2007年11月11日(日)「しんぶん赤旗」
綱領の立場で日本と世界を見る
特別党学校交流会 不破哲三社研所長の発言<下>
世界の動きを大きくとらえる3つの視点
次に世界の問題です。綱領の世界論は、昨年三月の講義のときに、かなり詳しく話しましたが、今日は、わが党の世界論の大きく見た特徴はなにか、ということを、いくつかの角度からとりあげたいと思います。
アメリカの力の過大評価をしない
一つは、アメリカの力の評価という問題です。私たちは、アメリカの力も事実にもとづいてリアリズムで見ていますが、世界論ではアメリカの力を過大評価する見方が、結構ひろくあります。とくに日本の政界では、アメリカの力はすごいと思い込んでいる傾向が非常に強くあって、それが日本外交の政策方向をしばしば狂わせるのです。
綱領が明確にしているように、いまの世界は、どんなに巨大な力をもった超大国であっても、一国で動かせる世界ではありません。実際、すでに七年にわたるアフガニスタン戦争や五年にわたるイラク戦争の現状は、そのことをなによりも雄弁に実証しています。
おそらくブッシュ大統領は、アメリカは無敵だと思い込み、アフガニスタンとイラクの「敵」をかたづければ、アメリカ的価値観を中東全体に押し広げ、イスラム世界全体を自分の影響下におさえこめられる、こういう意気込みでこの二つの戦争をはじめたのでしょう。ところが、この戦争は、アフガニスタンで失敗し、イラクで失敗し、アメリカ国内でも、戦争はもうやめてくれ、という声が多数になるところまで来ています。
そうなると、アメリカの世界戦略自体にも、二面性が出てこざるをえないのです。テロや大量破壊兵器の疑惑があれば、確証がなくても先制攻撃をくわえる、こういう問答無用の勝手な論理でアフガニスタンとイラクを片づけようとした。では北朝鮮も同じやり方で攻めるのか、というと、もうそうはゆかなくなりました。そこで交渉による解決を前面に押し出した対話外交への大転換が起こったのです。
対中国政策でも、アメリカの「国防教書」などを見ますと、中国はこれからアメリカにとって脅威となる可能性をもった国だと位置づけて、勇ましい議論を展開したりしていますが、それだけの単純なやり方では現実の外交はできないのです。アメリカと中国は「戦略的パートナー」だと確認しあう。戦略的パートナーとは、戦争の相手国ではないのです。双方の戦略的、大局的な利益からいって、互いに共通の利益を重視するパートナーだという位置づけです。現実には、そういう外交をせざるをえなくなっています。だから、ブッシュの第一期政権では、ネオコン(新保守主義者)が中心でしたが、第二期政権ではネオコンはほとんどはずれて、影響力はなくなってきました。
自民党外交は、この変化を完全に見損ないました。それで、自分としては、アメリカの戦略どおりの動きをしているつもりで、気がついたら、アメリカ外交とのあいだに大きな溝ができてしまった、こういう不始末なありさまです。
綱領の世界論の強さは、アメリカの力の評価もふくめ、すべてをリアルに、事実にもとづいて見ているところにあるのです。そしてこのことは、日本のように、国の全体が体制的にアメリカへの従属下にある国では、とりわけ重要なことを指摘しておきたいと思います。
新しい活力を得たソ連崩壊後の世界
第二は、二〇世紀の最後の時期におきた出来事――ソ連の崩壊以後の世界をどう見るか、という問題です。
ヨーロッパの平和と進歩の勢力の一部には、現在の世界を見るとき、平和と進歩の側が弱くなった、不利になったという暗い見方が、広くあることに気づきます。私たちは、二一世紀の世界をたいへん躍動する面白い世界だと見ているのですが、逆なのです。
なぜこういう見方になるのか、調べてみると、「明」と「暗」を分ける一つの大きな問題は、ソ連の崩壊にたいする見方にあることが分かりました。間違いがあったとはいっても、頼りにしていたソ連がなくなって平和と進歩の勢力が大後退した、そこから、いま世界は圧倒的に資本主義一色になって中国やベトナムも市場経済にのみこまれつつあるなどの悲観的な見方が生まれ、アメリカやブッシュ戦略などもうんと大きく見えるのです。
