2007年8月25日(土)「しんぶん赤旗」

不屈の革命詩人、今野大力とは?


 〈問い〉 戦前の詩人で、特高警察の拷問がもとで亡くなった今野大力とはどんな人ですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 今野大力(こんの・だいりき)は、戦前、天皇制政府による激しい弾圧のもとで、反戦平和と国民が主人公の世の中をつくるために、最後まで命がけでたたかった日本共産党員の詩人です。

 今野は、1904年(明治37年)に宮城県丸森町に生まれ、3歳のとき北海道旭川に移住。父母は馬車鉄道の待合所をかねて雑貨店を営みますが、貧しい中で弟や妹を出生間もなく失います。しかし、今野は、逆境にめげず、幼少のころから心やさしく、仲間たちからも慕われました。旭川時代から郵便局などで働きながらも向学心に燃えて独学に励み、17歳のころからは叙情性の豊かな作品で詩人としての才能が認められ、文学活動をつづけるなかで、民衆の生活への社会的関心をつよめていきます。

 31年9月、中国東北部への侵略(満州事変)が始まると、今野は、「日本プロレタリア文化連盟(コップ)」(同年11月結成)で同じ共産青年同盟員であった今村恒夫、槙村浩らとともにひるまずたたかいました。

 『プロレタリア文学』32年2月号に発表された今野の反戦詩「凍土を噛(か)む」は―

 おれたちは千里のこなたに凍土を噛む 故国はおれたちをバンザイと見送りはしたが ほんとうに喜こんで見送った奴は 俺達の仲間ではない おれたちは屠殺場へ送られてきた馬 豚 牛だ!……殺す相手も 殺される相手も 同じ労働者の仲間 おれたちにはいま仲間を殺す理由はない この戦争をやめろ

―と書いています。

 32年3月、文化運動の広がりと発展にたいして、天皇制政府は、文化活動家404人を逮捕。今野は駒込警察署での拷問がもとで、人事不省におちいり釈放されます。健康を害した今野は、奇跡的に回復すると、屈することなく、小林多喜二の虐殺、今村恒夫逮捕の後の「赤旗」(せっき)配布などに参加し、33年には野呂栄太郎、宮本顕治の推薦で日本共産党に入党します。しかし、ふたたび結核が悪化し、35年6月19日、31歳の若さで永眠しました。

 黙々とたたかう今野の姿は、宮本百合子の小説「一九三二年の春」「刻々」「小祝の一家」にも描かれています。

 死の一カ月前に今野が書いた「小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく」で始まる詩「花に送られる」は、療養先だった武蔵野の住まいから江古田の療養所へ向かう寝台自動車の自分をうたい、死を覚悟した決然とした姿が胸を打ちます。

 〈参考〉『今野大力作品集』(新日本出版社)(喜)

 〔2007・8・25(土)〕


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