2007年10月9日(火)「しんぶん赤旗」
米艦の放射能 測定せず
寄港時50メートル内 日米政府が密約
米海軍の原子力艦船が日本に寄港した際、軍事機密を理由に大気中の放射能の増加の有無を確認する空中モニタリング(監視)を五十メートル以内で行わないとの密約を日米両政府が結んでいたことが、国際問題研究者の新原昭治氏が米国で入手した米政府解禁文書で明らかになりました。
米政府は昨年四月に公表した「米原子力艦船の安全性に関するファクトシート(データ表)」で、一九六四年以来、千二百回以上寄港した米原子力艦船が一度も「一般的なバックグラウンド放射能(通常の環境に存在する放射能)の増加を引き起こしていない」として、来年八月に原子力空母ジョージ・ワシントンを米海軍横須賀基地(神奈川県)に配備しようとしています。
しかし、そもそも異常数値を記録させないような合意を交わしていたことが判明したことで、米政府が繰り返し主張する「安全性」が疑われることになります。
解禁文書のうち、米国務省の東アジア局日本課のドーキンズ氏が作成したメモ(ドーキンズ・メモ=一九七一年十一月五日付)によると、一九六九年十一月に米原子力潜水艦サーゴが横須賀に寄港した際、日本政府の専門家が五メートルまで接近すると放射能の増加が記録されました。
この問題を重視した米側は、「原子力推進装置の秘密データを知らせることになる」との理由から、今後は五十メートル以内での空中モニタリングは行わないとの合意を取り付け、七一年十一月および十二月に「原子力艦五十メートル以内の空中モニタリングに関する秘密口頭了解」を交わしました。「ドーキンズ・メモ」では外務省の吉野文六北米局長らの名前が出てきます。
同メモでは、秘密口頭了解が結ばれるまで二年近くかかった理由について、「住民の福祉を守ることが米国の安全保障の利益のために退けられた」との批判が、将来出ることを日本政府が懸念していることを挙げ、日本が米国の軍事機密を守るために主権を放棄したと受け取られないような表現を求めたためだとしています。
また、「ドーキンズ・メモ」は日本政府のモニタリングについて、「大衆の恐怖や不安を刺激してそれを持続させる役割を果たしており、米海軍の日本寄港計画に損害を与えている」などと、強い敵意を示しています。
米解禁文書
「日米秘密口頭了解」と「ドーキンズ・メモ」
米解禁文書のうち、「日米秘密口頭了解」と「ドーキンズ・メモ」の一部を紹介します。
【原子力艦50メートル以内の空中モニタリングに関する秘密口頭了解】(日付は1971年11月10日付と12月10日付の2点が存在。日本語で『極秘 無期限』のスタンプ)
「(1)日本政府は、通常の状況下では、寄港中の米原子力推進艦船から50メートル以内で空中モニタリングを行わない」
「(2)日本政府は、寄港中の原子力推進艦船が放射能汚染の危険を生み出していないことをみずから確かめるために必要なら、適切な米当局者との協議と合同のもとで原子力推進艦船から50メートル以内で上記のモニタリングを行う権利を留保する」
【記録のための覚書 「放射能モニタリング」、国務省東アジア局日本課ドーキンズ=1971年11月5日付】
「日本のモニタリング手続きは、われわれの見解では、政治的動機によって編み出されたもので、健康や安全とはあまり関係がない。(略)原子力推進艦船の寄港をめぐる大衆的不安が生み出した政治問題を解決するよりは、大衆の恐怖や不安を刺激してそれを持続させる役割を果たしており、米海軍の日本寄港計画に損害を与えている」
「1969年11月の原子力潜水艦サーゴの寄港の際、日本のモニタリングボートと陸上のモニタリングポストはバックグラウンド放射能が軽微な増加を示していることを記録した。それの源を確かめるために、日本政府の一人の専門家が手提げの放射能測定装置をかついで桟橋を原潜の方に向かって歩いた。原潜に(約5メートルまでに)近づいた時、きわめて敏感なこの装置には放射能の増加が記録されたが、離れると数値は下がった」
「米海軍と米原子力委員会は日本側が鋭敏な器具を使って米原子力推進艦船の50メートル以内で空中モニタリングを行えば、原子力推進装置の秘密データを知らせることになると指摘した。大使館は、日本政府から米原子力推進艦船から50メートル以内では空中モニタリングを行わないという明確な約束を取り付けるとともに、絶対に秘密を守るようにとの訓令を受けた」
「日本政府にとってはいくつか問題があったが、そのなかで最も大きなものは次の点であった。(略)――将来のある時点で、公衆の懸念を静める目的で空中モニタリングをしなければならないと考えるに至り、住民の福祉を守ることが米国の安全保障上の利益のために退けられたと日本政府が批判することがあるかもしれないとの日本政府の考え」
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