでした。

 二〇〇三年には、イラクのフセイン政権が気に入らないということで、イラクには大量破壊兵器があると言いたてて戦争をしかけました。アメリカのこの言い分がウソだったことは、いまではアメリカ政府自身も認めています。そして、戦争の結果は、イラク全土をテロと内戦の惨憺(さんたん)たる状況に変えました。

 これが、アメリカの先制攻撃戦略の現実の姿ですが、日本の憲法改定の筋書きも、こういった先制攻撃戦争に日本の軍隊を動員するということに、内容が変わってきました。

 だからみなさん。いまの海外派兵では、以前のように、「自衛」という言い訳は消えてしまいました。以前は、安保論議といえば、「日本有事」とか「極東有事」とかの話がしきりだったものですが、いまはそんなことはどこかへ行ってしまいました。遠い中東やインド洋の話、そこでアメリカが戦争を始めたとき、日本はこの戦争にどうやって参加するのか、そういうことばかりが、海外派兵論議の中心になっているでしょう。

 そして、実際、誰が見ても日本の安全とは直接のかかわりのない遠い地域の戦争に、日本がどんどん軍隊を出すようになったのです。アフガニスタン戦争の時には、海上自衛隊を出動させ、いまでもインド洋でアメリカやイギリスの軍艦に油を供給するなどの支援活動をやっています。続いて、イラクの戦争では、陸上自衛隊と航空自衛隊を派遣しました。陸上部隊はすでにサマワから引き揚げてきましたが、航空部隊の方はいまでもイラク周辺に居つづけて、米軍への補給活動などにあたっています。

 こういう海外活動は、日米安保条約でも予定外でした。ですから、この新しい筋書きで自衛隊の海外派遣を実行するときには、政府は、次々に新しい法律をつくらざるをえませんでした。

 この十年足らずのあいだに、海外派兵の新しい法律が三つできました。最初は一九九九年の「周辺事態法」です。ガイドライン法とも呼ばれましたが、これで、自衛隊の出動範囲について「極東」などのこれまでの枠組みをはずしてしまいました。次が、二〇〇一年の「テロ対策特別措置法」で、この法律を根拠にして海上自衛隊をインド洋に派遣しました。二〇〇三年には、「イラク特別措置法」をつくり、イラクとその周辺に陸上部隊、航空部隊を送りました。こうして、特別の法律を三本も用意して、自衛隊がアメリカの戦争に加われるようにした、これが、この八年間に自民党政治がやってきたことです。

 いまの憲法の平和条項をごまかしの解釈論ですりぬけて、自衛隊をつくり、大きくすることは、歴代の自民党政権が長くやってきたことですが、憲法のもとで海外に自衛隊を出してアメリカの戦争のお手伝いをする、そこまでやった政府は、「周辺事態法」以前にはありませんでした。憲法のごまかし解釈を無理押しでそこまで広げてきたのです。

憲法改定の目的は、「アメリカと肩をならべて戦争をする」同盟国になること

 しかしみなさん。そこまでやっても、いまの憲法があるもとでは、どうしてものりこえられない壁があるのです。自衛隊を海外に出しても、「アメリカとともに戦争をする」ことだけはできません。それは、海外派兵の三つの法律にも規定されていることです。

 周辺事態法、テロ対策特別措置法、イラク特別措置法――三つの法律をならべて読んでみますと、どの法律にも最初に「基本原則」という章があって、第二条第二項に、同じ文章で次のことが規定されています。

 「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」。

 要するに、出動した部隊がいろいろな事態に対応する場合、武力を使うとか、武力で相手を脅すとか、そういうことはやってはいけない、という規定です。これが、憲法の制約なのです。自民党政治がいくら厚かましくても、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(第九条)と定めた憲法が現存している以上、海外派兵の法律に、この原則を書きこまざるをえなかったのです。

 だから、インド洋に軍艦を出したが、かりに相手側の軍艦が現れたとしても、アメリカの軍艦といっしょに大砲を撃つわけにはゆかない、イラクに陸上部隊を出したが、戦闘行為をするわけにはゆかない。海外の戦場に出かけること自体が憲法違反なのですが、それをあえてやっても、戦闘行為の禁止という点では憲法に縛られた形でしか動けない、その枠組みで自衛隊を出動させているのが、いまの実態なのです。

