2008年4月2日(水)「しんぶん赤旗」
日清、日露戦争は、よい戦争だったか?
〈問い〉 知人から「太平洋戦争とちがい日清、日露戦争は『自衛』のためのやむをえない、よい戦争だった」といわれました。どう考えるべきでしょう?(東京・一読者)
〈答え〉 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の影響などもあって、そういう意見がよくだされます。結論からいうとそうは言えません。日清、日露の戦争は、明治政府が成立以来めざした朝鮮支配とアジア進出、特に満蒙の利権確保のねらいが清国、帝政ロシアとぶつかっての双方からの侵略戦争でした。その結果、日本は台湾を植民地にし、朝鮮を事実上の植民地化というべき「保護国」にしました。当時、アジアの独立国は4カ国で、圧倒的に欧米の植民地支配下にありました。そのなかで日本は、アジアの独立・解放のため戦うのではなく、アジアに植民地を持つ国になったのです。しかも日露戦争は、ロシアの南下をおさえようとする英米の支援を受けての「極東の憲兵」としての戦争でした。アジアがきびしく批判するのは当然です。
「朝鮮独立のために戦った戦争」という議論もありますが、とんでもない話です。日清戦争について言うと、この戦争は清国と戦った戦争というだけでなく、宣戦布告にあたり、清国を敵にするか、清国と朝鮮を敵にするかが定まらなくて迷いに迷った戦争でした。結局、日本軍は最初に朝鮮王宮を襲撃し、国王をとらえて清国との戦いで日本に協力することを約束させる日朝戦争から始めたのです。朝鮮では王宮攻撃に怒りが広がり、清国・日本の介入を避けようとして政府軍と「和約」を結んで収拾していた東学農民軍が再蜂起します。日本軍は、鎮圧軍を派遣して、大本営の指揮下にせん滅にあたり、3万人といわれる農民を殺害しました。韓国ではいま、国、自治体、住民、学者が一体になって、東学農民革命の顕彰運動をすすめています。日本も態度表明が求められます。
日清戦争は、朝鮮半島から清国軍を駆逐したあと、清国領に攻め入り、南満州から遼東半島へと軍をすすめ、北京・天津をふくむ直隷平野での決戦(講和条約によって実行に至らず)と台湾・澎湖島の占領をめざす南方作戦計画を立て、澎湖島を占領したところで講和し、澎湖島、台湾を割譲させたのです。台湾は激しく抵抗し、日本軍によって殺された中国人は1万7千人を上回るといわれています。
日露戦争は、日本と帝政ロシアが、満州、朝鮮の支配をめぐって戦った双方からの侵略戦争でした。しかし、たんなる2国間の戦争ではなく、戦場は主として、清国の満州でした。日本は「時期を逸することなく朝鮮半島を制圧し、これを大陸に対する強固な作戦基地とする」(旧参謀本部編さん『日露戦争』)ことを作戦の基本とし、戦争開始とともに「日韓議定書」を強要、全面協力を認めさせ、作戦基地、兵たん基地にしました。抵抗する者には、日本軍は「軍律」をつくり、死刑を含む弾圧を加えました。そして、日露戦争の結果、日本は朝鮮に文字通り軍事的脅迫で「併合」による植民地化の第一歩といえる「保護条約」を強制しました。
この戦争をどうして「よい戦争」と言えるでしょう。(吉)
〔2008・4・2(水)〕