2008年4月19日(土)「しんぶん赤旗」

植木等の父、反戦僧侶、植木徹誠とは?


 〈問い〉 2月13日付本欄に、反戦僧侶の一人として、植木徹誠の名前がありましたが、植木等のお父さんでしょうか? 植木さん親子のことを教えてください。(東京・一読者)

 〈答え〉 07年3月28日に80歳で亡くなった植木等さんは、日本共産党が発行していた写真誌『グラフこんにちは』(85年5月号)で上田耕一郎副委員長(当時)と対談しています。そこで父親を「若いころキリスト教の洗礼を受け、そのうち仏弟子になり、しかもその間に社会主義者として労働運動、部落解放運動の真っただなかに飛び込んでいくといった具合に生きた人」と紹介し、「お寺の住職が四年も寺を留守にしますと、寺としての格好がつかない……結局、小学校から帰ると僕が衣に着替えて近所まわりをする」「等さんのお経ではってんで、お布施を値切られて(笑い)。……おやじが刑務所に入って生活が苦しくなった」と話しています。これに上田氏が「僧侶でありながら、いや、ほんものの僧侶だからこそなのかもしれませんが、『戦争は集団殺人だ』という話を、お子さんたちにもするし、檀家へいってもする、で、そのたびに警察へ検束される、ということのくりかえしだったそうですね」と合いの手を入れています。

 植木徹誠(俗名は徹之助)は1895年に三重県に生まれ、現在の伊勢市にあった真宗大谷派常念寺住職だったころに治安維持法違反で4年近く投獄されました。戦後は東京・目黒区で民主商工会会長や国民救援会支部役員などを歴任。62年に日本共産党に入党し、78年に83歳で逝去しました。

 人間はみな平等という立場から徹誠が命名したという等さんは1926年に生まれ、真宗大谷派僧侶が創立した東洋大学を卒業。音楽の道に入り、57年にクレージーキャッツに参加して「スーダラ節」などをヒットさせました。俳優としても才能を発揮し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞など数々を受賞しています。

 日本宗教者平和協議会発行の『宗教と平和』07年8月号には、52年のメーデー事件で死亡した法政大学学生の「葬儀デモ」の先頭で経文を唱えた一人が植木等さんだった、という黒川万千代さんの追悼文が寄稿されています。(平)

 〔2008・4・19(土)〕


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