2007年7月4日(水)「しんぶん赤旗」

被爆後 米教会に寄贈

広島の子どもの絵

米で修復すすむ


 【ワシントン=山崎伸治】六十年前、被爆直後の広島の小学生が描き、米国の首都ワシントンの教会に贈られた四十八点の絵と習字の修復作業がすすめられています。保存にかかわった米国在住の重藤(しげとう)マナーレ静美さんは、「修復が終われば米国でぜひ展示会を開きたいと考えています。いずれは広島でも展示会を開き、日米の子どもに平和のことを考えてもらいたいと思います」と話しています。

 この絵と習字は、広島の爆心地に最も近い小学校である本川小学校の児童が、ワシントンのオール・ソウルズ教会に贈ったもの。水彩やクレヨンで生き生きと描かれているのは、こいのぼりや振り袖を着た女の子、運動会、公園など、六十年前の広島の子どもの姿です。

 一九四六年十一月、同教会のパウエル・デイビーズ牧師は、新聞に掲載された写真に驚きました。米軍高官が原爆投下を称賛し、パーティーで「きのこ雲」をかたどったケーキをカットしていました。牧師が憤慨し、原爆の惨状を新聞のコラムで訴えたところ、日本のGHQ(連合軍総司令部)にいたハワード・ベル博士の目に留まります。

 博士は牧師に共感し、学用品を広島の子どもに贈ることを提案。牧師の呼びかけに数週間で集まった五百キログラムもの鉛筆やクレヨン、紙などが四七年十二月、広島の本川、袋町両小学校と似島の孤児施設に届きました。

 その感謝の気持ちとして、本川小学校の児童は絵と習字を、袋町小学校の児童は手紙を教会に贈りました。広島から来たこの「贈り物」は当時、教会だけでなく、全米各地で巡回公開もされました。

 ところがその後は教会の倉庫に置かれたままとなり、改めてその存在が明らかになったのは十年ほど前。ワシントンの反核組織ヒロシマ・ナガサキ平和委員会のジョン・スタインバックさんらの尽力によるものでした。

 本格的な保存運動のきっかけは、二〇〇六年八月、同委員会の招待で訪米した三人の日本被団協代表団が同教会を訪れたことでした。一行を案内した舞踊芸術家、重藤マナーレ静美さんが絵と習字を見るなり、その躍動感に心を打たれます。

 しかし劣悪な保管環境のため、カビがはえていたり、破れたりなどしており、修復が急がれる状態でした。「このままでは子どもの真心の絵や書が完全にだめになる」―。静美さんはすぐに「広島の子どもの絵を守る会」をつくります。

 教会に保存を粘り強く働きかけました。今年三月には、芸術監督を務めるワシントンの「全米桜祭り」で、絵をテーマにした舞台も披露。記録映画の製作にも乗り出しました。そうした努力のかいあって、修復に必要な約二万ドルの費用も教会関係者の寄付で集まり、ようやく作業が始まりました。

 夏には記録映画撮影のため広島を訪問する予定もあり、絵と習字に関する情報を集めています。



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