ところが、ソ連崩壊以来十六年の世界史が示している現実は、それとはまったく逆のことでした。一口にいって、世界の全大陸が活力に満ちています。
(一)ヨーロッパでは、以前、アメリカを大西洋をこえた指導国としてみんなでかついでいた時代とは違って、はじめて活発な外交が復活しています。元気のいい主役は、そのときどき変わります。イラク戦争が始まるときには、フランスがドイツと組んで、アメリカに「ノー」をつきつけました。いまはフランスは政権が右寄りになって様子がちがっていますが、ともかくどの国も自主外交を当然のこととして、独自の外交を展開しています。
「米ソ対決」の時代には、ソ連への対抗のためにアメリカ中心に団結したが、その脅威がなくなったら、もうその必要はない、独自の外交で、自分の結論が違ったらアメリカにも平気で「ノー」という。アメリカと違う立場をとるには、清水の舞台から飛び降りるような勇気がいる、これほど思い詰めた国は、ヨーロッパにはほとんどないのです。
(二)世界の経済的な力関係も、着実に変わりつつあります。
中国とベトナムが、それぞれ独自の探究の結論として「市場経済を通じて社会主義へ」という路線に到達したことは、社会主義をめざす国ぐにの経済的発展に、世界の力関係を変えるような力をあたえつつあります。
この点で、二〇〇六年に、国際機関のIMF(国際通貨基金)が面白い発表をしました。いま各国の経済規模はGDP(国内総生産)ではかるのが普通ですが、IMFによると、この数字は、各国の通貨の購買力の違いを念頭においていないから、合理的でないというのです。中国などは国内の物価が安いから、生産高を通貨ではかると低くでる。その点を考慮にいれてGDPを計算しなおすと、世界の様子が違って見えてきます。普通のGDPで比較すると(二〇〇六年度)、アメリカが一位、中国はずっと下がって六位ですが、新しい数字では、中国が二位に上がって、一位のアメリカとの差がわずかのところまで迫っていました(世界経済に占める比重・アメリカ20%、中国15%)。最近発表された〇七年度の推計を見ると、世界経済での比重はアメリカ19%、中国16%で、差はさらに縮まっていました。
こういう数字が公的な国際機関から発表されるほど、世界の経済的な力関係はまさに大変動のなかにあるのです。
中国など社会主義をめざしつつある国と、世界の他の地域の国ぐにとの関係が大きく違ってきていることにも注目しなければなりません。ソ連が存在していた時代には、「社会主義」はチェコスロバキア事件やアフガニスタン侵略などの覇権主義と不可分のものと見られていました。そのソ連が崩壊し、中国のやり方は覇権主義とは無縁だということが分かると、世界中の国ぐにが安心してこの国との経済・貿易関係を発展させます。ですから、いま世界のあらゆる大陸で、中国との経済交流が大きな比重をもつようになっています。この面でも、ソ連覇権主義の崩壊は、世界の活性化に貢献しているのです。
(三)アジア、アフリカ、ラテンアメリカの変化も、講義でかなり詳しく話しました。「米ソ対決」時代には、両方に気兼ねして自由にものを言えない状態があり、ベトナム戦争の時もアフガニスタン侵略の時も、アメリカやソ連の問題が国連にもちだせませんでした。しかし、いまはその制約もなくなり、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの諸国は、国連の舞台での活動も活発だが、お互いのあいだの外交もものすごく活発です。
このように、本当に世界の全大陸が活力を増しているのです。これをリアルに見ているのが党綱領の世界論ですし、私たちの野党外交は、この活力ある世界の現状に対応して、自由闊達(かったつ)に展開しているのです。
世界の流れはどの方向にむかっているか
第三の問題は、その活力ある世界の活力ある動きが、大局的にみてどの方向に向かっているのか、「資本主義万歳」の方向を向いているのか、資本主義をのりこえた新しい社会、社会主義・共産主義の探究の方向を向いているのか、という問題です。
