2007年5月10日(木)「しんぶん赤旗」

憲法対決の全体像をつかもう

――憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているか

不破哲三社研所長の講演(大要)(下)


憲法改定派は、日本をどんな国にしようとしているのか

写真

(写真)不破さんを迎えて開かれた憲法施行60周年記念岐阜講演会=3日、岐阜市民会館

 次の問題に進みます。憲法改定によって日本はどんな国になるのか。あるいは、憲法改定派は、日本をどんな国にしようとしているのか。これも、私たちがよくつかんでおく必要がある問題です。

 九条の改定が、日本を「戦争をする国」に変える、とくにアメリカがたくらむ先制攻撃戦争に、アメリカと肩をならべて参加する道を開くということは、さきほど話しました。ここでは、それにくわえて、日本の社会全体から見た憲法改定の意味――憲法改定がどんな国づくりに道を開くのかという問題を、いくつかの角度から考えてゆきたいと思います。

(1)異常な対米従属をいよいよ広く深いものにする

 まず第一にとりあげたいのは、アメリカへの従属の鎖が、いよいよ太く強いものになる、ということです。

 日本の対米従属の状態は、いまでも、世界のなかできわめて異常なものです。その異常な関係を、三つだけあげておきましょう。

世界に例のない“なぐり込み部隊”の前線基地  

 軍事でいいますと、日本にはたくさんの米軍基地がありますが、ここにいる米軍がとてつもない任務を持った軍隊なのです。全部が、“なぐり込み部隊”と呼ばれる海外侵略部隊です。

 横須賀に機動部隊(第七艦隊)がいますが、この正式の名称は「空母打撃群」。遠征していって出先で相手の国に打撃を与える他国攻撃専門の部隊ですから、この名前がついています。

 沖縄にいる海兵隊も、正式の名称は「海兵遠征軍」で、海を渡って他国に上陸して戦争をやるという遠征専門の部隊です。

 青森県三沢に空軍部隊がいます。これは「航空宇宙遠征軍」に組み込まれている部隊です。宇宙戦艦ではないですよ(笑い)、「宇宙」の名がつくほど、はるか遠方まで遠征してゆくということなのでしょう。もちろん、任務は遠征専門です。

 このように、日本にいる米軍は、他国を攻める任務の遠征軍ばかりで、「日本の防衛」を任務とした軍はいないのです。要するに、アメリカが先制攻撃戦略にもとづいて、外国になぐり込みをかける、その時出撃する部隊に日本が基地を貸しているということです。

 だいたい、こういう任務の部隊の基地を自国においているという国は、日本以外には世界に存在しません。アメリカの海兵隊は、日本にいるもの以外はすべてアメリカの本国に基地をおいていますし、航空母艦も、横須賀の第七艦隊以外は、みなアメリカの軍港を母港にしています。

 昨年来の「基地再編」で、この部隊の司令部までが神奈川県の座間に来ることになりました。まさに、日本列島全体を、アメリカの先制攻撃戦争の基地として提供しているという状態で、日本の対米従属の深刻さが、ここに集中した形で現れています。

外交に自主性なし

 外交でも、日本がアメリカだけを見て外交をすすめていることは、世界でも有名になっています。それを最もあからさまに示したのが、イラク戦争にたいする態度の問題でした。

 アメリカが、イラク戦争を開始したとき、アメリカの側にたって戦争に賛成した国はいくつかありました。イギリスもそうでした。しかし、イギリスの政府は、その時、これこれこういう理由で、こういう判断からこの戦争に賛成するということを、議会でも首相がきちんと説明しました。だから、その判断が間違っていたことが明らかになったら、その間違いにたいして、議会で責任を問われるのです。

 では、日本の場合はどうかというと、小泉首相がイラク戦争に賛成した理由は、要するに“同盟国の戦争だから応援する”、これだけでした。アメリカの開戦の論拠が崩れても、日本政府は、あのときはそういう情報しかなかったのだから仕方がない、この程度のことでお茶を濁して、間違った戦争に賛成したことの責任など問題にもしません。自分がおこなった戦争か平和かの重大な選択にたいして、自身の責任をなにも感じない、こういう外交を平気でやっている国は、世界にほとんど例がないと思います。

経済でもアメリカの介入が制度化されている

 日本の経済にも、従属の強い鎖がかけられています。

 いま日本の政府とアメリカ政府とのあいだに、次のような仕掛けが続いていることを、ご存じでしょうか。

 ことの始まりはいまから十四年前、一九九三年のクリントン大統領と宮沢首相との首脳会談(ワシントン)でした。そこで、日本経済の仕組みをアメリカの流儀にあわせるために、新しい仕組みをつくることが合意されたのです。

 その仕組みとは、(1)毎年秋に、政治・経済のあり方について、アメリカが文書で注文をつける、(2)その注文書にそって、日本政府がその実施方を検討し、実行に移してゆく、(3)その実行状況をアメリカ政府が総括し、翌年春、その成果をアメリカ議会に報告する――こういうものです。まるで、部下が上司から指示をうけ、その遂行状況を点検されるようなものですが、こういうシステムをつくることに首脳会談で合意してしまったのです。

 このシステムは、いまでも確実に動いています。毎年秋になりますと、アメリカ政府から「年次改革要望書」という注文書が日本政府に渡されます。日本の経済のこういう制度はアメリカに都合が悪い、こういう規制は公正に反する、こういう注文をならべたアメリカ側の要求一覧です。日本政府はこれを受け取ると、これは農水省の分、これは経産省の分というように仕分けして各省にくばり、担当の省庁がその対応策を研究して、できるものから実行に移してゆく、その進行状況を日米の担当者が定期に集まって点検するのだそうですが、翌年三月には、アメリカ政府がその全成果を「外国貿易障壁報告書」のなかにまとめてアメリカ議会に報告する。政府は、日本とのあいだで、貿易の壁を打ち破るうえで今年度はこれだけの成果をあげたと、実績宣伝をするわけです。