 もともとアメリカが五十八年前に憲法改定の方針を決めたのは、アメリカの「人的資源」の節約が大目的でした。“ようやく部隊が出てくれるようになったのはありがたいけれども、戦争ができない状態での派兵では頼りにはならない。やはりアメリカと肩をならべて、大砲やミサイルも撃ち、テロ部隊を攻撃する、そこまで進んでくれないと、本当の同盟国とは言えない”。こういうことで、海外派兵が現実の問題になってくると、アメリカの圧力は、いちだんと本格的になってきました。それに応えるには、もう憲法を変える以外に道はない。ここに、いま憲法改定が、自民党政治の熱い問題になってきた最大の根拠と理由があります。

 普通の常識的な見方でいえば、米ソ対決の時代の方が、世の中はよほど物騒だったはずです。しかし、その時代には、自民党政府も、憲法改定を現実の政治問題にするところまでは進みませんでした。それが、ソ連がなくなり、世界的な戦争など問題にならなくなった時代に、憲法改定が急に大問題になってきた。その理由は、ソ連崩壊のあと、先制攻撃戦略という新しい戦争計画に乗り出したアメリカの新たな戦略方針のなかにあるのです。アメリカの“気に入らない”国のリストには、アジア地域の国が多く含まれています。その国をつぶす戦争を始めたときに、アジアの同盟国である日本が、いっしょに戦争のできるしっかりした仲間になってほしい。この要求です。

 憲法改定派は、ことの真相をかくすために、九条改定の口実をいろいろ持ち出します。しかし、その口実はどれもすぐ底の見えるごまかしばかりです。憲法改定の本当の動機と目的が、「肩をならべて戦争のできる海外派兵を」というアメリカの要求にあることは、かくしようもない事実です。私たちは、憲法改定のこの真相をしっかりつかんで、憲法をまもる運動に取り組んでゆきたい、と思います。

(2)憲法改定は世界平和への逆流

 では、日本が憲法を改定してそういう役目を引き受けることにたいして、世界はどう見ているでしょうか。

 改憲派の言い分を聞くと、どの国でも軍隊をもつのは当たり前のこと、それを憲法に書き込むのも当たり前のこと、だから世界はこの動きをなんの心配もなしに喜んで見ている、こんな説明です。

 しかし、事実はまったく違います。日本の憲法改定の動きにたいする世界の目には、たいへんきびしいものがあります。私は、そこには、大きくいって二つの理由があると思います。

参加する戦争はアメリカの先制攻撃戦争

 第一は、日本が参加しようとする戦争の性格の問題です。

 以前の米ソ対決の時代には、発達した資本主義国の大部分が、アメリカと軍事同盟を結んでいる国ぐにでした。ヨーロッパでいえば、NATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟があって、ソ連と対決する態勢にありました。だから、この時代に、日本がアジアでの米ソ対決の一翼をになって軍事的役割をより積極的に果たすということなら、共同の事業への貢献として好意的に見る、というのが、軍事同盟仲間のあいだでは、おそらく大方の空気になりえたでしょう。

 しかし、いまはまったく違っています。

 たとえば、イラク戦争のときに、世界の国ぐにがどういう態度をとったかを、ふりかえって見てください。ヨーロッパでのアメリカの軍事同盟仲間のあいだでも、ドイツやフランスは最後まで戦争に反対し、賛成したのは大きな国ではイギリスだけでした。そのイギリスの政府も、開戦の真相が明らかになったいまでは、アメリカの偽りの開戦理由をなぜ認めたのかを追及されて、政府がたいへんな窮地におちいっています。

 だいたい、この戦争は、アメリカが国連の決定なしに勝手に始めた戦争でした。これが間違った不正義の戦争だったことは、いまや世界の常識になっており、アメリカでさえ、世論でも議会でも、この声が多数になっています。

 そして、いまの世界では、国連憲章というものが、非常な重みを持ってきています。

 国連憲章には、世界であれこれのもめごと(紛争)が起きたときに、平和的に解決する段取りを定めています。相手がどうしてもルールにしたがわない無法な国で、武力を使わざるをえないという時にも、侵略にたいする自衛の行動以外には、個々の国が勝手に武力に訴えることはきびしく禁じています。国連で集団的な議論をつくし、そこでのまとまった決定にしたがって行動する。こういうルールができているのです。

