2007年8月7日(火)「しんぶん赤旗」
世界中から核廃絶迫る
被爆62年 世界大会・広島
被爆者・若者 力束ね
原爆投下から六十二年を迎えた六日午後、原水爆禁止二〇〇七年世界大会・広島が広島市で開かれ、海外代表や日本全国から二千人がつめかけました。午前には市主催の平和式典が開かれ、広島の街は、核兵器の惨劇を繰り返させない、との思いに包まれました。
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世界大会会場の最前列には、岡山県の倉敷医療生協の新入職員ら二十二人が身につけた憲法九条をプリントしたTシャツの赤が彩ります。初参加の水島協同病院医療ソーシャルワーカー(24)は、「前日の青年のつどいで被爆者が『ぼくらは生かされている。だから原爆の悲惨さを語り継いでいかなくてはいけない』という言葉が心に残りました。自分たちが体験をまた伝えていきたい」と意気込みます。
主催者報告した大会議長団の安斎育郎氏(立命館大学国際平和ミュージアム館長)は、国際会議宣言の内容を紹介しながら、「草の根の運動、市民社会と政府の連帯した力で国際政治を動かしている。多くの人たちの力を束ねることで、世界を変えるスーパーパワーになりうる、そうなろう」と訴えました。
秋葉忠利広島市長が特別報告。平和市長会議の活動を紹介しながら、世界の大多数の国と個人が核兵器廃絶を求めているとのべ、さらに世論を高めていこうと連帯を表明しました。
この日、広島市に着いたキューバのエルミニオ・ロペス・ディアス駐日大使館次席・政務参事官は、「非同盟諸国首脳会議の議長国として、二〇一〇年のNPT(核不拡散条約)再検討会議の成功の基礎を築くため力を尽くす」と表明しました。世界大会参加の政府代表は四カ国一国際組織。
原爆症認定集団訴訟の熊本の原告、浜崎ヨシミさん(65)が登壇し「自分は白血病にはなりたくない」と苦しみ続けて亡くなった夫のことを涙ながらに語り、「国の控訴を断念させてください」と深々と頭をさげました。
被爆体験の聞き取りをする広島の青年たちや福岡市の新日本婦人の会などが活動を報告。草の根の運動を呼びかけるアピール、原爆症認定問題の解決を求める特別決議を採択しました。
米の誤りに「ノー」を
憲法遵守すべきだ 広島市長が「宣言」
平和記念式典
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広島への原爆投下から六十二年を迎えた六日、広島市主催の平和記念式典が同市の平和記念公園で開かれました。被爆者や市民など約四万人(主催者発表)が参列しました。秋葉忠利市長は読み上げた「平和宣言」で、被爆者たちが強いられた「地獄」の苦しみを生々しく語り、「唯一の被爆国である日本国政府には、謙虚に被爆の実相を学び、世界に広める責任がある」と強調しました。
宣言は「少数の指導者たち」が、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けていると告発。一方で、「二十一世紀は、市民の力で問題を解決できる時代」「市民の力で国際政治を動かそうとしている」と述べ、日本政府に「世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』を言うべきだ」と求めました。
安倍晋三首相は「広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはならない」「被爆者の方々の切実な声に真摯(しんし)に耳を傾け、諸施策を推進していく」と述べました。
潘基文国連事務総長は、代読されたメッセージで、数万発もの核兵器の多くが「一触即発」の警戒態勢にある危険を批判しました。
式典には、被爆者、遺族、市民とともに四十二カ国の政府代表が参列。この一年間に死亡が確認された被爆者五千二百二十一人の名前が納められ、原爆死没者数は合計二十五万三千八人になりました。
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