2007年9月28日(金)「しんぶん赤旗」
横浜・米軍機墜落 30年
悲劇、基地ある限り
「母子像」前で集会
一九七七年九月、横浜市緑区(現・青葉区)の住宅街に米軍機が墜落した事件から三十年の二十七日、東京湾・浦賀水道が一望できる横須賀市長沢の丘に建立された「平和の母子像」前で集会が開かれました。「平和の母子像」建立実行委員会が主催し、百人近くが参加しました。
米軍機に焼かれて亡くなった土志田和枝さん(旧姓・林)と幼い二人の子のくやしさを忘れまいと建てた母子像です。
安保条約のもと現在も基地が多くある神奈川県では、米軍基地被害に苦しむ市民が多くいます。平和な世の中をつくるためにも、当時の事件を風化させてはならないと毎年開かれています。
「平和の母子像」建立実行委員の一人として運動をすすめた横山靖子元県母親連絡会事務局長は「安保条約があり基地がある限り、平和は訪れないとの思いで運動を続けていこう」と訴えました。
国と米兵を相手取り民事裁判で勝訴した椎葉寅生さんは「米軍はまだわがもの顔で飛んでいる。これで三十年たったという気にはなれない。平和な日本をつくるためにこれからもがんばらなければ」と決意を新たにしました。
初めて「平和の母子像」を見た女性(39)=横浜市戸塚区=は、「米軍ジェット機が自宅の上を飛んでいます。自分たちの上に落ちるかわからない。基地をなくし平和になるように伝えていきたい」と語りました。
昨年一月に妻を米兵に殺害され、現在米兵と米軍、日本政府の責任を問う裁判でたたかっている山崎正則さんも訴えました。
■関連キーワード