 このシステムが、合意の翌年九四年から始まって、現在までずっと続いています。「郵政民営化」も、このシステムを通じて、アメリカから何回も要求されたあげくのことでしたし、「農産物の輸入自由化」も繰り返し要求されています。さらに、医療制度の改革、保険制度の改革など、あらゆる分野にわたって、アメリカの“家風”にあわないとか、アメリカの企業の利益にあわないとかの注文がつけられるのです。

 経済の問題でこんな上下関係が押しつけられて、アメリカの介入が制度化されている国、しかも十数年にもわたってそこに安住しているという国は、日本以外には世界で見たことがありません。

憲法改定はこの鎖をさらに太く固いものにする

 このように、現在でも、日本とアメリカとの関係は、世界でも本当に異常なものです。

 そこへ、憲法が改定されたら、どんなことが起きるでしょうか。九条が改定されたら、自衛隊が軍隊になり、海外でアメリカといっしょに戦争をやることになります。この体制は、戦争が始まったときに、はじめて問題になるわけではありません。いざという時、肩をならべて戦争をやるためには、ふだんから、その体制と準備をととのえ、訓練することが必要になります。つまり、海外で「共同作戦」を展開する準備を、日常不断に日米共同でやるという体制が、憲法改定のそのときから開始されるでしょう。安保条約で定めた「日米共同作戦」の準備が日常のことになって、日米「運命共同体」路線が、政治・経済・国民生活の全分野で、大手を振っていま以上に横行する、こういう状態になることは間違いありません。

 憲法改定派は、口を開けば、いまの憲法はアメリカに押しつけられたものだから改定するのだと、いかにも日本の独立の擁護者のような顔をします。しかし、日本の現状のなかで、「異常な対米従属」という、日本の主権独立の立場から打開すべき最大の問題には、まったく手をつけようとしない。それどころか、この従属関係を、もっとひどいものにしようとしているのです。

 植民地体制が二〇世紀後半に崩壊して、自主独立が世界の圧倒的な流れとなっている時代です。その時に、アメリカにたいする異常な従属の関係をさらに深刻なものとして固定化する。憲法改定が日米関係にもたらすものは、まさにそのことにほかなりません。

 二一世紀に日本が本当の独立をかちとって、一人前の独立・自主の国家になることを願う方は、この現状の打破にこそ力をつくすべきであって、従属の鎖をさらに太く固いものにする九条改定の仕事に絶対に手を貸すべきではありません。ここには、日本の国づくりの第一の問題があります。

(2)軍事優先主義が日本をもっとも外交に弱い国にする

いまの世界では外交こそが安全保障の主役

 次に考えたいのは、外交の問題です。

 いまの世界では、国の安全保障にとっていちばん重要なものは、外交です。どの国でも、自分の国のまわりに平和な国際環境をどうやってつくるか、国と国との平和的な関係をどうやって築いてゆくのか、ここに大きな力をそそいでいます。他国と紛争が起きたときにも、まず平和的な方法でそれを解決することに力をつくす、これが当たり前のことになっています。

 日本の南側に東南アジアの地域があります。この地域の国ぐにが、いまから三十一年前の一九七六年、話しあって「東南アジア友好協力条約」を結び、たいへんよい国際関係をつくりあげてきました。条約には、お互いの国内問題には干渉しない、意見の違いや紛争が起きたときには平和的手段で解決する、武力での威嚇や武力の行使はお互いに放棄する、こうしたルールが明記されています。ベトナム戦争の時には、武器をもって戦いあったこともある国ぐにをふくめ、東南アジアを平和の地域にしようということで、この条約を結んだわけで、それ以来、平和への流れがずっとすすんでいます。

 最近には、この平和の流れの仲間入りをしようという声がまわりの国ぐににも広がり、一九八七年には、域外の国の参加も認めるように条約が改定されました。これにもとづいて、二〇〇三年には中国とインド、〇四年には日本、パキスタン、韓国、ロシア、〇五年にはニュージーランド、モンゴル、オーストラリアが加盟し、今年〇七年にはヨーロッパからフランスまでが参加しました。いまでは、世界の人口の半数近い国ぐにがこの条約の仲間入りをしているのではないでしょうか。

 こういう平和的な関係を外交の手段で広げてゆこう、というのが、いまの世界の大きな流れです。

 さきほど述べたように、イラクなどで「力の政策」を前面に押し出したアメリカでも、それだけでは今日の世界に対応できないことを悟り、一方では外交にも力を入れざるをえないでいます。中国への対応でも、国防総省あたりは、「将来の脅威」になる国だといった発言をしきりに繰り返しますが、アメリカ政府の対外活動では、中国とアメリカのあいだに「戦略的な利害の共通性」があることを大いに強調し、米中関係を発展させる仕事に綿密な戦略をたてて取り組んでいます。北朝鮮の核・ミサイル問題でも、平和的解決の条件が見えてきたら、それを実らすためになかなかの手だてを講じて外交作戦を展開します。

なぜ日本は外交に弱いのか

 そのなかで、日本はいま、外交の弱さが特別に目立つ特異な国になっています。

 東京で活動している各国の外交官と交流しますと、あいさつの言葉というわけではないのですが、「日本には外交戦略はないね」という感想を(笑い)たえず聞かされます。いろいろな国の外交官が、さまざまな機会に同じことを痛感するようなのです。日本は、アメリカやヨーロッパの資本主義諸大国との関係は別として、世界のほかの地域にたいしては、なんの戦略方針ももっていないようだ、というのです。