 ところが、アメリカの先制攻撃戦略というのは、国連の決定がなくても、アメリカの意志で勝手に戦争を始めるという単独行動主義が行動原理になっています。アメリカは、イラク戦争では、まさにこういうやり方で戦争を始めたわけですが、国際社会では、それが大国の勝手横暴として強い批判にさらされています。

 世界は、変わっているのです。

 当のアメリカでさえ、イラクでは無法なやり方で戦争を始めましたが、ほかの問題では、同じような乱暴なやり方をするわけにはゆかなくなっています。たとえば、北朝鮮の核ミサイル問題では、交渉による平和的解決を優先させる態度で、強硬路線一本やりの日本外交をあわてさせるといったことも起きています。

 こうして、アメリカの先制攻撃戦略が世界の批判にさらされている時に、日本の自民党政治は、こともあろうに、自分の憲法まで変えて、先制攻撃戦争に参加する道を開こうとしているのです。日本が参戦しようとしている戦争の性格を考えたら、このくわだてが、世界の大多数から理解されたり、好意的な目で見られたりするはずがないことは、すぐ分かることではありませんか。

世界のこの変化には構造的な基盤がある

 ここで、世界がどう変わってきたのか、なにがその背景にあるのか、現在の新しい状況について、もう少し立ち入って見ておきたいと思います。

 やはり世界の構造が大きく変わったのです。その構造からいっても、いまの世界は、もはやアメリカ一国で動かせる世界ではなくなっています。

 私たちは世界を見る時に、社会的な姿の似た国ぐにを一つにまとめてみるという見方をよくします。そうしますと、一つは、日本やアメリカ、ヨーロッパ諸国のような発達した資本主義の国ぐに、次に、中国、ベトナム、キューバなど社会主義をめざしている国ぐに、さらに、かつては植民地・従属国の立場にあったが二〇世紀に独立をかちとったアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐに、最後に以前の体制が崩壊した旧ソ連・東欧圏の国ぐに、世界は四つのグループに分かれます。こうして見ると、いまの世界の動きが見やすいのです。

 まず発達した資本主義の国ぐにですが、人口はあわせて九億人、地球人口六十二億人のうち七分の一ほどです。この国ぐには、以前は世界政治の上で、アメリカのがっちりした同盟国として一致した行動をとるのが普通でした。しかし、いまでは様子はすっかり違って、イラク戦争の場合には、アメリカに同調したのは、日本とイギリス、イスラエルぐらいでした。ほかの国ぐには、“ソ連との対決の時代には、仲間割れすると具合が悪いから、多少無理があってもアメリカのいうことを聞いたが、対抗相手のソ連がなくなったいま、その必要はなくなった”と言って、どんな政治問題でも、自分の国なりの立場を堂々と主張する。資本主義のすすんだ国ぐにでも、自主独立が当たり前になったのです。

 社会主義をめざす国はどうか。人口は約十四億人、発達した資本主義の国ぐにの一倍半の大きさをもっています。この国ぐには、アメリカの道理のない勝手な行動には賛成しませんし、国連での合意のない先制攻撃戦争などには、もちろん反対です。しかも、世界政治の上では、この国ぐにの存在の重みはいよいよ大きくなっています。

 経済でも、その発展の速さ、大きさはたいへんなものです。世界の国の経済力をくらべるのに、国内総生産(GDP)という数字がよく使われますが、この国際統計を扱っている国際機関(国際通貨基金・IMF)が、いまのGDPは経済の実力をよく表していない、本当の実力を比較するには、各国の物価の違いを考慮にいれたものが必要だといって、GDPの新方式の数字を発表しはじめました。普通のGDPでは、各国の順位は、一位アメリカ、二位日本、ずっとさがって六位中国といったところですが、新しい実力GDPではなんと一位アメリカ、二位中国、三位日本と、大逆転です。その逆転ぶりも、世界経済に占める比重が、アメリカの20%にたいして、二位の中国は15%と激しくせまり、三位の日本はぐっと遅れて6%というのです。世界経済の変わり方がまざまざと分かります。こういう状況ですから、世界政治も、これらの国ぐにを無視しては成り立ちません。

 アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにについていうと、総人口は三十五億人、地球人口の半分以上です。長いあいだ外国の支配に苦しんでいた国ぐにですから、イラク戦争のような大国の横暴勝手――世界政治では覇権主義という言葉で呼ばれますが、覇権主義は認めない、という声が圧倒的です。ここでは、以前は、ラテンアメリカがアメリカの支配下におかれた大陸となっていたのですが、一九九八年にベネズエラにチャベス政権が生まれたのを転機に、南アメリカで左派政権の勝利があいつぎ、この大陸がいまや自主独立の勢いのもっとも強力な地域に変わってきました。

 最後に旧ソ連・東欧圏の国ぐにですが、ヨーロッパに向いている国ぐにがある一方、中央アジアを中心に、中国と「上海協力機構」をつくってアジアの国ぐにの仲間入りをしようとする国ぐにもあります。

 世界は、二一世紀を迎えて、こういう構造的な変化をとげているのです。その変化が、アメリカの勝手横暴を許さないという流れの土台となっています。そして、いまや「自主独立」というのは、この世界の共通語になっているといってもよいでしょう。その世界で、日本が、「同盟国」だからアメリカのやることにはなんでも賛成し、アメリカの戦争に武力をもって参加できるように、憲法まで変えようとする、この動きは、世界の多くの国、また国民の目から見ると、ほんとうに異常なことに見えるのです。

 みなさん。憲法闘争に取り組むさいにも、これがいまの世界だということを、しっかりと見てほしいと思います。

“靖国派”で固めた安倍内閣

 憲法改定が、世界からきびしく見られているもう一つの理由は、“靖国派”が政権をにぎり、憲法改定の動きの中心にすわった、という問題にあります。

 はじめに“靖国派”のことを言いましたが、中身には触れませんでした。ここで中身の解説をしておきましょう。

 “靖国派”というのは、日本が過去にやったアジア侵略の戦争を、すばらしい正義の戦争だった、「自存自衛」と「アジア解放」の戦争だったと思い込んでいる人たちのことです。この“正義の戦争”論の最大の発信地が靖国神社であり、靖国神社の参拝を自分たちの信念の証(あかし)としていることから、“靖国派”と呼ばれるのです。

 こういう潮流は、前から自民党のなかには根強くありました。しかし、この潮流があらためてその力を結集し、いろいろな画策をはじめたのは、九〇年代の中ごろからです。日本の戦争についての国内国際の議論が広がるなかで、一九九三年、「従軍慰安婦」問題で過去の行為への反省の態度を明らかにした河野官房長官談話が発表され、一九九五年、日本が侵略と植民地支配の誤った国策をとったことを確認し謝罪した村山首相談話が発表されました。この二つの談話は、不十分な点はあっても、日本の政府として、日本がやった戦争は間違いだった、朝鮮や中国、東南アジアにたいする植民地支配はまちがいだったということを、はじめて公式に認めたものとして、大きな意義をもちました。ところが、“靖国派”にとっては、この二つの談話はがまんできないものでした。これをひっくりかえせ、取り消させろと、そこから“靖国派”総結集の動きが始まったのです。

 この動きはいろいろな形で進みましたが、九七年に、“靖国派”の二つの重要な組織が生まれました。一つは、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」です。それから十年、当時の“若手”も十年たてば“中年”化しますから(笑い)、あとで「若手」の言葉はとりましたが、こういう会をつくって、日本の戦争は間違っていたという考えを子どもたちに教えるのはけしからん、教育を立て直せ、こんな運動を猛烈に始めたのです。

 同じ年に、「日本会議」という組織とその国会版である「日本会議国会議員懇談会」(「日本会議」議連)とができました。この「日本会議」は、歴史教育の問題をはじめ、各分野にできていた“靖国派”諸団体のいわば総元締めとなる組織です。靖国神社の戦争博物館・遊就館で戦争賛美のビデオを映写していますが、その製作者にも「日本会議」がくわわっています。そういうことまでやる正真正銘の“靖国派”の組織なのです。

 安倍内閣には、“靖国派”の運動の中心をになって、政治をその方向に推し進めてきた人たち、しかも、“靖国派”の若手で、いちばん行動的で、推進役となってきた人たちが集団をなして入っています。

