2008年2月27日(水)「しんぶん赤旗」
旧ソ連初期の「一連の積極的努力」とは?
〈問い〉 日本共産党綱領には、旧ソ連について「レーニンが指導した最初の段階においては、…真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された」とあります。この「一連の積極的努力」とはどんなことを指すのでしょうか(千葉・一読者)
〈答え〉 ロシア10月革命によって成立したボリシェビキ政権は、民族自決、平和、男女同権を宣言し、8時間労働制や有給休暇制、社会保障制度を実現しました。これらは、社会主義の原則的な立場を世界に示す意義を持ちましたが、「一連の積極的努力」としては、次の二つが重要です。
一つは、ボリシェビキ政権の最初の指導者だったレーニンが、死去の前の最後の一時期に推進した「新経済政策」(ネップ)です。ネップは、革命直後の内戦の時代におこなっていた「戦時共産主義」と呼ばれる経済統制の政策にたいして、農民の抵抗が激化したことから、政策転換を余儀なくされて始まったものでした。
ネップのもとでは農業経営の集団化を急がず、小規模な個人経営を尊重して農産物の売買の自由を認め、市場経済のもとで時間をかけて社会主義建設をすすめることをめざしました。そして、社会主義的な農業経営への移行は、農民が自発的に集団化を選択するようになるまで待つこととされました。このように、ネップは、今日の中国やベトナムで探求されている社会主義市場経済のさきがけといえるものでした。
この時期には、社会主義的な国有企業が、資本主義企業との市場での競争によって試されるという考え方が強調され、鉱工業への外国資本の導入も模索されました。レーニンは、経済生活の管理と運営に人民が参加できる条件をつくりだすことを決定的な問題として強調し、人民の文化的知的水準の向上にも力をいれました。
もう一つは平和外交の努力です。レーニンが指導した時期のロシア(ソ連邦)は、民族自決権を尊重して、旧ロシア帝国の領内に併合されていた諸国の独立を率先して認めました。干渉戦争の終了後は、平和共存を掲げて多国間の軍縮交渉をリードしました。
こうしたレーニンの努力は、その後、後継者となったスターリンによる農村の強制的な集団化と政敵への弾圧による独裁体制の確立によって断ち切られました。(石)
〔2008・2・27(水)〕