2007年12月15日(土)「しんぶん赤旗」

戦前、朝鮮への宗教強制とは?


 〈問い〉 先日、朝鮮人への創氏改名を強制した青年劇場の「族譜」公演をみて、日本の植民地支配のひどさを改めて思いました。ところで、創氏改名と並び、改宗の強制もひどかったと聞きますが、どんなものだったのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 日本の朝鮮植民地化は朝鮮総督府のもとで強行されました。寺内正毅初代総督は「韓国併合」翌年の1911年に「寺刹令(じさつれい)」を発布し、「寺刹の本末関係、僧規、法式その他必要なる寺法は各本寺においてこれを定め朝鮮総督の認可を受くべし」(第3条)などとして、当時約900の寺があった朝鮮仏教を厳重な監督下におきました。朝鮮仏教徒の抵抗にたいして、1915年には「朝鮮総督は現に宗教の用に供する教会堂、説教所または講義所の類において安寧秩序をみだすのおそれある所為ありと認むるときはその設立者または管理者にたいしこれが使用を停止または禁止することあるべし」(第12条)などという「布教規則」によってすべての宗教を統制しました。

 日本の伝統仏教教団は「併合」以前から朝鮮での布教にのりだしていました。「併合」後は、総督府の「認可」のもとに、朝鮮仏教の日本同化を企図した朝鮮仏教統合計画をすすめました。日本のキリスト教諸系統、天理教や金光教なども日本の朝鮮支配に便乗して布教しました。

 過酷な支配にたいして朝鮮の宗教者は、1919年3月3日に大韓帝国初代皇帝の葬儀をおこなうとして、民俗宗教の天道教(東学とも呼ばれる)、キリスト教、仏教の指導者が会合し、そこで「独立宣言」をまとめました。この宣言文は天道教印刷所で印刷され、宗教組織網で朝鮮の主要都市に運ばれました。この宣言は3月1日に発表され、三・一万歳事件と呼ばれる朝鮮民衆の独立運動の烽火(のろし)となりました。

 運動を弾圧した朝鮮憲兵隊司令部がまとめた「鮮人(朝鮮人の蔑称)間に唱えらるる不平」のなかには「墓地規則に関する不平ははなはだ大なり」という項目があります。総督府は朝鮮人の埋葬慣習を無視し、墓地を取り上げ、耕作地などにむかない不用な土地を共同墓地に指定して墓を移転させたのです。

 三・一運動直後に朝鮮神社が建てられ、1925年には天照大神と明治天皇を祭神とする「朝鮮神宮」とし、各地に神社を配置して、中国侵略が全面化した1937年以降は「日の丸」掲揚、宮城遥拝、皇国臣民の誓詞斉唱などとともに神社参拝という思想、信条、宗教の皇民化を強制しました。

 日本の支配に抵抗した思想犯などは、刑務所で日本人僧侶の教誨師(きょうかいし)から「敬神崇祖の念をやしなう」国家神道の教育をうけ、「徴用」として激戦地に送られました。(平)

 〔参考〕中濃教篤『天皇制国家と植民地伝道』ニチレン出版

 〔2007・12・15(土)〕


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp