2008年8月14日(木)「しんぶん赤旗」

「終戦記念日」というのは?


 〈問い〉 もうすぐ8月15日がきます。支配層は「敗戦」をきらい「終戦記念日」とよぶようにしたと私は先輩から教えられたので、「敗戦」のほうが真実だと思いますが、どうなのでしょう。(横浜市・一読者)

 〈答え〉 中国東北部への侵略開始(1931年9月)以来15年におよぶ侵略戦争は、1945年8月14日、御前会議でポツダム宣言受諾を決定し連合国側に通告、翌8月15日正午、昭和天皇が国民に向けてラジオ放送、9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で降伏文書に署名して、終わりました。占領期の1951年ごろまでの新聞紙上では9月2日を「降伏記念日」と呼んでいましたが、その後は、天皇のラジオ放送が行われた8月15日を終戦記念日とし、政府主催の全国戦没者追悼式もこの日に開かれています。

 この8・15を「終戦記念日」というのか「敗戦記念日」というのかには、個人、立場の違いによって、さまざまな思いや意見があって、一律に決められるものではなく、使われる意図と文脈によって適切かどうか検討されるべきだというのが私たちの考えです。

 8・15は、侵略を推進した天皇制政府と戦争推進勢力にとっては、まさに「敗戦の日」です。ポツダム宣言は「日本国国民を欺瞞(ぎまん)し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は、永久に除去せられざるべからず」と明記し、不正義の侵略戦争を断罪、侵略戦争推進勢力の責任を鋭く問いました。このことをあいまいにできないことはいうまでもありません。

 しかし、「敗戦」の用語のほうがどんな場合でもふさわしいかといえば、そうともいえません。

 戦前・戦中の日本国民は、新聞やラジオ放送などによる虚偽の報道、世論誘導などによって、侵略戦争の実態をまったく知らされないまま強制的に戦争に動員されました。ですから、国民にとっての8・15は、戦争によって肉親や自分自身の命を奪われる心配がなくなった日でもありました。「終戦記念日」という言葉が一般的に使われているのは、戦争が終わり平和な時代への区切りとなった日を端的にあらわすものとしてだといえます。

 さらに、戦前・戦中の日本においても、日本共産党のように、日本の戦争を侵略戦争と見抜き、それをやめさせるために、過酷な弾圧に屈しないでたたかった人々もいました。侵略戦争反対のためにたたかい抜いた人々にとって8・15は、たたかいの正しさが証明された日でした。朝鮮の人々にとっての8・15は侵略者から解放された日「光復節」なのです。(喜)

〔2008・8・14(木)〕


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