2008年3月15日(土)「しんぶん赤旗」

映画「母べえ」で「父べえ」のモデルは誰?


 〈問い〉 映画「母べえ」で、坂東三津五郎が演じた「父べえ」のモデルは実在の人で小林多喜二とも交流があったと聞きました。どういう人だったのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 映画の実在の主人公はドイツ文学者の新島繁(本名・野上巌)で「母べえ」の綾子さんともども戦前戦後の二十数年間を杉並で暮らしました。

 新島は1901(明治34)年山口県生まれ。県立山口中学、山口高等学校をへて東大文学部ドイツ文学科を卒業、26年日本大学予科のドイツ語教授となり、プロレタリア文化運動に積極的に参加しました。こうした活動が大学当局ににらまれ思想上の理由で日大を追われ失職します。新島はやむなく31年、杉並区高円寺に古書店大衆書房を開き、綾子さんは代用教員をして生活を支えます。この古書店には、近くの馬橋に住んでいた小林多喜二が時たま、「インタナショナル」(野呂栄太郎主幹の産業労働調査所発行)などを買いに立ち寄っていました。

 新島は、33年3月15日、二人の娘、「初べえ」と「照べえ」の手を引いて敬愛する多喜二の労農葬会場・築地小劇場へかけつけました。しかし、会場付近は警官隊が包囲していて近づけませんでした。

 新島は32年10月、戸坂潤、岡邦雄、永田広志、服部之総(しそう)らが中心になって、哲学者、社会・自然科学者などが幅広く参加する唯物論研究会の結成に参加。後に幹事となり、『社会運動思想史』を書きます。

 この唯研は、科学的社会主義にもとづく文化運動が弾圧・解体されていったとき、唯物論の学問的研究を掲げて創立された研究団体でした。特高警察は38年11月から翌年にかけて、その中心幹部をはじめ43人を治安維持法違反として一斉に検挙しました。新島もその一人で、都内の警察署をたらい回しにされ拷問をともなう取り調べを受け、40年4月起訴され、未決勾留入獄します。

 映画の主人公は獄死しますが、新島は獄中で初志を貫けず、心ならずも「上申書」を提出することによって同年12月保釈出獄します。

 敗戦を迎えた新島は、戦中に多喜二のようにたたかえずに挫折した過ちへの深い反省に立って、日本共産党にいち早く入党し精力的に活動を始めます。執筆活動をしながら自由懇話会、全日本教員組合、民主主義科学者協会などの設立に尽力し、杉並区民生委員などの地域活動、原水禁運動、松川事件救援活動などに献身しました。

 54年綾子さんの死去後、55年神戸大学に赴任し57年教授となりますが同年12月病死しました。地元杉並では「唯研弾圧事件」60周年にあたる1998年から新島繁の業績に光をあてる顕彰運動をすすめてきました。(中)

 〔2008・3・15(土)〕


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