2007年6月24日(日)「しんぶん赤旗」
沖縄 忘れ得ぬ戦争
沈む疎開船・集団自決
追悼の日「史実伝えて」
沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で二十三日おこなわれた「沖縄全戦没者追悼式」。平和の礎(いしじ)の前で手を合わせる人たちは、忘れ得ぬ戦争体験を持っています。
「元大蔵省の官僚」という七十三歳の男性。沖縄からの疎開船で、沈没した「対馬丸」と同じ船団に乗って本土に疎開したといいます。「乗り遅れて助かった。対馬丸が沈む時、水平線のかなたに火柱が上がるのを見た」
戦後すぐ、沖縄に帰る時、列車で広島や長崎を通りました。
「夜、暗闇の中に、いくつものかがり火があるのを覚えている。後で考えると、死体を焼いていたんですね。戦争はむごい」
「沖縄に戻って、あそこでもここでも集団自決の話を聞いた。手りゅう弾をもらったという話も、ごまんと聞いている。いまさら教科書から消してどうする? 首相が来るのを、いつも喜んでいるけど、安倍さんには来てほしくない。会場の拍手も少なかった」と語りました。
乳飲み子を連れて戦場をさまよった九十二歳の女性は「今の八重瀬町から、北のやんばるまで疎開して、山の中をさまよった。草の根をかじり、畑から盗んだイモまで何でも食べた。乳が出なくなり、このままでは子どもが死ぬと思い、米軍につかまりました。でも自決して亡くなった人もたくさんいる。沖縄で何があったか、きちんと伝えてください」。
多くの人が、史実は史実として、きちんと伝えてほしいという願いを語っていました。
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