2007年7月3日(火)「しんぶん赤旗」
主張
原爆投下容認発言
被爆国で政治担う資格がない
久間章生防衛相が、広島、長崎への原爆投下について、「あれで戦争が終わったんだなとの頭の整理で、今しょうがないと思っている」と発言したことにたいし、被爆者をはじめ怒りの声が相次いでいます。
久間氏は「説明がまずかった」と“陳謝”したものの、辞任は拒否しています。安倍晋三首相も久間氏に形ばかりの“注意”を与えただけで、罷免要求を拒否しています。
ことは被爆国の政治家としての資格にかかわる問題です。久間氏の発言をあいまいにすませることは、絶対に許されません。
非人道的な大量殺りく
今から六十二年前の太平洋戦争末期に、アメリカが広島と長崎に原爆を投下し、二つの都市を壊滅的に破壊して、無防備の非戦闘員をふくむ二十万人以上の市民を殺りくした事実は、非人道的な大量殺りく兵器としての核兵器の本質を誰の目にも明らかにしています。爆風に飛ばされ、熱線に焼かれ、人類がそれまで経験したことのなかった放射能にさらされたことによって、いまなお多くの人々が苦しみぬいています。原爆投下はどんな理由であれ「しょうがない」などとすませられることではありません。
非人道的な核兵器は廃絶するというのが戦後の世界の常識です。一九四六年の国連総会の第一号決議は、「原子兵器の各国の軍備からの廃絶」を誓いました。その後も世界は、核兵器の製造と使用、貯蔵の禁止を目指して、粘り強い話し合いを重ねてきました。
もちろん日本は世界最初の被爆国として、核兵器の廃絶を世界に発信する責任を負っています。「原爆許すまじ」―被爆地の記念碑に刻まれた言葉です。「しょうがない」などといって原爆投下を正当化することは、原爆の犠牲になった市民を冒とくし、被爆国として日本が果たすべき役割を否定することになります。
万万が一、アメリカの原爆投下が「しょうがない」ということですまされることになれば、再び原爆の使用が問題になったときにも「しょうがない」と正当化される余地を残すことにもなりかねません。
久間氏は被爆地・長崎出身の、被爆国の閣僚です。原爆投下という事実に、被爆国の政治家としてどう向き合うのかが、とりわけ強く問われる立場です。問題にすべきは非人道的な核兵器の使用を容認するかどうかであり、発言が「説明不足だった」という言い訳や、通りいっぺんの「おわび」ですまされるということは、一切通用しません。
だいたい久間氏がいう原爆投下が戦争終結を早めただの、ソ連の本土占領を避けさせたなどという理由は、まったく成り立ちません。戦争末期、日本の戦闘能力はほとんど失われていたのに、アメリカは戦後の世界でソ連より優位に立つことをねらって、完成したばかりの核兵器の使用を急いだというのが世界の常識です。久間氏の発言はこの点から見ても見過ごしにできない誤りです。
罷免しない首相も同罪
久間氏には、今後も閣僚の地位にとどまり続けるのはもちろん、被爆地の国会議員としてとどまることも本来許されません。久間氏は発言の誤りを認め、ただちに閣僚を辞任すべきです。
重大なのは、久間氏を閣僚に任命した安倍首相の責任です。かばい続ければ安倍首相自身が原爆投下を認めていることになります。安倍首相が「核兵器廃絶」を目指すなら、ただちに久間氏を罷免すべきです。
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