2008年3月1日(土)「しんぶん赤旗」
薬害C型肝炎東京訴訟和解
「亡き母に報告」と涙
原告ら「苦労吹き飛んだ」
「お袋は昨年十二月二十三日、和解を知らずに亡くなりました。帰ったらまず一番にお墓の母に報告します」と、涙をこぼしたのは、静岡県浜松市の公務員の男性(27)です。二〇〇三年六月の提訴から四年八カ月。二十九日に東京高裁で和解が成立した薬害肝炎東京訴訟原告たちの胸に去来する思いは…。(菅野尚夫)
「四年八カ月はすごく長かった」。この男性は二〇〇〇年八月の薬害根絶デーで薬害肝炎の被害にあったことを訴えました。訴えがきっかけで薬害C型肝炎被害の実態が明らかになり、訴訟へと発展しました。
男性は「医療費の心配をしなくっても良くなったよ」と伝えたいといいます。「薬害スモンの時から、被害者はくり返し『薬害は自分たちで終わりにしてほしい』と、訴えてきました。薬害根絶までたたかいます」と語りました。
新潟市の平井要さん(57)は、当初から実名を公表してたたかってきました。「東京地裁判決では、私は敗訴でした。悔しかった。和解が成立してこれまでの苦労が吹き飛んだすがすがしい思いです」
山本信子さん(41)も、投与時期が「わずか四カ月の差で敗訴」しました。
「あのときには悔しい涙を流しましたが、今は心からうれしい。カルテがなくて救済されずにいる被害者がたくさんいます。全員救済まで協力していきます」と決意を述べました。
浅倉美津子さん(57)は、一九八八年、三十七歳で二男を出産した際に大量出血して、フィブリノゲンを投与されました。高熱がでて、誕生した二男を抱くことも出来ませんでした。現在の病状は慢性肝炎。「四月からインターフェロンの治療を受けたい。その治療もできないでいる肝炎患者さんもいます。国の恒久対策実現までたたかいます」。
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