2008年7月23日(水)「しんぶん赤旗」
たかかいのシンボル、赤旗の由来は?
〈問い〉 労働者のたたかいのシンボル、赤旗の由来は? フランス革命と関係はありますか?(東京・一読者)
〈答え〉 赤旗は「古来、奴隷・労働者が支配者に反抗する場合、用いられた」(冨山房『国民百科大辞典』)といわれ、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』にも「〔1525年〕農民は蜂起し…、沼で囲まれた陣営に集結して、赤旗をうちたて…部隊をつくった」という記述がみられます(全集7巻387ページ)。
18世紀末のフランス革命では当初、赤旗は異なる意味をもちました。(平凡社『世界大百科事典』は「赤は革命の象徴であるといわれるが、起源を探ってみると、元来の赤旗は反対の性質のものであった」と記述)。
1789年バスティーユ襲撃ののち、国民議会はパリ市内の暴動に備えて、戒厳令の際には家の窓に赤旗を掲げ、治安が回復したら赤旗をしまうという軍法を定めました。しかし91年7月、国民議会の命令で軍隊が市民を虐殺、怒った民衆は翌92年、「戒厳令の旗、即ち有産階級の弾圧の流血的象徴である赤旗を奪った。彼らはそれを反乱の信号、またはむしろ新権力の標章となす」(ジャン・ジョレス著『仏蘭西(ふらんす)大革命史』平凡社)のです。ジョレスは、赤旗はけっして復讐(ふくしゅう)の旗ではなく「自己の権利を意識する新しい権力の輝かしい旗であった」とも書いています。
しかし、権力をにぎったジャコバン派は赤旗を自分たちの旗にはせず、三色旗を掲げました。その後、1831年のリヨンの絹織物労働者の蜂起では「絶望と困窮」を示す黒旗が掲げられました。
それが大きく変わるのは1848年の二月革命でした。バリケードに最初は赤旗と三色旗が並んで掲げられますが、ルイ・フィリップ王政にたいする批判が高まるにつれ、三色旗は少なくなり、多くの死者がでた6月蜂起では赤旗が高々と掲げられました。マルクスは「6月反乱者の血にひたされてはじめて、三色旗はヨーロッパ革命の旗―すなわち赤旗となった!」(『フランスにおける階級闘争』全集7巻32ページ)と書きました。
1871年、樹立された史上初の労働者階級の政府パリ・コミューンは、赤旗を標識にしました。マルクスは「旧世界は、パリ市庁の屋上にひるがえる労働共和国の象徴、赤旗をみて、怒りの発作に身をふるわせた」と書きました(『フランスにおける内乱』全集17巻320ページ)
こうしたフランスでの経過をへて赤旗は、世界の労働者、人民のたたかいのシンボルになっていったのです。(喜)
〈参考〉 浜林正夫『パブと労働組合』新日本出版社所収のコラム「赤旗の由来」〉
〔2008・7・23(水)〕