2007年9月5日(水)「しんぶん赤旗」
東京裁判のパール判事とは?
〈問い〉東京裁判で「被告全員無罪」を主張したパール判事とはどんな人だったのですか。彼の主張をどう考えますか?
(東京・一読者)
〈答え〉 ラダビノード・パール(1886〜1967年)は、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判(極東国際軍事法廷)の11人の判事団にインド代表としてくわわった人物です。
東京裁判では、東条英機元首相ら戦争指導に中心的にかかわった政治家や軍人らが「通例の戦争犯罪」だけでなく、「平和に対する罪」「人道に対する罪」に問われ、25人が死刑や禁固刑などの判決をうけました。
パール判事は、日本が戦争を開始した時点で、戦争は国際法上違法とされておらず、「平和に対する罪」「人道に対する罪」は「事後法」にあたり、罪刑法定主義の原則に反すると主張しました。また、非戦闘員の虐殺や捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪」については、被告の関与は証拠不十分としました。そして、判事のなかでただ一人「全員無罪」を主張し、意見書を提出しました。これが「パール判決書」とよばれるものです。
日本の侵略戦争を正当化する勢力は、パール意見書を「日本無罪論」などとよび、自らの主張を裏づけるものであるかのように宣伝しています。しかし、パール判事は裁判の法的根拠を批判したのであって、日本の行動を正当化してはいません。
パール判事は、インド独立運動の父ガンジーを尊敬し、欧米の植民地主義を批判する立場であり、日本の対外侵略にも批判的な見地をもっていました。
たとえば意見書では、1931年の「満州事変」について「何人もかような政策を称賛しないであろう」とのべ、37年の南京事件の残虐行為について「証拠は圧倒的」と明言しています。太平洋戦争については、日本軍による残虐行為がおこなわれた20地域を列挙し「主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない」と断じています。
同時に「平和に対する罪」を事後法とするパール判事の見解については、19年の国際連盟規約や28年の不戦条約など第1次世界大戦後の戦争違法化に向けた国際法の発展を過小評価したものと指摘されています。
戦後の日本については「平和憲法を守ることでも無類の勇気を世界に示して頂きたい」(「毎日」大阪本社版52年10月31日付)と、憲法の平和原則への支持を表明しています。(土)
〔参考〕吉岡吉典『史実が示す日本の侵略と「歴史教科書」』(新日本出版社)、中島岳志『パール判事』(白水社)。
〔2007・9・5(水)〕