 調べてみますと、十八人の大臣のうち、“靖国派”運動の総元締めである「日本会議」議連のメンバーが十二人、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーが七人、それ以外の大臣も、多くは“靖国派”団体のなにかに入っていて、この種の組織と関係がないのは、三人だけです(そのうち二人は、公明党出身の大臣と非議員の大臣)。

 この内閣の“靖国派”との深い関係を見るために、例の「歴史教育」うんぬんの「会」の創立時の名簿を調べてみました。この会で「代表」という名の会長役をやっていたのは、現在の自民党政調会長の中川昭一氏です。「事務局長」が安倍晋三首相、「副代表」の一人が、高い“水”を飲んでいることで有名になった松岡利勝農水相、「幹事長代理」のなかには、女性大臣の高市早苗さんがいますし、「委員」には、菅義偉総務相、長勢甚遠法相、渡辺喜美行革担当相が名をつらね、塩崎恭久官房長官もオブザーバーとして参加していました。これらの人たちはみな「日本会議」のメンバーでもあり、いわば筋金入りの“靖国派”というところでしょうか。

“戦前・戦時の「国柄」(国体)にもどりたい”

 安倍首相をはじめこれだけ“靖国派”で固めた内閣が生まれたのは、日本の政治のうえではじめてのことでしょう。この“靖国派”内閣が憲法改定運動の中心にすわったのです。

 この人たちは、もちろん憲法改定のもっとも熱烈な推進派です。とくに平和条項である九条にたいして、激しい敵意をもっています。

 安倍首相に言わせると、いまの憲法は連合国にたいする「詫(わ)び証文」だとのことですが、この人たちの目には、前文にうたわれた日本の戦争にたいする反省の言葉――「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」との国民的決意の表明や、その反省をふまえ、世界にさきがけて戦争の放棄と戦力の不保持を宣言した第九条などは、真っ先に破り捨てるべき「詫び証文」の最悪の部分として映るのでしょう。だから、“靖国派”が、憲法九条の問題でも、もっとも極端な改定派であることは疑いありません。

 しかし、“靖国派”の憲法論には、九条の問題にはとどまらない大問題があります。

 この人たちは、日本が過去にやった戦争を“すばらしい戦争”と思い込んでいると同時に、あの戦争をやった日本の国家と社会を「美しい国」だったと思い込んで、これをあこがれの対象にしているのです。

 天皇を頂点にいただき、子どもたちと一般国民は「教育勅語」で、軍人・兵隊は「軍人勅諭」で統一され、国全体が一致団結していた、社会的には職場も家庭も「オトコ社会」の秩序できちんと統制されていた、それが日本という国の美しい伝統だった、こういう思い込みとあこがれが“靖国派”の発表したあらゆる文章からあふれ出ています。彼らによれば、いまの憲法の罪は、九条の平和条項だけではなく、民主主義の体制をもちこんで戦前・戦時の美しい社会秩序を過去のものとしてしまった、ここに大きな罪があるのです。

 「日本会議」が、自分たちの運動目標をしめしたものに、「日本会議のめざすもの」という文書があります。その冒頭にあるのは、「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」という章で、日本の「国柄」を、「私たち日本人は、皇室を中心に民族の一体感をいだき国づくりにいそしんで」きたと説明しています。次の章「新しい時代にふさわしい新憲法を」では、その「国柄」論を受けて、「歴史的に形成された国柄を反映」するのが国の基本法・憲法だと強調しています。「国柄」というのは、「日本会議」の好きな言葉で、安倍首相もよく使いますが、これは何かというと、戦前・戦時の「国体」の言い換えなのです。戦争終結のときには、日本の支配層にとって「国体護持」が大問題でしたが、「国体護持」はならず、いまの憲法は、明治憲法による天皇主権(主権在君)の「国体」を、国民主権(主権在民)の政体に根本的な転換をさせました。“靖国派”は、これが気に入らないのです。伝統的な国柄(国体)、戦前・戦時の国家と社会にもどりたい、これこそ“靖国派”を支配している願望です。

 安倍首相は、自分の政権の目標として「美しい国、日本」という言葉をかかげました。この源(みなもと)が「日本会議」の「美しい伝統の国柄」という言葉にあることは、もうお分かりでしょう。安倍首相が、「戦後レジームの打破」、「戦後体制からの脱却」などのスローガンを連発しているのも、戦前・戦時の体制へのこの願望を表したものです。