 その原因はどこにあるのか。一つは、「アメリカの窓」からすべてを見る対米従属外交で、自主的な外交戦略をもたないで来ている、という問題があるでしょう。それにくわえて最近とくに強く感じるのは、何かことが起こるとすぐ軍事的対応を考えるという傾向が根強くあることです。憲法では、武力による威嚇を禁じている国なのに、紛争が起こると実力での対応を優先させる――日本も加盟した東南アジアの友好協力条約とはまったく逆の対応です。

 北朝鮮問題でも、このことを痛感させられました。政府はよく「対話と圧力」と言います。ミサイル発射にたいして国連が実施した経済制裁は、ある意味では、「対話と圧力」路線にたつものでした。しかし、経済制裁をやるなかで、「対話」の条件が出てきたら、どの国も対話を成功させるための真剣な努力をするし、それに対応する戦略・戦術に知恵をつくします。

 ところが、日本は、「対話」の舞台ができても、それに対応する用意がない、対話の戦略・戦術をもたない。このあいだ、北京で北朝鮮と久方ぶりの会談が開かれましたが、日本がこの「対話」の場を活用して道理ある主張を展開したという状況は、まったく聞こえてきませんでした。ほかの国からは、「北朝鮮の核・ミサイル問題といったら、日本こそいちばん脅威を感じる国のはずだ。しかし、日本の外交を見ていると、拉致で圧力をかけるというだけで、核・ミサイル問題の解決への熱意があるのかどうか、さっぱり分からない」、こういう苦い批評まで聞かれる状況があります。

 「対話と圧力」というが、「圧力」をかけて相手が全面降伏するのを待っているというのでは、外交とは言えません。

 いま問題なのは、「圧力」の弱さではなくて、外交力の弱さなのです。私は、日本の安全保障を重視するものは、いまそのことを銘記する必要があると思います。

世界平和のため、憲法を生かして外交に強い国になろう

 日本の憲法は、実は、東南アジアで始まったような平和の流れを、世界のなかで先取りしている憲法なのです。東南アジア友好協力条約の大事な点の一つは、さきほど紹介したように、「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」を国家関係のルールとしたところにありましたが、日本の憲法は、この同じ原則を、世界に先立って日本外交の立脚点として宣言しているのですから。

 この憲法を生かす立場に立てば、日本は、世界の平和の流れの先頭に立つ条件を、もっとも強く持っている国なのです。ところが、自民党政治には、この憲法の値打ちが見えないわけで、この原則に立った平和外交を展開することなど、夢にも考えないのです。

 そういう時に、憲法を改定して、軍事のしばりがなくなったら、どうなるでしょう。「圧力」の手段のなかに、今度は「武力」まで入ってくるわけですから、軍事対応優先の傾向がもっともっと激しくなるだろうことは、目に見えています。しかし、憲法を改定した政権がいくら軍事の「圧力」をふりまわしてみても、いまの世界は戦前の世界とは根本的に違っています。目先の成功にせよ、そんなことで成果が得られるような世界ではないのです。憲法の歯止めを失った軍事優先主義は、日本の外交的ゆきづまりをいよいよ深刻にするだけでしょう。

 私は、いま日本がぶつかっている最大の矛盾は、世界でいちばん進んだ平和の憲法を持っている日本が、世界でもっともおくれた軍事優先の政治に落ち込んでいるところにあると思います。ここに、打開すべき深刻な矛盾があります。憲法を生かして、世界平和のため、外交に強い国になる。私たちは、このことを大きな目標にしようではありませんか。

(3)ふくれあがる軍事予算が国民生活を押しつぶす

日本はすでに世界で有数の軍事費大国

 次は経済の問題です。

 いま、税金のむだ遣いに対する国民の批判は、たいへん強くなっています。しかし、そのなかで、事実上「聖域」になっている巨大な分野があります。それが軍事予算です。日本の軍事予算は、年間四兆八千億円から四兆九千億円という規模が、この十年あまりずっと続いています。ドルに換算すると四百二十億ドル前後というところですが、『SIPRI年鑑』(ストックホルム国際平和研究所)で世界の状況を見ますと、年間四千七百億ドルもの軍事予算を使っているアメリカは別格で、それに続くのが軍事予算四百億ドルの国ぐに――イギリス、フランス、日本、中国です。戦力の保持を禁じた憲法を持つ日本が、アメリカに次いで軍事予算の大きい四つの国の一つとなっているわけです。日本はすでに、まぎれもない軍事費大国になっているのです。

 その膨大な軍事予算のなかで、アメリカと日本の軍需企業を太らせるだけの巨大なむだ遣いが問答無用の形でまかり通っている。今日はまず、その話をしましょう。

ソ連崩壊後に、対ソ戦用の超大型戦車を大量配備する

 陸上自衛隊で、いちばんお金を使っている部隊に、90式戦車を装備した戦車部隊があります。この戦車の数は、今年度の発注分まで含めるとすでに三百二十四両にも達しますが、購入予算の総額は、これまでの合計で約三千億円にのぼります。富士にその訓練学校があって、そこに何両かありますが、あとは全部北海道に配備されています。

 この戦車はやっかいな代物でして、北海道のある地域に配備してしまったら、ほかの地域に移動することができないのです。一両五十トンという特別に重い戦車ですから、道路を走ると道路を壊してしまい、渡れる橋もない(笑い)。日本の橋の重量制限は普通は二十トン、高速道路で四十トンですから。この戦車を通そうと思ったら、あらかじめ道路や橋を作り直さなければならない。(笑い)

