2007年5月15日(火)「しんぶん赤旗」
米軍再編の中 沖縄復帰35年
爆音・米兵の事件・環境汚染
新基地建設へ重大局面
第二次世界大戦後、米国の支配下に置かれた沖縄が日本に復帰してから、十五日で三十五年を迎えます。復帰後も基地あるがゆえに苦悩を背負わされつづけ、在日米軍再編による新たな強化も狙われている沖縄。憲法九条を「復帰の原点」にしてきた県民には、改憲手続き法の強行など、憲法改悪を進める安倍内閣の暴走への懸念も強まっています。(竹下岳)
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那覇空港から、二〇〇三年に開業した二両編成のモノレール「ゆいレール」に乗ると、片側二車線の道路の両脇に、真新しい大型ショッピングセンターやマンション、ホテルが立ち並ぶ市街地に着きました。米空軍住宅跡地に建設された那覇新都心です。
華やかに姿を変えつつある那覇市。しかし、沖縄本島を南北に貫く国道58号を北に向かって走ると、三十五年前と変わらない、米軍基地のフェンスが途切れなく続きます。
米軍ヘリ激突
今も続く爆音被害、米兵による事件・事故、環境汚染…。〇四年八月には、米海兵隊普天間基地(宜野湾市)所属のCH53D輸送ヘリが沖縄国際大校舎に激突するという重大事故が発生しました。
年間七万回の飛行回数で国内最悪の爆音被害をもたらす米空軍嘉手納基地(嘉手納町など)では、暫定配備されていたF22ステルス戦闘機が十日未明の飛行を強行しました。十三日には、同基地を包囲する「人間の鎖」で抗議の声が響きわたりました。
一九九五年の少女暴行事件以来、「沖縄にこれ以上基地はいらない」との県民世論は大きく高まりました。一方、日米両政府にとって、イラクやアフガニスタンなど、地球規模の出撃拠点である在日米軍基地の75%が集中する沖縄は絶対に手放したくない拠点です。
過去十年の日米両政府と県民の最大の対決点は、普天間基地に代わる新基地建設の動きです。
反対意思示す
日米両政府は九六年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終合意で、住宅地の真ん中に位置する普天間基地に代わり、名護市辺野古沖への新基地建設を決定。九八年には総力を挙げて大田革新県政を倒し、新基地推進の保守県政を誕生させました。
しかし、県民の圧倒的多数は新基地建設に反対の意思を示し続けました。九七年の名護市民投票や、その後の住民による粘り強い監視活動などで、〇四年に県が同意した辺野古沖のボーリング調査をついに実施できず、SACO合意は破たんしました。
日米両政府はそれでもあきらめず、〇五年十月の在日米軍再編「中間報告」で「(沖縄の)米海兵隊兵力のプレゼンス」は「決定的に重要な同盟の能力である」と断定し、米海兵隊キャンプ・シュワブ(名護市)沿岸部への新基地建設を決定。〇六年五月の「最終報告」では、一四年までにV字形滑走路の新基地を完成させる「工程表(ロードマップ)」を示しました。
新基地建設を許すことになれば、史上初の日本政府による基地建設となります。米軍再編では、米海兵隊キャンプ・ハンセン(金武町など)や米空軍嘉手納基地の米軍・自衛隊の共同基地化も計画され、日米の軍事一体化を推し進めようとしています。
沖縄復帰三十五年の今、新基地建設をめぐる動きは、重大な局面を迎えています。
本島の19%基地
沖縄の米軍基地は三十七カ所、二万三千六百六十八ヘクタール(二〇〇六年三月末現在)。県の面積の約11%、沖縄本島だけでは約19%が基地に占領されています。もっとも大きな割合を占めているのが、地球規模の殴りこみ部隊・米海兵隊(第三海兵遠征軍)です。
沖縄が返還された一九七二年以後、日本本土では米軍基地の約60%が返還されたのに対し、沖縄では約18%。沖縄の米軍基地構造に大きな変化はありません。
基地の存在で産業が育たず、沖縄の失業率はつねに全国最悪。今年三月の完全失業率は7・5%で、若年者の場合は約15%に達します。
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