2008年1月23日(水)「しんぶん赤旗」
史的唯物論の発展段階説は日本に当てはまらないのでは?
〈問い〉 史的唯物論の歴史発展の法則性についておたずねします。日本には、奴隷制の段階はなかったし、西欧以外の地域の歴史の流れには、史的唯物論の発展段階説は合致しないのではないでしょうか。(大阪・一読者)
〈答え〉 奴隷制についていえば、ギリシャ・ローマ型の奴隷制(労働奴隷制)は、日本に存在しませんでした。しかし、古墳時代の日本では、それに先立つ原始共産制以来の共同体が解体されずに、大和政権の専制支配の下に組み込まれたと考えられています。このような支配の形態は、マルクスが「総体的奴隷制」と呼んだ奴隷制の一変種と同じものと考えられています。世界的にも、ギリシャ・ローマ型の奴隷制は世界史のなかではむしろ例外で、共同体をまるごと隷属的な立場に置く奴隷制が、各地に存在していたことが明らかになってきています。
その後、「大化の改新」によって成立した律令国家では、人口の大半は「公民」として直接国家のもとにおかれました。この「公民」は、移動の自由もなく、「租庸調」として生産物を取り上げられたほか、土木工事や軍役に駆りだされる「雑徭(ぞうよう)」の義務を負うなど、奴隷的な隷属のもとにおかれていました。なお、古墳時代にも律令国家の段階でも、人口の一部ですが「生口」や「奴婢(ぬひ)」と呼ばれる文字どおりの奴隷も存在していたことが、記録に残っています。
その後、中世を経て、江戸時代に幕藩体制が成立しました。この過程で、古代的な奴隷制からいつ封建制の社会に移ったのかということをめぐっては、研究者によってさまざまな見解がありますが、江戸時代に完成した封建制はヨーロッパの封建制と非常に似通ったものでした。マルクスも、幕末の日本の社会が「我々のすべての歴史書よりもはるかに忠実なヨーロッパ中世の社会の姿をしめしている」と述べたことがあります。
マルクスは、奴隷制、封建制、資本主義という階級社会の3つの段階を、それぞれの社会の発展段階を分析する枠組みとして提示したのであって、すべての国でこの順序に社会が発展すると主張したのではありません。むしろ、右に述べたような比較・検討ができるということが、マルクスが発見した史的唯物論の生命力を示しているのではないでしょうか。(石)
〔2008・1・23(水)〕