 なぜこんなことをやったのか、というと、対ソ戦への備えだったというのです。戦争になったら、ソ連の戦車部隊が北海道に上陸してくるはずだ、その戦車部隊を迎え撃つために、90式戦車を北海道の要所要所に配置した、ということです。しかし、相手が、予定した場所にうまく上陸してくれればいいけれども、思わぬところに上陸したらどうするつもりだったのか(爆笑)。ともかくこういうものを三百二十両以上もつくってしまったのです。

 九〇年代に衆院の予算委員会で、志位書記局長(当時)が、「なんのためにつくったのか」と質問したことがありました(九五年一月)。玉沢防衛庁長官が「もし第三次世界大戦があったとすれば、当然、彼ら〔ソ連〕は北海道を侵略してくる可能性があった。それに対抗するためにこの戦車が必要だった」と答弁し、閣僚席からも爆笑が起こった、という記録があります。ソ連崩壊から何年もたったあとで、こんな答弁をしていたのですから。

 政府は、ソ連の戦車部隊への反撃用のこの戦車を、いったいいつ買ったのでしょうか。これが問題です。調べてみると、日本の軍事予算に、90式戦車購入の予算がはじめて組み込まれたのは一九九〇年、大量生産の契約を企業側(中心は三菱重工)と結んだのは九一年です。その年にソ連は崩壊するのですが(笑い)、政府は、だからといって契約を解除することをせず、毎年予算を組んでこの戦車を買いつづけ、今年の予算でも新たに九両発注しました。ソ連の解体で対ソ戦の必要はなくなったのに、対ソ戦のシナリオにしか使えない戦車を、ソ連解体後十六年も買い続けて、その購入費用が三千億円にものぼっている。こんなにばかげたむだ遣いがあるでしょうか。

イージス艦のむだ遣いも同じシナリオで

 同じようなことは海上自衛隊にも起きています。イージス艦という高価格の軍艦があります。最初に買った四隻は、一隻約千二百億円。新たに追加した二隻は改良型で約千四百億円。ともかくものすごく金のかかる軍艦です。これを何のために買ったかというと、これもまた対ソ戦への備えでした。中曽根首相がアメリカとの首脳会談で、太平洋のシーレーン(海上輸送路)の防衛を日本が引き受けると約束したことがあったのです。その約束を具体化するために、いちばん脅威になるとされていたソ連の爆撃機バックファイアを迎撃するために、イージス艦の購入を計画したのでした。

 この建造予算が最初に組まれたのは、一九九〇年。90式戦車と同じです。軍艦の製造には時間がかかりますから、一番艦の「こんごう」が竣工(しゅんこう)したのは一九九三年。ソ連はもう二年前になくなっていました。それでも政府は、イージス艦建造計画の修正をしないのです。二番艦「きりしま」は九五年竣工、三番艦「みょうこう」は九七年竣工。四番艦「ちょうかい」は九八年竣工。

 作戦のシナリオはご用済みになったのに、軍艦建造の方はそのシナリオどおりに四隻そろえてしまった。そして、つくってから、何に使ったらいいだろうか、と考える(笑い)。これまたばかげた話になりました。ですから、イージス艦の活動実績を調べてみたら、米軍支援のためにインド洋に交代で出動したのが主要なことで、ほかには活動らしい活動をほとんどしていません。

 北朝鮮のミサイル問題が起きて、二〇〇二年から新たに二隻の建造を発注したりしたのですが、つぎに述べるように、ここにも大きな問題があります。

ミサイル防衛――シナリオができないのに配備を始める

 これらに続くむだ遣いの旗頭(はたがしら)が、いま進行中の「ミサイル防衛」です。北朝鮮がテポドンを持った、その脅威から日本を防衛する、こういううたい文句で、小泉内閣がその導入を決定しました(二〇〇三年十二月)。最初の数年分だけで予算は一兆円、計画の進行とともに末広がりに予算が増えることは確実で、そこにどれだけのお金がつぎこまれるか、予想がつきません。

 この「ミサイル防衛」というのは、すべてアメリカの技術に頼っているのですが、アメリカではまだ開発中で、はたして成功するものかどうか、まだ確かめられていない未完成の技術です。だから、日本が導入を決めた年・〇三年に、アメリカの二十二人の科学者(ノーベル賞受賞者七人をふくむ)が、「まだ成功していない技術に膨大な予算をつぎ込むのは間違いだ、同じ軍事予算を使うのだったら、もっと役に立つことに使うべきだ」という声明を発表しました。さらに翌〇四年には、退役した将軍や提督四十九人が、ほぼ同じ趣旨の大統領あて書簡をだして、政府に計画の延期を求めました。できるかできないか分からないものを配備すれば、莫大(ばくだい)なお金のむだ遣いになるだけだ――この声が、アメリカの専門家のあいだで大きな世論になっているのです。

 しかも、みなさん。同じ「ミサイル防衛」でも、アメリカでの「防衛」と日本での「防衛」では、技術のむずかしさが桁(けた)違いなのです。アジアのどこかからアメリカにミサイルを撃てば、目標にとどくまでに数十分はかかります。それだけ対応する時間の余裕は大きいし、ミサイルにたいする迎撃の条件もそれに対応したものになってきます。ところが、日本の場合には、ミサイルが数分間で到着する計算になりますから、その数分間のうちに撃ち落とさねばならないわけで、だから「ミサイル防衛」の技術的な難しさは桁違いだと言われるのです。かりにアメリカで「防衛」実験に成功した場合でさえ、それを日本での成功に結びつけるには、さらに新たな技術開発と時間を必要とするでしょう。

 ところが、小泉内閣は、四年前、まだ技術ができあがっていないのに、「ミサイル防衛」部隊の配備を決めてしまいました。これもまた、ばかげたむだ遣いの繰り返しです。90式戦車やイージス艦は、シナリオが消えてしまったのに、古いシナリオにそって兵器を買い続けたというむだ遣いでしたが、こんどの「ミサイル防衛」は、まだシナリオができていないのに、できたことにして新鋭兵器を買いはじめる、というむだ遣いです。

むだ遣いの背後には、日米軍需企業の大圧力がある          

 それで思い出したことがあります。小泉内閣が「ミサイル防衛」導入を決めたのは、二〇〇三年十二月でしたが、その前月の十一月に、国会のなかの憲政記念館で、自民党、民主党、公明党のいわゆる「国防族」の国会議員たちが「日米安保戦略会議」なるものを開いたのです。会議の名前は大げさですが、中身は、アメリカで開発中の「ミサイル防衛」システムを日本に売り込むことを主題にした会議でした。この会議の後援団体のリストには、三菱重工、川崎重工、石川島播磨、ロッキード、グラマン、ボーイングなど、日米の軍需会社が名を連ねていて、国会内の会場に、なんとミサイル防衛システムの実物大モデルまで持ち込んで、売り込みをはかりました。

 アメリカで技術が未完成であろうがなかろうが、導入したシステムが実際に役に立とうが立つまいが、日本政府が導入を決めれば、これらの巨大軍需企業が莫大なもうけを手にすることは間違いありません。だから、日米の巨大企業は日本の政治に大圧力をかけ、それと結んだ「国防族」も騒ぎたてる。

 いま見てきた、日本の軍事予算のなかにある巨大なむだ遣い――常識では考えられないようなむだ遣いの背景には、日米の軍事企業およびそれと結んだ「国防族」の圧力や暗躍があるのです。なにしろ、軍需発注といえば、「談合」もなにもありません。それが採用されさえすれば、受注企業は最初から決まっているのですから。日本最大の軍需企業・三菱重工をとってみますと、この企業が昨年、国から受けた発注の総額は二千七百七十六億円でした。

大幅軍縮の要求には客観的な根拠がある

 こういう無法がまかりとおっているこの世界で、もし憲法改定が実現したら、何が起こるでしょうか。とめどない軍備拡大の動きに、なんとか歯止めをかける役割を果たしてきたのが、憲法九条でした。そのもとで、「攻撃専門」の兵器は買わないなど、制限的なルールもつくられてきました。もし憲法改定でこの歯止めがなくなったら、軍事予算を途方もない規模でふくれあがらせる新たな圧力が働くでしょう。

 現在、私たちの暮らしや福祉に役立つ予算は、さまざまな分野のむだ遣いで押しつぶされています。そのなかで、誰も手をつけない「聖域」となっているのが軍事予算です。憲法改定で、この軍事予算が新たな規模でふくれあがりだしたら、国の財政はどうなるか、経済生活はどうなるか。憲法改定に関連して、そういう深刻な問題が起きてくるのです。

 みなさんに新たに目をむけてもらいたい問題が、ここにあります。日本共産党は、憲法九条を生かして日本の安全をまもる道として、アジア諸国のあいだで平和的な国際関係をつくりあげる平和外交を大いに重視しています。同時に、自衛隊の軍縮を段階的にすすめる計画を提唱しています。いま見てきたむだ遣いの現状は、軍需大企業の圧力を取り除いて、無法なむだ遣いをやめさせるだけでも、相当な規模の軍縮ができることを、事実で示しているのではないでしょうか。

(4)社会生活が“靖国派”の考え方でしばられる

“靖国派”の憲法案が出てきた

 最後に検討したいのは、憲法九条の範囲を超える問題です。

 さきほど、“靖国派”が、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を合言葉に、戦前・戦時の日本こそ「美しい日本」だといって、日本の社会や「国柄」をそこへひきもどそうとしていることについて、お話ししました。

 “靖国派”というのは、現代の日本でも世界でも通用しない独特の価値観を信条としている、たいへん特殊な集団なのですが、その集団が、自分たちの独特な価値観を示す新しい文書を、最近、つくったようです。例の「日本会議」が、“靖国派”の憲法改定案をつくったのです。発表は、「日本会議」ではなく、「新憲法制定促進委員会準備会」という名前の超党派の国会議員グループの名前で、きょう五月三日におこなわれることになっていると聞きました。私は、検討途中の「大綱案」を見る機会があったのですが、そこには、“靖国派”の独特の価値観がよく出ていましたので、中間段階のものではありますが、とくに注目される点を紹介しておきましょう。

 ――憲法の「前文」で、「日本国の歴史や、日本国民が大切に守り伝えてきた伝統的な価値観など、日本国の特性すなわち国柄」を明らかにする(例の「国体」論)。

 ――憲法に、日本国民が「時代を超えて国民統合の象徴であり続けてきた天皇と共に、幾多の試練を乗り越え、国を発展させてきた」歴史を書き込む。

 ――新憲法がうけつぐべき歴史的達成の筆頭に「近代的立憲主義を確立した大日本帝国憲法」を明記する(現憲法が、前文で「排除する」ことを規定した明治憲法の復権です)。

 ――「天皇」条項では、天皇が「国家元首」であることを明記し、それにふさわしい「地位と権能」を規定する(天皇は「国政に関する権能をもたない」という現憲法の規定を切り捨てることです)。

