2008年3月22日(土)「しんぶん赤旗」
マスメディア時評
無法な戦争をなお正当化か
アメリカがイラクへの侵略戦争を始めてから、五年になりました。
開戦から五周年の二十日を中心に、各紙が社説を掲げ、あるいは特集や連載などで取り上げています。共通しているのは、「大失敗をどう克服するか」(「朝日」十八日付)、「不安定さを増した世界」(「毎日」十七日付)、「『誤り』のつけが市民に」(「東京」十九日付)などの社説見出しが示しているように、イラク戦争が出口のない泥沼に陥っていることへの、きびしい現状認識です。
侵略者の論理で
それにもかかわらず、アメリカが戦争を始め日本が支持したこと自体は、やむをえなかったとして弁護する論調が依然として残っています。代表的なのは「読売」十七日付社説で、大量破壊兵器がなかったのならそれを挙証すれば戦争を回避できたはずなのに、「それをしなかったフセイン政権の側に、戦争を招いた非がある」、国連安保理が機能していなかったのだから、米英が武力行使に踏み切り日本が支持したのは「やむを得ない選択だった」というのがその言い分です。「大義なき戦争」という判断は、「あまりに短絡的」という「産経」二十一日付主張もほぼ同じ立場です。
一方的に戦争を始めたアメリカの肩を持って、攻撃された方が悪いというのは、侵略する側の論理です。「読売」をはじめ日本のマスメディアの多くは開戦のさい、同じような論理でアメリカを擁護しました。
実際には、国連の監視検証査察委員会が大量破壊兵器の査察を継続することで事態を解決する見通しを示し、国連安保理はアメリカなどの武力行使容認の要求を拒否していたのに、一方的に開戦に踏み切ったのはアメリカとその「有志連合」です。悪いのはフセインだ、開戦はやむをえなかったと弁護するのは、歴史の事実に反します。
なぜ五年もの長きにわたって十数万もの大軍がイラクに駐留し大きな犠牲を生んでも、治安の維持も復興の見通しも立たないのか。それは戦争そのものが大義のない無法な戦争でイラク国民の反発を買っているからです。戦争そのものが間違っていたからこそ、暴力の応酬が繰り返されるのです。
この点では「朝日」社説が、ブッシュ大統領のことしの一般教書演説を引きながら、「この歴史的な大失敗をまだ正当化しようとする人々がいる」と批判しているのは正論です。本来ならアラブ・イスラム世界の支持を得つつ、国際テロ組織アルカイダを孤立させ、追い詰めなければならなかったのに、「敵」を間違えて、アルカイダと無関係のフセイン政権を相手に説得力のない戦争を起こしたために、国際社会を分裂させ、穏健なイスラム教徒まで敵に回してしまったという指摘は、説得力があります。
残念なのは、その「朝日」にも、事態をどう打開するのかという点になると、確かな立場がないことです。
米の消耗を心配
「朝日」社説は、「この混迷をただすのに特効薬はありそうにない」といいます。「米軍の大部隊が駐留したままでは反米テロはおさまらない。だが、現地が安定しないままでの撤退は、内戦の引き金になりかねない。文字通りのジレンマである」として、「心配なのは…米国自身が消耗していくことだ」「日本にとっても、唯一の同盟国である米国の衰えは好ましくない」と論じます。
長引く戦争によって最も被害を受けているのはだれよりもイラクの国民ではないのか。イラク国民のことを考えるなら、最優先すべきなのは、無法な戦争をやめ、暴力による応酬をやめることではないのか。その問題には正面から向き合わないで、アメリカと日米同盟への影響を心配するというのでは、事態を打開するまともな立場に立っているとはいえません。
実はこの「朝日」の立場は、戦争そのものの評価は違っても、「読売」の立場と大きな違いがありません。ずばり「米国の力の低下が心配だ」と見出しを立てた十七日付「読売」社説は、イラクでの戦争をやめさせることは一切言及せず、問題は「イラクの混迷」による「米国の指導力低下」であり、「米国がイラク情勢に足をとられ、東アジアでの影響力が減退していく状況は、日本として看過できない」ので、「日米同盟強化が大事」と結論付けています。
ここにあるのは、世界でどんな大問題が起きても、日米同盟の立場からしかものを見ず、日米同盟さえ強化すれば安心だという究極の保守主義です。軍事同盟ではなく平和の共同体へという世界の流れに目を向けずこうした論調を繰り返す限り、アメリカのブッシュ政権や日本政府と同じく、日本の巨大マスメディアも、世界から孤立することになるのは避けられません。(宮坂一男)
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