2007年11月19日(月)「しんぶん赤旗」

原潜寄港を180日とめた

分析化研事件(1974年) 不破氏の追及

米政府に衝撃

解禁文書を入手 新原昭治さんに聞く


 十一月一日、自衛隊のインド洋派兵がストップしました。巨大な軍事機構を国民の世論で動かした歴史的な快挙です。三十三年前の一九七四年にも、日本共産党の不破哲三書記局長(当時)の国会質問をきっかけに、米原子力潜水艦の日本寄港が百八十日以上ストップする出来事=「分析化研事件」が起こりました。国際問題研究者の新原昭治氏がこのほど入手した米政府解禁文書で、不破質問が米政府に与えた衝撃の大きさが明らかになりました。新原氏に聞きました。


 ―「分析化研事件」とは?

写真

(写真)データねつ造を追及する不破書記局長(当時)の質問を報じる「赤旗」(1974年)

 米国の原子力潜水艦が日本に寄港し始めて十年目の一九七四年に明るみに出た、原子力艦放射能監視の一環としての、「日本分析化学研究所」(分析化研)での大量のデータねつ造事件です。

 同年一月末と二月初めの二度の質問で不破さんが、改ざんされた放射性元素の変化を示す波形グラフを見せながら追及したところ、政府は言葉を失い、当時の田中角栄首相もきわめて深刻に受け止めました。

 不破さんの指摘によると、一回の調査でほぼ十隻分の原潜の調査データを複製し、でっちあげていました。古い観測データを丸ごとコピーし、縦軸や横軸の縮尺を変えるなどして、ねつ造していたのです。科学技術庁の監督下にあった分析化研は、即日作業停止に追い込まれ、政府は別の分析機関をつくるなど、科学技術行政にとっても、日米安保関係にとっても、一大スキャンダルとなりました。

 この事件で米側も衝撃を受けたに違いないことは、原潜寄港の長期中断で分かっていましたが、こんど約九十点にのぼる分析化研関連の解禁外交電報を入手して、その衝撃は想像をはるかに超えるものであったことを、生々しく知りました。

 ―どのようにして問題の解禁文書を見つけたのですか。

 一昨年にワシントン郊外の米国立公文書館で解禁文書調査中に読んだ、一通の文書がきっかけでした。分析化研事件のため、日本に立ち寄れなくなっていた原潜の寄港再開をめぐる日米協議の文書でした。その後、昨年、米国立公文書館が始めたインターネット上での外交電報の公開から、分析化研事件の電報が多数見つかったのです。

 秘密電報は、たとえば東京・米大使館発の電報が国務長官にあてて、「科学に強い不破書記局長の厳密な徹底追及」により、さらに「政府が窮地に追いつめられる可能性はきわめて高い」などと、通常の宣伝臭のつきまとう外交的言い分とは縁遠い、赤裸々な本音がつづられているのが、とても興味深いですね。

安保の重要部分が

 ―この事件に米側はどう対応したのですか。

 まず日本政府の要請に応え、原潜寄港を「二月いっぱい」中断することを決めました。同時に、その間にも、日本側の放射能監視体制の再建以前に、「緊急入港がありうる」と付け加えて、日本政府に申し入れさせました。

 米側のこの申し入れに外務省はただちに「理解」を示すのですが、東京の米大使館自身は不安を深めます。シュースミス在日米代理大使が、自分としては電報(別項(1))で、「そんなことをすれば、日本共産党は安保体制反対のキャンペーンを強め、森山科学技術庁長官を追いつめる機会を与えてしまう」と懸念を書き送っています。

 そうこうするうちに、三月になっても寄港再開はできない。いらだった米政府は、キッシンジャー国務長官名の東京・大使館あて電報(三月十二日)で、「常軌を逸した圧力が日本政府の協力を台無しにすることを知っている」としつつも、「現在の状況は、日米安保条約の重要な部分の事実上の廃棄に相当する。だから迅速かつ効果的に是正するよう」日本政府に伝えることを東京の米大使館に命じています。

 ようやく五月になって、日米間で六月一日に原潜寄港を再開することで合意しました。ところが、国会会期末で与野党が激しく対立していたため、田中内閣は、四日後の国会閉会後への変更を米大使館に要請します。

 米代理大使は、原潜の「重要な作戦行動計画が、日本政府の急場の国会対策に従属させられなければならない」のは、「安保条約の効果的遂行という両国共通の努力と相いれない」と、高飛車に対応します。

 結局、米国務省は五月三十日付の緊急極秘電報(別項(2))で、延期に「やむをえず応じる」が、「米国の軍事上の必要性を、日本政府の国会戦術や国内政治事情に従わせようとしている」と苦言を伝えさせます。