 ――国民が「国防の責務」を負うことを明確にする。

 ――「人権制約原理」を明確にし、「国または公共の安全」、「公の秩序」などの立場で基本的人権を制限できることをはっきりさせる。

 ――「わが国古来の美風としての家族の価値」を重視し、これを国家による保護・支援の対象とする。

 ――「公教育に対する国家の責務」を明記する(「責務」というのは、教育にたいする国家の統制の「権利」のことです)。

 ――国会を「国権の最高機関」と位置づけている現憲法の規定を見直す。

 ――参議院の権限をけずり、衆議院の優越をいま以上に大きいものとする。

 説明は略しますが、こういう条項がずらっと並んでいて、いよいよ“靖国派”の正体見たり、という感があります。

 こういう“靖国派”独自の要求が、自民党などの憲法案にどれだけ書き込まれてくるかは、これからの問題ですが、私がここで取り上げたいのは、憲法案への書き込みをどうするかに先立って、いまの政治のなかで、日本の教育や社会生活を、“靖国派”の独特の考え方、価値観でしばってゆこうとする動きが、すでに現に始まっている、ということです。この動きは、安倍内閣のもとでいよいよ加速しています。

小学校の歴史教科書から縄文・旧石器時代が消えた

 “靖国派”は以前から、日本の教育に“靖国派”の考え方をもちこむことに特別の努力をそそいできました。

 戦争観で、まず最初に問題になったのは、「靖国史観」を学校教育にもちこむ「つくる会」の教科書を、検定で合格としたことでした。

 最近はそれにとどまらないで、「従軍慰安婦」の問題で国の強制についての記述を削らせるとか、沖縄戦のなかで起こった集団自決について、それが軍の指示でおこなわれた事実を削らせるなど、戦争を美化する方向での乱暴な介入がくりかえし起こっています。

 それから、最近起きたことで驚かされたのは、歴史教育への政府の乱暴な介入です。

 昨年十一月に、考古学者の集まりである日本考古学協会が、声明を発表しました。いまの日本の教育の体系では、日本歴史は小学校六年生から教えることになっていますが、その六年生の教科書から、縄文時代や旧石器時代が消えてしまったというのです。

 声明は、「日本列島における人類史のはじまりを削除し、その歴史を途中から教えるという不自然な教育は、歴史を系統的・総合的に学ぶことを妨げ、子ども達の歴史認識を不十分なものにするおそれがある」として、教科書の本文に旧石器・縄文時代の記述を復活させることを強く求めています。私はまったくその通りだと思います。

 なぜ、こんな異常なことが起きたのか。原因は、文部省(現在の文部科学省)が決めた「学習指導要領」にありました。八九年と九八年に決めた「学習指導要領」で、日本の歴史は「大和朝廷による国土統一」から教えればよい、ということをくりかえし指示し、その指示にそった教科書をつくった結果、縄文時代と旧石器時代が消えてしまったのでした。これは、わが祖先たちが日本列島で展開してきた現実の歴史を、“靖国派”の特殊な価値観で切り刻んでしまうことです。

この暴挙の背景には“靖国派”の「国柄」論がある

 “靖国派”の「国柄」論は、日本民族の歴史は天皇とともに始まるとしています。旧石器時代はもちろん、縄文時代にも、大和朝廷などは存在しませんでした。そんな時代のことを子どもに教えたら、自分たちの国柄論が成り立たなくなる。おそらく、これが、この暴挙の、もっとも奥深くにある動機だったのでしょう。

 大和朝廷ができたのは、人間がこの列島に住みついて、少なくとも数万年の歴史を経てきた後の時代のことです。そして、戦後の歴史学と考古学は、多くの新しい発見でこの長い時代についての私たちの知識を豊かにし、先人たちの活動への夢とロマンをはぐくんできました。この豊かな歴史を切り捨てて、日本人の歴史を、大和朝廷の成立以後のわずか千数百年の「歴史」に切りちぢめてしまう。“靖国派”は、戦時用語である「悠久(ゆうきゅう)」の言葉が好きで、「悠久の歴史」についてよく語りますが、この列島の上でわが祖先たちが現実に展開された数万年にわたる歴史については、これを尊重する態度をまったく持たないのです。

 私たちは、アメリカでキリスト教原理主義が、教義に反するとして「進化論」を学校教育から排除している話をきいて、その非文明性にあきれたものでしたが、自分たちの国柄論を無理やり日本の歴史にあてはめ、それに合わない部分は切り捨ててしまう、という“靖国派”のやり方は、同じ性質の非文明性を示しています。

家族と女性差別撤廃の問題と“靖国派”

 “靖国派”の攻撃が集中しているもう一つの分野は、家族や女性の地位にかかわる分野です。

 さきほど、“靖国派”の憲法改定案に、「わが国古来の美風である家族の価値」を国家が保護するという項目があることを紹介しました。この周辺では、自分たちの価値観を日本社会に押しつけようとする“靖国派”の横暴が、連続的にくりかえされています。

 ご承知のように、いま世界では女性差別の撤廃という問題は非常に大きな国際的な流れになっていて、一九七九年には女子差別撤廃条約が結ばれ、八五年には日本もこの条約を批准しました。そして、この条約にてらしてみると、日本の現在の制度にも、問題のある部分があちこちにあることが明らかになってきました。結婚した夫婦は、夫と妻がどちらか一つの姓を名乗らなければならない(民法第七五〇条「夫婦の氏」)とか、女性にたいしてだけ、離婚してから六カ月たたないと再婚が許されない、という規定がある(民法第七三三条「再婚禁止期間」)とかです。

 この二つの問題の解決については、九六年に、法相の諮問機関である法制審議会がとりあげて、民法改正案の要綱を決定するところまで来ていましたし、二〇〇三年には、国連の女性差別撤廃委員会から、日本にたいして民法改正の勧告も出されていました。

