2007年7月9日(月)「しんぶん赤旗」
助役“自決の軍命出た”
沖縄・座間味村 当時の発言 妹が証言
県議会の現地調査に
「集団自決」によって百七十八人が死に追い込まれた沖縄県座間味(ざまみ)村で、当時の宮里盛秀助役が「軍の玉砕命令が出た」と告げていたことを、妹の宮平春子さん(80)が証言しました。六日の沖縄県議会議員の「集団自決」現地調査の中で語りました。
座間味の「集団自決」をめぐっては、日本軍元戦隊長が「命令を出したのは助役」だと主張しています。隣の渡嘉敷(とかしき)島の元戦隊長の弟とともに、軍命があったと記述されて名誉を傷つけられたとして、大江健三郎氏と岩波書店を訴えています(二〇〇五年八月五日提訴)。
妹の春子さんは本紙の取材に「兄さんがウソをつくはずがありません。どうして今ごろ『軍の関与がなかった』なんて? くやしくて、今まで決してしゃべらなかった体験を話すことにしたのです」と心境を語りました。
子を抱きしめ
兄は宮里盛秀さん。一九四五年三月二十五日の夜、激しい空襲の中、壕(ごう)に避難していた春子さんたち家族のところに、兄がやってきました。
兄は父に向かって「軍の命令で、敵が上陸したら玉砕するように言われている」「お父さん、今まで親孝行できませんでした。あの世で孝行するから潔く死にましょう」と告げたといいます。
兄は七歳から四歳までの子ども三人を抱きしめ、「こんなに大きく育ててきたのに、自分の手で死なせるのは忍びない」とも述べました。
「自決」の場は村の忠魂碑。夜に集まることになっていて、春子さん一家は兄の家族と一緒に向かいました。
しかし引き返してくる人がいて、その人は「忠魂碑に照明弾が落ちてきて、集まった人たちが散り散りになった」と言いました。来た道を引き返し、元々いた壕のすぐ上にあった産業組合壕にいきました。
しかし中はいっぱい。兄は「後で呼びにいくから、(元の壕に)戻りなさい」と言い残し、産業組合壕に入っていきました。中に入った兄たちは「自決」して亡くなり、入れなかった春子さんたちは助かりました。
春子さんは「潔く死ぬように言ったのは軍であり国なんです。戦争のみじめさを後世に残したいと強く思うようになりました」「憲法を変えようとする安倍首相が憎たらしいね」と、言葉を選ぶように話しました。
軍が死を強要
県議会の「集団自決」現地調査では、八人の住民が証言。ある住民は座間味村の日本軍元戦隊長から「敵につかまるぐらいなら舌をかみきって死ねと言われた」と語り、別の住人も、ほかの軍人から「なぜ生きている。恥を知れ!」と怒鳴られたと、軍に死を強要されたことを述べました。
「私たちが体験したことが教科書から消されれば、あの戦争はなかったと言われたのと同じことになるのでは」と訴える人もいました。
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