2008年1月14日(月)「しんぶん赤旗」
新テロ特措法 記者座談会
「自民・民主対決」の舞台裏は米国への“忠誠”競争
首相は数の横暴/小沢氏は“逃げ”
新テロ特措法をめぐる臨時国会四カ月の攻防で自民、民主両党の「対決」は、一皮めくると日米同盟への忠誠と対米信頼を取り付ける思惑からの競い合いでもありました。担当記者で話し合いました。
A 新テロ特措法をめぐる最終舞台の十一日昼過ぎの衆院本会議は予定通りの運びだった。福田内閣・与党が再議決を強行し、数の力で押し切った。一方、民主党の小沢一郎代表は採決前に中途退席し、“逃げ”の姿勢を見せた。
C 本会議場で与党席から「(政府案に)賛成なんだ」「造反だ」のヤジが飛んだ。この光景で審議の幕が下りたのは、メディアが描き出す自民、民主「対立」の「二大政党」政治の本質を象徴している。
民主に“誘い水”
B 昨年秋、臨時国会で新テロ特措法が審議入りした当時、自民党長老が指摘していた。「小沢君という人は自分の方が相手より強いと思うと強くなり、弱いと思うと逃げちゃうんだよ。だから最後はどう出るか…」。案の定、小沢代表は逃げた。
C ずばりいえば、自民対民主の対立の本質は日米軍事同盟にたいする双方の忠誠度を競い合うところにあった。結果として政権の座にあり、衆院で数を握る福田首相の方が上手(うわて)だった。
B 小沢代表は、臨時国会当初から新テロ特措法そのものに反対する強硬姿勢を示した。これにたいし福田首相は、海上自衛隊の撤退をはさみ二度の会期延長で時間を確保した。民主党を賛成に向ける誘い水だ。最終的には衆院勢力三分の二以上の数の力で突破しようという、いわば持久戦の構えだった。
同盟の「踏み絵」
A 福田首相側は、小沢・民主党に日米同盟の「踏み絵」を踏ませようとした。福田、小沢両党首会談があり、「大連立」構想が浮上したのも一連の仕掛けだった。同じ日米同盟路線に立つ小沢代表は拒めなかったのだろう。
C 福田首相は、いったんインド洋給油が中断に追い込まれ、ブッシュ政権から不信を買うかもしれないが、その原因が参院で多数を握った民主党にあることへ目を向けさせた。「日米同盟を軽くみるような民主党には政権は任せられない」とアメリカが判断することになるなら二カ月や三カ月くらい給油を止めてもいい、という考えを福田首相は抱いたようだ。
A つまり、一時給油ストップすると福田政権へのアメリカの心証は悪くなる。しかし、それ以上に「民主党の小沢は駄目だ」と思わせる効果はある。
B 参院の与野党逆転状況に福田首相は苦しんでいる。今後の政権運営を楽にするためにも米政権にとって民主党は信頼に足る政党ではないと見せつける迂回(うかい)作戦をとったというわけだね。
C 小沢氏の基本的な対応はどうだったか。次の総選挙で政権奪取をにらむ政権戦略と日米同盟関係堅持という二つのテーマのバランスをはかり、うまく立ち振る舞おうとした。しかし有権者の意思と両立しない立場だけに、破たんは見えていた。
B そこの矛盾を取り繕うとした動きの象徴が「大連立」騒動だ。福田首相側の誘い水に、待っていましたとばかりに小沢氏は乗っかった。
C 昨年夏の参院選で民主党が大勝したのは、有権者の小沢民主党路線への信任というよりも「九条改憲と格差・貧困」の安倍自公政権に対する拒否ボート(投票)だ。そこをまるで見誤っている。
A 小沢民主党は、そこでこんどは対米信頼の回復を急いだ。民主党が昨年末ぎりぎりになって「対案」とよぶ「アフガンへの新たな自衛隊派兵法案」をあわてて提出した。政府・与党の新テロ特措法よりも踏み込み、派兵の恒久化を可能にする中身だ。
「下請け政治」
C 民主党の対案は日本共産党などが反対したが参院で可決、衆院へ送られた。自公与党は継続審査とする方針だ。民主党側は喜んでいる。政府・与党とすれば民主党と結んで海外派兵恒久法を制定できる足がかりになる。民主党にとっては日米同盟への忠誠心の証拠として明確な形として残る。両党にとっての思惑とメリットがある。
B なんのことはない、十四年ぶりの越年国会までした新テロ特措法をめぐる自民、民主の鳴り物入りの「対立」「攻防」も、対米忠誠競争ではないのか。
A もちろん日本側の動きの裏にシーファー駐日大使を前線隊長とした米政権からの圧力が政府と民主党へ加わっていた。ブッシュ大統領はシドニーの日米首脳会談で当時の安倍首相に海上自衛隊派兵の継続を迫った。安倍首相が政権を投げ出すほどの強圧だったようだ。代わった福田首相が訪米したときも、早期再開を求められた。
C 政府・与党と民主党はアメリカの「下請け政治」をめぐる受注合戦をくりひろげていたともいえるね。