 実は日本の憲法は、この問題でもなかなか進んだ規定をもっているのです。結婚や家族の問題について、憲法にどう書かれているかというと、第二四条にこうあります。

 「第二四条〔家族生活における個人の尊厳と両性の平等〕(1) 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。

 この条項には、男性という言葉も、女性という言葉もありません。両性の平等という立場をそこまで徹底させているわけです。憲法ですから、具体的な指示はありませんが、社会が発展して、男女の平等の関係がどのような形態にすすんだとしても、憲法がそれにちゃんと適応できるように書かれているわけです。この条の第二項は、配偶者の選択、財産権、相続などなどについての規定ですが、それについても「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と、その立場を一貫させています。私は、各国の憲法をいろいろ読みくらべてみましたが、現憲法のこの規定は、そのなかでもたいへん進んだものだと思います。

 ところが、民法の方は、これにくらべると、明治に決められたままで残っているところが、結構多いのです。だから、法制審議会でも民法改定の用意にとりかかったのですが、この前に立ちふさがったのが、「日本会議」などの“靖国派”でした。

女性差別撤廃への敵意から国連攻撃にまで進む 

 まず、夫婦別姓問題からその経過をみると、この問題は、九〇年代の後半ごろから、世論のなかでも大きな問題になってきました。そして九八年には野党の民法改正案が超党派でまとめられ、二〇〇一年には自民党や政府のあいだでも前向きの動きが出てきました。しかし、日本会議の猛烈な反対運動で、自民党も政府も腰砕けになり、結局、改正の動きは〇二年につぶれてしまいました。

 女性の再婚禁止期間をなんとかしようという動きが大きな社会問題になってきたのは、最近のことです。禁止期間内に生まれた子どもさんが無戸籍になるという問題があって、これはなんとかしなければならない、ということで、自民党もかなり積極的に動きだしました。やはり“靖国派”の反対でつぶれましたが、今度は「日本会議」が大運動をするまでもなかったのです。政府と自民党の要(かなめ)を“靖国派”がにぎっているのですから、党の方は中川昭一政調会長が、政府の方は長勢甚遠法相が反対の声をあげ、その一声でお流れになりました。

 この分野で、続いていま何が問題になっているか、というと、話が、国連攻撃に移っているのです。そして、“靖国派”の最大の攻撃目標になっているのは、国連の決定に対応して、一九九九年、政府が国会に提案し採択された「男女共同参画社会基本法」です。“靖国派”は、最初は、この計画が「ジェンダー」(男女の社会的・文化的な性別を表す言葉)などの言葉を使うのがけしからんといって、この言葉を追放する“言葉狩り”を主な攻撃の内容としてきました。しかし、もともと「男女共同参画」という法律の名称そのものが、「ジェンダーの平等」という言葉の訳語なのですから、言葉の追放運動では、問題は解決しません。

 この矛盾に気づいたのか、最近では、「基本法」そのものが撃滅の目標になってきました。今年の二月、「日本会議」が“靖国派”の新しい組織「美しい日本をつくる会」を発足させました。その設立趣意書を読むと、社会や学校の乱れの原因はこの「基本法」にあるとして、「個人の人格を破綻させ家庭を壊す男女共同参画社会基本法を廃棄しなければ、遠からずわが国は亡国の危機に直面する」といった最大級の言葉で、「基本法」の廃棄をよびかけています。“靖国派”にとっては、男女の平等とか女性差別の撤廃が、社会の大目標になること自体が、がまんのできないことなのです。“靖国派”のある女性議員は、その攻撃を直接国連に向けて、“国連が提唱した女性差別廃止の条約や児童権利条約が、日本の家族軽視や家族崩壊を導いた”などと、あからさまな国連非難の叫びをあげています。

“靖国派”の特殊な思想の社会への押しつけを許してはならない

 “靖国派”とは、こういう特異な思想でかたまった人たちの集団です。その特殊な集団がいまや政権の中枢にすわり、その立場を利用して、自分たちの特殊な価値観、特殊な思想を、わが国社会に上から押しつけようとしています。ことはまだいくつかの分野で部分的に始まったところですが、ここには、憲法改定の動きとともに日本社会が直面する大きな危険が現れています。

 私はこのことを、この機会にとくに強調したいのです。(拍手)

 “靖国派”が、憲法改定を、こういう方向に日本社会を転換させる転機にしようとしていることは、疑いありません。ですから、私たちは、いまさまざまな場所で起きている問題をばらばらに見ないで、それらの動きが全体としてどんな流れを示しているかをよくつかみ、“靖国派”の動きへの警戒と反撃を系統的におこない、これを芽のうちにつぶしてゆかなければなりません。こういうことも、憲法をまもる私たちの運動のプログラムに入れてゆく必要があることを、強調したいのであります。(拍手)

「憲法9条をまもれ」の声を国民の多数派に

 最後に運動の問題です。

最近の世論調査から見えてくること

 憲法改定をめざして、相手側も大きく動いていますが、憲法をまもる運動の発展も、とくにこの数年顕著な広がりを見せています。「九条の会」ができたのは、三年前の六月でしたが、この三年間、憲法を守る草の根の運動は、全国に着実に広がっています。全国の地域・職場で組織された「九条の会」は、すでに六千をこえる規模になりました。

 こうした運動の広がりは、マスコミの世論調査の動向にも、いろいろな形で表れはじめています。

 憲法記念日を前にして、多くのメディアが世論調査をしました。「読売新聞」は一九九六年からずっとこの調査をやっていますが、編集部自身が、今年の調査結果に出た変化に注目して、「憲法改正派が今回も多数を占めた」が「改正派は10年ぶりに50%を下回った」(「読売」四月六日付)とコメントしています。

