2007年10月14日(日)「しんぶん赤旗」
文科省の教科書調査官
採用ルート“闇の中”
高校日本史の教科書検定で、沖縄戦での「集団自決」に日本軍の強制があったとする記述が削除されたのは、文科省の教科書調査官が作成した調査意見書が発端だった―日本共産党の赤嶺政賢衆院議員の質問で判明したこの事実は、改めて制度そのものへの疑問を投げかけています。中立・公正とは到底言えない人物が、なぜ教科書調査官を務めているのか―。
教科書調査官は文科省の常勤職員で、初等中等教育局に五十八人置かれることになっています。一般の国家公務員のような採用試験はなく、大学の助手や助教授などから文科相が任命します。
任免・採用ルートは“闇の中”です。文科省教科書課によると、「定年退職者が出たら、その分野の調査官OBや学会の関係者、教科書検定調査審議会の委員などから推薦をいただくような形になっている」とのこと。文科省とつながりのある個人の口利きだというわけです。
子どもと教科書全国ネット21の俵義文事務局長は「関係学会の推薦を義務付けるなど、最低限その程度の公開性、公平性を持たせるべきだ」と指摘します。
今回問題となった沖縄戦についての検定意見原案を作った調査官は、日本史担当の村瀬信一氏です。主任調査官は照沼康孝氏。いずれも伊藤隆東大名誉教授の教え子です。
伊藤氏は扶桑社版『新しい歴史教科書』の執筆・監修者です。現在は「新しい歴史教科書をつくる会」理事を降り、安倍晋三前首相のブレーンだった八木秀次氏らの「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有志の会」に参加しています。
伊藤門下生が歴史認識の問題で物議を醸した例は過去にもありました。一九九八年に高知大教授から主任教科書調査官に転身した福地惇氏(現「つくる会」副会長)です。福地氏は現職の調査官でありながら検定最中に雑誌に登場し、「教科書検定のときに近隣諸国条項というのがあって、日本は侵略戦争をして悪かったと書いていないとまずい。そういうがんじがらめの体制になっている」などと攻撃しました。マスコミが大きく報じ、批判の世論が高まる中、文部省は同氏を解任せざるを得ませんでした。