2007年10月2日(火)「しんぶん赤旗」
首相所信表明
よみがえったアフガン戦争取材
軍事支援はテロ拡大
「国民の信頼」「国民の理解」「誠実な国会対応」――。
福田首相は一日の所信表明演説の随所に、これらの言葉を織り込みました。
「靖国」派政治や改憲に突き進んだ安倍前首相の政治姿勢と比べれば大きな変化であることは間違いありません。その背景には参院選で示された民意があります。問題は、「理解」などを得るために、何を、どのように説明するかにあります。
この点でするどく問われているのが臨時国会の最大の焦点とされる海上自衛隊のインド洋派兵継続問題です。所信表明で首相は、派兵延長の必要性について、「国民や国会によく説明し、ご理解を頂くよう、全力を尽くす」と述べました。
首相は、海自の活動が、「テロリストの拡散を防ぐための国際社会の一致した行動」(所信表明)であることを「説明」するつもりなのでしょう。しかし、いかなる「説明」も、報復戦争の六年間の真実の前には無力というほかありません。
市民を空爆
インド洋への自衛隊派兵の目的が「テロリストの拡散防止」などではまったくなく、米の報復戦争支援そのものであること、海自が給油した米艦船から飛び立った戦闘機が、アフガニスタンやイラクで爆撃を繰り返していることは、米軍自身が公表している動かしがたい事実だからです。
首相の演説を聴きながら、ある体験がよみがえってきました。
二〇〇一年十二月初旬。記者は、アフガニスタン南部との交通を結ぶパキスタンのチャマン国境検問所で、同年十月に開始されたアフガン報復戦争を取材していました。
アフガンでは、首都カブール陥落後のこの時期、米軍の攻撃はカンダハルなどタリバンの拠点である南部に移り、連日、激しく空爆していました。
アフガン側からチャマン国境検問所の医療テントに次々と運ばれてくる空爆犠牲者のなかに、当時三十二歳の男性、左腕を骨折したムハンマド・カーンさんがいました。瀕死(ひんし)状態の妻と二人でカンダハルから搬送されてきたのです。カーンさんは声を振りしぼるようにいいました。
「自宅を空爆され、一瞬にして私の五人の子どもたちが死んでしまった。米軍は彼らがテロリストだとでもいうのか」「私はタリバンでもなんでもないが、ケガが治ったら必ず米国に復讐(ふくしゅう)する」
戦争開始から六年。アフガン当局などによれば、米軍などの軍事攻撃で死亡した民間人は、今年だけで三百五十人以上にのぼります。一方、タリバンによる自爆攻撃は同時期に百二十件近くに達し、昨年の百二十三件を大幅に上回ることは確実とされます。報復戦争開始までアフガニスタンに「自爆テロ」が存在しなかった事実が何を物語るかは明らかです。
同国の治安が悪化の一途をたどり、逆にテロが拡大していることは、「報復」が「報復」を呼ぶという大義なき戦争の本質を表しています。理由もなく家族を奪われた憎しみが消えることはありません。
道理がない
「戦争でテロはなくならない」「戦争はテロを再生産するだけ」―アフガン戦争をめぐる一連の事実に照らせば、日本政府による戦争支援継続には一片の道理もありません。この矛盾に直面した安倍前首相は、政権を投げ出さざるを得なかったのではないか。
アフガニスタンにせよイラクにせよ、戦争支援を一刻も早くやめさせる論戦と国民の運動の意義は、福田政権の誕生によってもいささかも軽くなることはありません。(小泉大介)