 実際、年を追って調査結果を見てみますと、「改憲」意見と「擁護」意見の開きがいちばん大きかったのは、三年前の〇四年調査で、「改憲」意見65%、「擁護」意見23%と三倍近い開きがありました。その後、「改憲」意見は〇五年61%、〇六年56%と減り続け、今年〇七年には46%と半数を割ってしまったのです。他方、「擁護」意見の方は、〇五年27%、〇六年32%と増え続けて、〇七年では39%。三年前に三倍近い開きだったものが、今年は、46%対39%とかなり迫るところまで近づいてきました。この変化が、「九条の会」が活動を始めた年から始まっているということは、なかなか深い意味のあることです。

 そのなかで、興味深いのは、九条についての意見です。憲法全体についての質問では、「改憲」意見がまだ多数ですが、九条「改正」の必要について聞くと、戦争放棄の第一項については「必要ない」が80%、「必要あり」が14%、戦力不保持の第二項については、「ない」が54%、「ある」が38%と、「改憲」反対が絶対多数なのです。

 同じことは、ほかの調査にも出ていて、NHKの四月調査では、九条について、改定の「必要ある」が27%、「必要ない」が44%でしたし、共同通信の四月調査では、「必要ある」27%、「ない」45%、「朝日」の調査でも、「必要ある」33%、「ない」49%でした。九条は現状のままというのが、国民の多数意見であって、これらの調査で「改憲」意見として出てくるものの大部分は、時代の変化に対応しようなどといった考えのものが多く、自民党や“靖国派”が望むような内容のものではないことが、はっきり数字に出ていると思います。

 もう一つ、これは「朝日新聞」の世論調査ですが、面白い設問がありました。この調査では、「改憲」についての一般的な質問への回答では、「必要ある」58%、「ない」27%と、「改憲」意見が「読売」などよりも多かったのですが、もう一つ、「安倍政権のもとで憲法改正を実現すること」に賛成か反対かという設問があるのです。これにたいする回答では、「賛成」40%、「反対」42%と逆転の結果が出ました。反対が、27%から42%へ増え、賛成が58%から40%に減ったのです。“靖国派”が政府をにぎって改憲を急いでいることにたいしては、わずか半年の経験だが、国民のあいだに早くも警戒心が強まっているわけで、これは九条問題で擁護意見が多数であることとあわせて、非常に大事なことだと思います。

 “靖国派”の政権というのは、自分の政権のあいだに何が何でもやりとげようと、あれこれのことを急いでやってきますから、その面では“風雲急”という状況が強まります。同時に、例の「美しい国」づくりの合言葉にも見られるように、憲法改定で日本がどんなことになるのか、という全体像をいやおうなしに国民の前に明らかにし、警戒心を強める、こういう作用もあるのです。ですから、この政権に立ち向かっているいま、憲法改定に込めた“靖国派”の怨念(おんねん)というか、野望というか、そのたくらみの真相を国民のあいだで広く宣伝してゆくことが、とりわけ重要になっています。

法律と憲法とでは、事情に根本的な違いがある

 いま、私たちの運動のこれからを考えるとき、法律と憲法との違いを見定めておくことが、大切です。法律は国会の多数で決まりますから、反動派が国会の多数を占めれば、どんな悪法でも通すことが可能です。しかし、憲法については、国会で多数を持っていただけでは、ことは決まらないのです。改憲を発議することも、法律一般とは違って、衆参両院での三分の二以上の多数の賛成が必要ですし、その関門を突破したとしても、最後に決着をつける決定権は、国民がにぎっているのです。

 一昨年、欧州議会がヨーロッパ憲法の案をつくり、それを各国の国民投票にかけました。そうしたら、なんと、投票の結果は、フランスで賛成45%、反対55%、オランダで賛成38%、反対63%、二つの国で批准に失敗してしまったのです。ヨーロッパ憲法は、全部の国で批准されないと成立しないので、いまだに見通しは立たないままになっています。この状況を見て、日本の憲法改定派が大きなショックを受けたと聞きました。前途は容易でないことを痛感したのでしょう。

 自民党などは、国会の多数を確保し強固にするために、小選挙区制の導入をはじめ、あらゆる手だてをつくしてきました。それで国会の議席の数を増やすことはできても、国民世論の多数をつかむことは簡単ではないのです。法律は国会での数で決まるが、憲法は国民のレベルで決まる。これが、この運動の大事なところです。

 国会の議席がどうであれ、また議席の多数を使ってどんな段取りを講じようと、「九条守れ」の声を国民多数の声にすれば、彼らの野望は必ず粉砕できます。(大きな拍手)

 憲法論ではいろいろなことが問題になりますが、九条を変えられなかったら、彼らにとって、改定の値打ちはないのです。憲法対決の勝負は九条で決まります。だから、草の根の活動がいまいよいよ大事です。運動が進んだところでは、高知県の土佐清水市、岩手県の陸前高田市など、憲法九条を守る署名がすでに過半数の支持をえている地域も出ています。この二つの市での成功は、他の地方でも可能性があることを示すものです。

 全国すべての自治体、すべての地域・職場・学園に、憲法九条を守る組織――改定反対の声を国民のあいだに広げてゆく組織を無数に、網の目のようにつくり、草の根で多数を占める運動を広げてゆくことです。そういう力の総結集が、運動の成否を決めます。憲法の前途は、まさに、草の根の力関係でこそ決まるのです。

 このことを運動の根本にきちんとすえて、がんばってゆきたいと思います。この運動には、日本の将来がかかっていますが、前途に成功の大きな展望があることは確実です(大きな拍手)。みなさん、おたがいにがんばりましょう。(大きな拍手)



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