 米国の軍事行動は絶対で、日本の政治はそれに従うべきだという米政府の本音は、日米間の支配関係を露呈したものだと読みました。

表

(写真)分析化研事件に関する米外交電報。下線部分に「FUWA(不破)」「JCP (日本共産党)」の文字があります

伊“日本に見習え”

 ―不破さんの質問は国際的には米政府にどんな衝撃を与えたのですか。

 一言でいえば、日本で米原子力艦の受け入れ体制がほころびると、それが世界中に波及するとひどく恐れました。この問題の電報に、ワシントンとマニラ、キャンベラ、ローマ、マドリード、ロンドンなどとの間を行き交ったものが数多くあります。

 例えば米国は当時、豪州への原潜寄港の準備交渉をしていました。キャンベラの大使館は、「日本で起きていることを至急、知らせてほしい」と電報をよこしています。

 イタリアでは前年(一九七三年)に、地中海のラマダレーナ海軍基地への原潜寄港が始まっていました。日本で原潜寄港が中断したことを知った環境運動家らが、“日本に見習え”“イタリアも原潜寄港の中止を”と運動を広げました。

 そんな国際的波紋の広がりを米政府が必死に抑えようとした経過が、一連の電報に鮮やかに示されています。分析化研事件が、米政府の世界的な原子力艦配備政策にとって深刻な意味をもったことが、こんどの外交電報で分かったのです。

 ―「事件」の今日的な意義は?

 日本政府は分析化研事件で打撃を受けましたが、原子力艦船の監視体制にはいまなお多くの問題があります。あの事件は、原潜が寄港する港の海水などを分析する研究所での調査データねつ造が問題になりました。いまは、そんな原始的ねつ造はないかもしれません。

 しかし、あの事件の発覚直後、原潜が寄港する全国の港で日本共産党国会議員団が行った原子力艦放射能監視体制の現地調査の報告は、「監視の有効性を根本から疑わせるような一連の重大な問題点」の存在をきびしく指摘しました。

 この問題は、来年夏に原子力空母が横須賀を母港にしようとしている時、特別に重大です。原子力艦周辺五十メートル以内での日本側の空気観測を禁じた日米密約が存在することも、このほど明らかになりました。

 分析化研事件直後に東京の米大使館が作成した「四半期報告書」(三月二十九日付)は、日本政府が扱いを誤れば、「苦労して協議しつくりあげた〔原子力艦〕監視体制の複雑な取り決めの全体系が、さらけ出されてしまうことにもなりかねない」、そうなれば米艦隊に深刻な結果をもたらすと報告しています。

 監視体制を「監視」の名に値しないものにしておくことに強い関心を抱く米側の、隠された意図が見えます。

 米軍の軍事行動の自由を最優先させる従来のやり方を許し続けるのかどうか―分析化研事件の米解禁電報は、この根本問題を鋭く浮かび上がらせています。


別項(1)

 科学技術庁と原潜監視体制の混乱状態が続いている時期に攻撃型原潜が寄港すれば、日米安保関係に深刻な影響を及ぼすことになるだろう。

 その波紋の中には、デモ、抗議運動、国会と報道機関での日本政府・日米安保条約・日米安保関係に対する攻撃が含まれよう。日本共産党は国会質問のキャンペーンを繰り広げて、森山科学技術庁長官を追いつめる攻勢をかけるであろう。

 科学に強い不破書記局長が厳密な徹底追及の質問を森山に浴びせる機会を日本共産党に贈った。いまの状況下で日本の港に寄港したら、不破の強烈な質問の、疑いもなく長いシリーズで、森山が窮地に追いつめられる可能性は高い。


別項(2)

 「田中首相自身が自ら関わった日本政府の原潜パーミット号の寄港延期要請であることを考慮し、貴大使館が日本政府の最高レベル(外相か外務次官)に対して、アメリカ政府は六月一日予定の原潜寄港をさらに九十六時間延期することに、万々やむを得ず応じると伝えることを認める」

 「ただし、われわれは、慣例的でそれほど議論を呼んでいないアメリカの軍事上の必要さえ、日本政府の国会戦術や一時的な国内政治上の考慮に自動的に従属させようとしていると見られる傾向に、深刻なまでの当惑を感じている」


関連年表

74・1・29 不破書記局長、分析化研のデータねつ造を衆院予算委員会で追及
2・5 不破書記局長、データねつ造で2度目の追及。政府はねつ造を全面的に認め、分析化研は業務停止。日米両政府は2月いっぱいの米原潜寄港中止を決定
2・21 シュースミス米代理大使、原潜の「緊急入港」に反対
3・12 キッシンジャー米国務長官、原潜寄港を早期に再開するため、日本政府に「迅速かつ効果的に是正する行動」を取るよう要請
5・27 日本政府が原潜寄港を国会閉会後の6月5日まで延長するよう要請
75・6・5 米原潜パーミットが横須賀に入港


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