 ここに、“靖国派”の憲法改定論の本音があります。

 戦争への反省の取り消し、軍隊と交戦権の復活、戦前・戦時の体制の回帰を結びつければ、“靖国派”の「美しい国、日本」路線のゆきつくところは、あの軍国主義日本の復活そのものではありませんか。

“靖国派”の「正義の戦争」論は世界が許さない

 “靖国派”のこういう考えや動きを、世界はどう見ているでしょうか。

 実は、一昨年、小泉内閣のもとで、靖国参拝問題が深刻な外交問題となったとき、世界は、その根底に、日本の戦争にたいする評価の見直しという大問題があることには、ほとんど気づいていませんでした。中国・韓国と日本のあいだの特殊な外交問題といった扱いをされることが多かったのです。同様な状況は、日本の国内でもかなり広くありました。

 私たちは、日本の外交をゆきづまらせているこの危機を解決するためには、この状態を放置しておくわけにはゆかない、と考えました。そこで一昨年五月、日本共産党の新しい会館を会場にして、公開の時局報告会をひらき、靖国問題で日本はなにを問われているかの解明をすることにしたのです。報告会には、東京にいる外国の特派員や各国の大使館も広く招待しました。そこで、私が報告者になって、靖国参拝問題の本質は、過去の日本の戦争の名誉回復という“靖国派”の野望にあること、靖国神社そのものが遊就館という付属の戦争博物館を持っていて、ここが「正義の戦争」宣伝の最大の拠点となっていることなどを、事実をもって明らかにしました。

 私たちは、この会のあと、そこでおこなった報告を、自民党の有力議員をはじめ、日本の各界にも広く届けて読んでもらう努力をしました。英訳の冊子もつくって、各国の大使館の方々やジャーナリストのみなさんにも読んでもらいました。外国の方々の反響の大きさ、強さには、私たちが驚くほどのものがありました。だいたい、それ以後、遊就館への外国の訪問者がぐんと多くなって、あそこがにぎやかになった、と聞きました(笑い)。外国の記者さんたちが現場へ出かけはじめた(笑い)。外国特派員協会の方から聞いたことですが、ある記者は「私たちはいままで遊就館を見ないで、靖国問題の記事を書いていた。これは恥ずかしいことだった。見てはじめてことの真相がわかった」と語っていたとのことです。

 このころから、靖国問題についての世界のマスコミの論調には、大きな変化が現れました。私たちが“靖国派”独特の歴史観、戦争観を“靖国史観”という言葉で呼ぶことにしましたら、この言葉がそのままアメリカや中国の新聞でも使われるようになりました。世界の平和秩序の立場からいっても、日本でのこの“靖国史観”の横行をほうっておくわけにはゆかない、ということが、世界政治の重要な問題の一つとなり、アメリカの議会でも、この問題がくりかえし取り上げられるようになりました。

 だいたい、戦後の世界は、日本・ドイツ・イタリアの三国がアジアとヨーロッパでおこなった空前の侵略戦争への告発と、その誤りを二度とくりかえさせないという反省のうえに成り立っています。その教訓にもとづいて平和な秩序をつくろうということで、国連憲章が定められ、国連という国際組織の活動も始まったのです。“靖国派”のように、この結論をくつがえす立場を日本がもしとるとしたら、それは、現在の世界秩序の外へ身をおくのと同じことなのです。

 反響といえば、自民党の内部からも、「共感を禁じえない」「“靖国派”の人びとの手で憲法改定がやられたら、日本はどんなことになるのか怖くなった」など、思わぬ反響が続々と寄せられ、“自民党という政党も、決して一枚岩ではないのだな”ということを実感する(笑い)など、心強い思いをしたものです。

