2008年1月12日(土)「しんぶん赤旗」
薬害肝炎救済法成立
たたかい 報われた
原告 「被害根絶まで」
「この日のためにたたかってきた」「やっと報われた気持ち」―。薬害肝炎被害者救済法が成立した十一日、五年間たたかい続けてきた原告の表情は、笑顔に包まれました。(栗原千鶴)
参院本会議場の傍聴席に駆けつけた原告たちは、じっと議場を見つめ、法案の説明に聞き入りました。電光掲示板に「賛成二三九、反対〇」の文字が浮かぶと、涙を流し、互いに手をとって喜びを分かち合いました。
本会議後、全国原告団の山口美智子代表は「本会議での瞬間は感動でした。五年間の苦しかったことも吹き飛びました」と喜びを語りました。
二〇〇二年に始まった訴訟は、同法の成立で一応の終結を見ますが、山口代表は「これで終わりではない。(ウイルス性肝炎患者)三百五十万人の救済対策が早急にとられることが私たちの到達点」と話しました。
東京原告の姉を、〇三年に肝がんで亡くした泉祐子さん(59)は、自らが実名を公表して姉の遺志を引き継いでたたかってきました。遺影を手に「本人が、この場にいたらどんなに喜んだことでしょう。それを思うと涙がとまらなかった」と語りました。
泉さんは、この間のたたかいのなかで、姉が亡くなる数日前に撮影したビデオを公表しました。そこには姉のこんな言葉が残されています。「命を返してください」「国は人の命の重さを見つめてください」
「自分と同じように、苦しむ人をなくしてほしいと言っていました」と語る泉さん。「姉は国と製薬企業に謝ってほしいと言っていた。企業の責任を追及し、薬害根絶のために第二歩を踏み出したい」と決意を新たにしました。
出生時に止血剤としてクリスマシンを投与され感染した福田衣里子さん(27)は、「議員の方や、世論が後押ししてくれたおかげです」と喜びました。
福田さんは二〇〇四年に提訴し、裁判をたたかってきました。「両親は、会ったこともない三百五十万人の人より、娘の将来を心配したと思う。それでも、何もいわずに見守って、支えてくれた」と感謝の言葉を口にしました。
現在は治療のかいあってウイルスは陰性です。それがわかったとき周囲からは「もう裁判をやめてもいいのでは」といわれたといいます。
でもそんなことは「まったく頭になかった」という福田さん。その原動力は―。
「ただ生きているだけの時期がありました。でも、この裁判を通して多くの人のためになるのなら、私の生きている意味があると思った。私たちだけがうれしいという結果ではだめです。今後も薬害の根絶に向けた活動をしていきたい」。一言一言に力をこめて語りました。
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