党綱領の最後の第十七節の次の文章を思い出してください。
「社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない。
二一世紀の世界は、発達した資本主義諸国での経済的・政治的矛盾と人民の運動のなかからも、資本主義から離脱した国ぐにでの社会主義への独自の道を探究する努力のなかからも、政治的独立をかちとりながら資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動のなかからも、資本主義を乗り越えて新しい社会をめざす流れが成長し発展することを、大きな時代的特徴としている」。
私たちがこの文章を書いた時点では、たとえば、アジア・アフリカ・ラテンアメリカで社会主義をめざす新しい旗があげられたという事実はまだ目撃しておらず、その展望を二一世紀の大きな予想として書いたのでした。ところが、綱領のこの予想が、いまではすでに、かなりの程度まで現実になりつつある、と言えるのです。
それはどこでか、というと、ラテンアメリカです。私たちは、この綱領を決めた二〇〇四年の党大会で、出席していただいたベネズエラの大使からチャベス大統領の本『ベネズエラ革命』(日本語版)を贈られました。私は、その本を読んではじめてラテンアメリカですすんでいる大変革の実態を知り、大会の閉会あいさつのなかで、「いまこの大陸に新しい激動の時代がはじまりつつある」という「つよい予感」を述べたのでした。
ところが、それから四年近くたって、ラテンアメリカの変革は、次々と新しい国をとらえて広がりつつあります。昨日の新聞には、中米のグアテマラで新しい左派政権――「中道左派」政権と言われます――が生まれました。グアテマラは、第二次世界大戦後、早い時期に民主政権が生まれたが、アメリカに支援された反革命軍の攻撃で打倒されたところです。五十数年ぶりの左派政権の復活です。
そして、そのラテンアメリカの変革のなかで、いくつかの国で社会主義の旗がかかげられはじめたのです。
ラテンアメリカの変革の息吹
ベネズエラで
ベネズエラでは、民族的、民主的な革命の発展のなかで、チャベス大統領が、これからの国づくりを、社会主義の方向ですすめようじゃないか、という呼びかけを発しはじめたのです。最初のよびかけは二〇〇四年十二月ごろにおこなわれました。
その時から、チャベス大統領が、これまで世界には社会主義はなかった、ソ連にあったのは社会主義ではなく、「社会主義の退廃」だったといって、変質し挫折したソ連の「社会主義」を問題にしない態度をとり、新しい社会主義を探究する立場を強調していたことは、私たちが注目した点でした。
そのベネズエラで、ベネズエラ的社会主義の建設は、いまではこの国の公式の大方針になっていて、国づくりにかかわるさまざまな建設計画が、下からのイニシアチブで活発にすすめられているようです。そのやり方はたいへん独創的で、地域住民が自分で計画をたてて、その計画を評議会という地方組織に提出する、それが有意義で価値ありと認められると、国やその他の基金から必要な資金が融資として提供され、計画の進行が始まる、というやり方です。この仕組みで、農業の共同農場づくりや協同組合的な工場づくり、あるいは地域の文化事業の推進などさまざまな活動が、「ソシャリスモ(社会主義)」の名前のもと、住民の無数の組織によってすすめられているとのことです。
まだ目標とする社会主義の中身は確立していないし、全国的な設計図もないのですが、資本主義ではダメだ、資本主義をのりこえた新しい社会を下からの力でつくるという大方針で、国民総がかりの国づくりがすでに始まっている、というのが、ベネズエラの社会主義運動の面白いところです。
ボリビアで
次に、ベネズエラの南側でも、新しい社会主義の国づくりが始まっています。ボリビアという国です。ここでは、一昨年の十二月の選挙で、モラレスという大統領が当選し、昨年一月に新政権をつくったのですが、この人は先住民のインディオ出身なのです。インディオとは、ヨーロッパ人による侵略が始まる前に、南北アメリカ大陸で生活していた先住民のことで、有名なインカやマヤ、アステカの古代文明はすべてインディオの祖先たちがつくりあげたものでした。一六世紀に侵入してきたヨーロッパ人により絶滅され、残った人びとも長期にわたって社会の底辺での生活を余儀なくされてきました。そのインディオ出身の政治家が政権の中心にすわったというのは、二〇世紀以後のラテンアメリカの政治史のなかではじめての、画期的なできごとでした。
ボリビアは西隣のペルーの南部とあわせて、昔インカ国が栄えた地域でした。いまの人口構成でも、インディオ55%、メスティソ(先住民と白人の混血)35%、白人10%で、インディオが多数を占めているとのことです。この人たちが、選挙権はもってはいるが、国会などのある地域への立ち入りが禁止されているなど、たいへんな差別を受けていたのです。その国に、大統領をはじめ閣僚の六人までをインディオが占めるという新政権が誕生したのですから、ボリビアにとっては、天地がひっくり返るような大変革だったでしょう。
私は先日、その革命の様子を取材した映画をビデオで見たのですが、政権につくまえのインディオ住民のデモ隊の光景では、「プロレタリア・インカ革命」と書いたプラカードが高々とかかげられていました。まさに底辺に生きていたインディオが革命の大きな力をなしていたことを、まざまざと印象づけられる光景でした。
このボリビアでも、資本主義モデルはだめだ、社会主義に向かって進もうという流れが、いま革命の中心になりつつある、といわれます。
その大統領が、九月二十六日に、国連に出席して総会で演説しました。
「先住民として、ボリビア史上最も軽蔑(けいべつ)され、嫌悪され、さげすまれてきた階層から生まれた私たちが、わが愛するボリビアを変革するために、史上はじめて国のかじ取りとなっている」。
こう語りはじめたモラレス大統領は、IMFの押しつけ、少数者による資源の独占、地球温暖化の深刻さ、軍拡競争と大量殺りくなどを、資本主義の経済モデルがうみだしたものとして告発します。そして最後に、その演説を次の言葉で結びました。
「こうした経済モデルを変えて資本主義を一掃することが重要だということを、みなさんに訴えたい」。
国連総会で「資本主義の一掃を訴えた」国家元首は、いまだかつていなかったと思いますが、この声が、アメリカ資本主義と真っ正面から対決しているラテンアメリカの一角からあげられた、ということは、たいへん深い意味があると思います。
ブラジルで
ブラジルは、一億八千万をこえる人口をもつラテンアメリカ第一の大国ですが、ここもルラ大統領の左派政権が成立してすでにほぼ五年になります。この八月〜九月、政権党のブラジル労働党からの招待で緒方靖夫副委員長が党大会に出席しました。この政権自身は、社会主義という目標をかかげてはいないのですが、大会では、三つのテーマが議論になって、第一のテーマが「社会主義」だったと聞きました。ここでも、新しい国づくりを問題にするとき、自分たちの国民的体験からいっても、資本主義の道では国の発展の進路は開けない、社会主義の道を探究しようではないか、という気運が大きな流れになっているのだと思います。
もちろん、これらの国ではまだ社会主義の目標やその路線が確立しているわけではありません。いまやられている具体的なプロジェクトにも、当然、成功もあれば失敗もあるでしょう。しかし、これらの動きは、資本主義の世界的な矛盾がこれだけ深刻になっているもとで、社会主義の目標が、世界の人びとをひきつける新しい力をもちつつあることを、生きた姿であらわしています。私たち自身が、まさにこういう激動と変革の世界に生きているのです。
以上、綱領の世界論にふくまれている三つの視点を説明しました。日々の国際ニュースに接するときこれらの視点をいつも頭において、この日本での私たちの活動と激動する世界の流れとの関連をつかむ一助にしていただければありがたい、と思います。
(おわり)