2008年2月7日(木)「しんぶん赤旗」
戦前、北海道であった「集産党事件」とは?
〈問い〉 1月9日付「ひと」欄でとりあげていた1927年にあった北海道「集産党事件」について、もっとくわしく知りたいのですが?(東京・一読者)
〈答え〉 1927年11月13日、北海道の稚内駅で機関手松川泰助が、乗務を終えて帰宅するところを、待ちうけた警官に逮捕されました。これが北海道初の、国内では京大学連事件に次いで2番目の治安維持法弾圧事件「集産党事件」の始まりでした。
翌日から30日までに道北の名寄を中心に士別、旭川、北見、樺太の本斗などで、中学生、女性数人を含む約40人が逮捕、拘束され、取り調べをうけました。
1925年5月、国鉄名寄車掌詰所の石井長治ら20人余が「名寄新芸術協会」という文学、演劇、音楽の芸術サークルをつくりました(最大時70人余)。会員には国鉄労働者が多く、次第に、働く者の生活・貧富の格差、資本主義の矛盾に目を向けるようになり、マルクスやレーニン、山川均や福本和夫の著作を読み、学習会も持ちました。
協会内に社会部、争議部をおいて労農運動にもかかわります。27年は磯野農場争議、小樽港湾争議、月形小作争議など労働者と農民が共闘して勝利するなど北海道の労農運動は高揚します。協会のメンバーもこのたたかいに参加あるいは支援します。また、中国出兵反対、「プロレタリア劇場」公演弾圧に対する抗議行動に精力的に取り組みました。当時、旭川にいた詩人の今野大力、小熊秀雄も協会員と深い交際があり、プロレタリア文学論争をして励まし合っていました。
27年8月、協会を基礎に「集産党」を結成、政治活動をさらに推進しようとしました。当時、北海道には日本共産党はなく、徹底した社会主義を目指す組織として集産党の名前がふさわしいと考えたようです。
これに治安維持法が適用され「マルクス共産主義を実行し……私有財産制度否認の目的を以て……秘密結社を組織した」(予審決定)として11人を起訴。3・15弾圧さなかの公判では7人に執行猶予がつきましたが、石井、松崎豊作ら4人が2年また1年半の禁固。治安維持法国内初の判決確定となりました(29・4・30大審院)。
この事件には、京都学連事件を指揮した池田克、平田勲、黒川渉の3検事が東京から旭川へ来て直接取り調べをしました。また、官憲は「集産党との関連あり」として同年12月22日午前10時に旭川、札幌、小樽、函館、本斗の労農党、労組、農民組合の事務所、幹部の自宅などを一斉捜索しました。同日同時刻の一斉捜索という試みは、まさに3・15弾圧の予行を疑わせるものです。(汎)
〈参考〉宮田汎著『朔北の青春にかけた人びと―北海道初の治安維持法弾圧・集産党事件をめぐって』〔自費出版、連絡先電話&FAX011(385)5753〕
〔2008・2・7(木)〕