“靖国派”内閣の成立は新たな国際的亀裂を生みだす可能性がある

 安倍首相は、首相になる前には、村山談話や河野談話を攻撃する急先鋒(せんぽう)となってきた一人でした。しかし、この問題で日本外交が窮地に追い込まれた最中に首相に就任したわけですから、その危機を解決しないと内閣が成り立ちません。そういう状況のなかで、この問題については、自分の立場に一定の訂正をしなければなりませんでした。ですから、就任直後の国会で、日本共産党の志位委員長の質問にこたえて、村山談話についても河野談話についても、「その立場を引き継ぐ」ことを明確に公約しました。また、その公約を前提にして、中国および韓国との首脳会談を再開し、この二つの国との政治交流に道を開くことができました。私たちは、安倍首相のこの態度表明を歓迎するとともに、その態度を行動で表し、内閣としてこの表明と矛盾する言動はおこなわないことを強く要求してきました。

 ただ、安倍首相のこの態度表明は、内心の問題というか、本音の問題まで解決したものではありません。だから、過去の戦争や植民地支配への評価にかかわる問題でも、本音の部分がつい表に出たりします。「従軍慰安婦」の問題で、安倍首相が「軍による強制連行はなかった」などと、歴史の事実にも河野談話にも反する言明をしたのは、その典型的な事例でした。これには、アジアの国ぐにだけでなく、アメリカが強烈な反応をしました。

 安倍首相は、訪米のさいに、いろいろ言い訳をしたようですが、“靖国派”の言動にたいしては、以前とは違って、世界はその実態を知ってきびしい目で見るようになっています。その“靖国派”が日本の政治の主導権をにぎり、憲法改定の中心にすわったいま、そのことが国際的な舞台でさまざまな矛盾や亀裂を生みだす可能性があります。このことは、これからよく注意して見てゆく必要のある問題です。

「戦後レジームの打破」論にアメリカの言論界から批判が

 先日、「東京新聞」(四月八日付)に――みなさんがご覧になっている「中日新聞」と社が同じですから、同じものがそこにも出ていたと思いますが――、ジェラルド・カーティスというコロンビア大学教授が、「安倍訪米と歴史問題」という文章を書いていました。私は、この文章を非常に印象深く読みました。

 大事な点は、二つありました。

 一つは、「従軍慰安婦」の問題で、安倍首相に、自分の発言がアメリカの世論に大きな怒りを呼び起こしていることを軽視するな、と警告していることです。カーティス氏は、安倍首相は、いったい安倍は「日本の戦時責任」についてどう考えているのかという問いを、自分の発言によって「米国人の意識の前面に押し出したのである」と強い言葉で語っています。そして言葉を重ねて言います。「アメリカの現状はもっと厳しい。日本軍が女性たちを『性の奴隷』にしたとの非難に対して、安倍首相が日本軍の弁護をしようとしたようにみえることが、『左』の人々のみならず広範囲な米国人の横断的な怒りを招いている」。

 もう一つは、カーティス氏が、安倍首相の「戦後体制」打破論にたいして、きびしい批判の論を展開していることです。「首相は『戦後レジームの脱却』を掲げているが、民主主義国のリーダーが自分の国のレジーム・チェンジ(体制変革)を求める意味は理解しにくい」。安倍はいったい、戦後日本につくられた民主主義の体制を否定するつもりなのか。「安倍首相が捨てたがっている戦後レジームの何がそんなにひどいのか、ぜひ説明してほしい」。ここまで書いています。

 私は、憲法改定につながるこの問題について、アメリカの、日本の政治・社会状況をよく知っている知識人が、これだけ痛烈な批判の声をあげたということには、たいへん深い意味があると思って、この文章を読みました。

 アメリカは、全体として言えば、九条改定論の原動力とも最大の推進力ともなってきた国です。しかし、そのアメリカの側から見ても、まだ一人の知識人の声であるとはいえ、戦前・戦時の社会と国家をほめたたえ、そこに戻りたいという願望を政治の大きな指針としている現政権の動きにたいしては、非常に敏感な警告の反応が返ってくる。ここには、さきほど述べた、“靖国派”の登場がもたらす国際的な亀裂への一つの予告があるといってよいでしょう。

 いくつかの面から、日本の憲法改定の動きへの世界の見方を紹介してきました。結論的にいえば、アメリカの先制攻撃戦争に武力をもって参加しようという企てだという点でも、戦争をやった戦前・戦時のあの日本にもどりたいという反動的な願望の現れだという点でも、憲法改定派の動きは、まさに二重の意味で日本を世界から孤立させる道にほかなりません。このことを深くつかんで、憲法をまもる私たちの運動をすすめてゆきたいのであります。(拍手)(つづく)



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